ある凶王の兄弟の話


□墜ちた寥星
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あれから2日の刻が過ぎた。
未だに決断は下せず、豊臣は燻るばかりだった。
そればかりか問題は増える一方を辿り、解決の手口さえ消え失せている。
唯一残された軍師さえ病に蝕まれ、いつ命が尽きるかも分からないような状態だ。
また弱体した豊臣を狙い、誰からの襲撃があるのかも分からない。
何の油断も許されないような状況の中、案を促す家臣が抗争になったりもした。
誰もが焦り、不安を胸に募らせ、日々を潜っていた。
太閤だ。
太閤の死が全てを狂わせてしまった。
あの時に太閤さえ生きていれば
太閤さえ健在であれば----
…いや、
豊臣軍の誰もが抱くそんな願いは、今となっては絵空事でしか無い。
もしもの話をしても、時を除いた現在は何一つ進まない。
頭を現実へ引き戻そうと、皆の頭はそこで堂々巡りを繰り返すばかり



気が付けば夜が巡ってきた。
満月が美しく輝き、松明の光さえ眩しいと感じさせない程に明るい夜だった。
豊臣の現状を何も知らない空の星は呑気に光り輝き、時に雲を纏いながら空の海を漂う。

「……」

異国の書物や細工に囲まれた部屋の窓から、重成は空の海を眺めた。
光源は蝋燭に付いた火だけの、多少薄暗い部屋。
窓からは月の怪しげな光が筋を落とす。
窓枠の離れにぽつんとある拙い明かりは床さえ真面に照らし出さない。
書物や紙の散乱した床は、微かな火の光を反射して凹凸に浮かび上がる。
足場さえ危ういような場所に一人で、重成は佇んでいた。
左肩には真新しい繃帯が巻かれているが、その繃帯は既に血が滲んでいた。
先日に無理をして開いた傷口は、半日放っておいたせいで少し化膿してしまった。
それをあの上女中に発見され、こっぴどく叱られてこの有様だ。
思ったより傷は深いらしく、暫くは左腕を使うなと忠告されたが、厳守するつもりはあまり無かった。

ここへは何がしたかった訳でもない。
気が向いたという単純な理由。特に用事も何も無い。
訳らしい訳があるならば、衰弱する軍師を前に何も出来ない故に、どう行動すべきかの思いに耽っていた、とでもいった所だろう。
いや、僻むような合理的思考はいらない。

2日の刻が過ぎようと、三成は下すべき決断を未だ先延ばしにしながら半兵衛から離れようとしない。
固執する故に君主の側に居なければ落ち着かないからであろうか、
或いは2度目の悲劇を阻止すべく、君主の周囲を監視しているからであろうか、
どちらにしても同じだ。
そんな三成とは裏腹に、逆に重成は君主からの距離を取りたがる。
重成は未然に悲劇を終わらせようとする。
側から離れないで起きた事に対処するより、火種となる事柄に赴き、広がる前に消す。
起きてからでは遅いというのが、重成の発想なのだ。

二人は『同じ』なのに、これ程までに考えが違う。

「……」

考えてみればそこは、秀吉と半兵衛がよく話し合っていた部屋だった。
2人がそこに存在し、天下の掌握を夢見ていた軌跡が溢れていた。
半兵衛が熟読玩味していた軍法書
壁一面を覆う、日ノ本が何処かも分からない地図
地図に描かれた凸型の目印に達筆であしらわれた文字
秀吉が描いたのであろう、乱暴な文字
そして、
覇王が大阪の大地を一望し、豊臣軍に向けて指揮を行っていた露台


「……」


その全てを目にしても、悲しめない彼が悲観を示す事は無かった。
心の底から太閤の死を悲しむ事が出来なかった。
軌跡を目の当たりにして胸が苦しくならず、涙さえ出ない。
全ては『当たり前』なのだ。
太閤が生きた証として、この世に残る『当たり前』の証。
1人の人間が生きた軌跡。
何が悲しいのだろうか
それさえ理解出来なかった。

「…何故」

こんな自分が嫌いだった。
悲しみを忘れて乾いた感情も、出来事を全て肯定してしまう白状な自分も、真実を隠し続ける臆病な精神も、『自分』を恐れる脳裏も、己の弱さを隠蔽する強さも、事実を殺し続ける名前も、恨みも無い弱者を蹂躙しようと動じないこの肉体も、張りぼてを肯定させる闇も、
全てが嫌いだった。
幾度『普通』になりたいと願ったのだろうか、
幾度兄弟を羨ましいと思ったのだろうか、


「…あぁ、そうか」


私は矛盾している
己の理想を否定して生きている。
だから自分が嫌いなんだ。

重成は露台から望める月を仰ぎ見た。
直視出来ない程に眩しい光だった。
目を閉じ、肩の力を抜いて深呼吸。
風に流れてきた青臭い微かな匂いは、重成の気を楽にさせた。
ゆっくりと瞼を持ち上げた先には、広い大阪の土地が一望出来た。

「……?」

僅かに紛れる土の匂い。
それも、乾いた砂が発するような喉の詰まる物ではなく、どちらかと言えば泥臭い匂い。
雨で澄んだこの空気の中、泥の匂いがするのはおかしい筈だった。
また、風向きに流れて何処からか流れてきた匂いにしては、板に付いた香りに思えた。

月明かりを頼りに、夜に眼を凝らす。
蠢く影が紛れていないのかを探す。
不自然な匂いの元を辿る為、ひたすら夜に眼を向けた。
豊臣の兵も軍事力も弱体し切ったこの状況。
何処の軍が豊臣を攻め落とさんと攻めてくるかも分からない。

夜に紛れて、何かが光るのを捉える。
凝視すれば、金属が光ったのだと理解した。
何かが蠢く。
微かに届く音。
実態を捉える度に比例して強くなる泥の匂い。
重成の脳裏に、ある一人の影が浮かび上がる。
重成はこの匂いを知っているのだ。

「…まさか、そんな所までもう情報が行き届いているとは」

重成は部屋を後にし、風そのものを連想させる速さで城門へと急いだ。





          
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