ある凶王の兄弟の話


□葵烈の刄
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外の騒ぎは増す一方、屋内にまで振動が伝わり、まるで地震でも起こっているかのようだった。
三成と官兵衛がそれほどの戦闘を城の前で繰り広げているのだ。
どちらが劣勢か、優勢か、この大阪城の存亡に関わる問題さえ今の重成にとってはどうでもよかった。
外の音を通す空気の静寂さは嫌に意識を覚醒させる。
恐らく家臣ならどこかの部屋で大騒ぎしているのだろうが、今重成達がいる天守閣周辺は、病人の軍師が居るだけあって人通りは皆無に等しい。
沈黙の中流れる雑音は容赦無く風の隙間を通り抜けていた。

その中で、まるで時が止まったかのように動かない青年。
壁に手を置きながら拙い足取りで立つ、見るからに病人の人間。
二人の板挟み状態で、交互に眼をやる二人の兵。
状況が飲み込めないのは、兵士とて例外ではなかった。

「何故…何故私を止めるのですか」

重成は歯を食い縛り、心底驚いた顔で病人の方に振り返った。
病人とは思えない服装をしている。
着流しを着用せず、いつも戦線に立っている、あの時と同じ格好。
顔の大半を覆う仮面も、怪しく装飾者を彩っていた。
しかもあろうことか、手には鞘を被った関節剣を握っている。
重成は驚いたというより、惑っている目だった。何も頭で理解出来ないのだ。
何故立てない筈の人間がここにいるのかも、
何故自分を止めるのかも、
そして何故襲撃を仕掛けて来た軍が黒田軍と知っているのかも、
声が聞こえたのか。
それは考えられない。三成と戦う轟音が聞こえようとここは天守閣の近く、城の上階だ。
城の下でどれだけ一個人が叫ぼうと城の上階まで声が届かない。
それに、忍や足軽が彼に情報を伝達したという事も考えにくい。
彼は今、完全に戦線から外れている。
下っ端の足軽だろうと、彼が外れている事は豊臣の中で周知の情報。
そんな人間に情報を伝達するような間抜けな兵が居るわけが無い。

余りの疑問に目が泳いだ。
そんな重成を見て、まるで死人のような肌色をした半兵衛は薄く微笑んだ。

「君を見る限り…やはり黒田君なんだね…」

半兵衛はよた付く足に力を籠め、壁に背を任せたままで這うように重成に近づきながら言葉を綴った。

「彼ではないのかと思っていたんだよ。秀吉の支配が緩んだばかりで豊臣が弱体した今、抑圧されてきた軍はそのまま他軍に進軍するには大きな危険を伴う事になる。つまり、今駒を進める相手には豊臣相手に『勝てる』という確信を持った者か、豊臣の支配を逃れていた者…それにこの轟音、単騎の実力者が三成君と対峙しているのだろう。他に何も聞こえない所からすると罠か…兵士の統率が取れていない証左。僕が導き出した答えが黒田君だ」

重成は言葉を失っていた。
死期の近い筈の彼がこれ程までに精確な推察をしていた事に、凝然としてしまったのだ。
実際、情報を遮断されていた半兵衛にとっての手掛かりは表の騒音だけの筈。
少ない手掛かりで特定の人物を割り出す事はそう易々と成せる事では無い。
三成とは違い、常に先の事を予想してから行動を起こす重成には、それが痛い程に分かっていた。

茫然自失とした状況、
呼吸が苦しいのか、半兵衛は胸を強く握りしめていた。
だが彼は更に言葉を続ける。
重成にその光景は、彼が自分の命を削っているかのように見えた。

「これはきっと罠だ。初めにも言ったが黒田君は軍師…一人で三成君と対峙し、他の兵士の命令を完全に放棄しているのはおかしい」

半兵衛は一呼吸置く。
喋るだけでも体力を労費するらしい。

「彼はきっと三成君を誘き出す為の囮だ」

部屋の空気を撫でるのは沈黙ばかり、
外から流れ込む騒音は城内を何度も反響する。
重成は目を見開いたままで半兵衛の言葉を頭の中で何度も咀嚼した。

「囮……?」

自分にも分かるほど恍けた声だったろう。
半兵衛が何故そういった答えに至ったのか、その経緯を辿る。
重成が推察に想いを馳せている時、またも半兵衛が苦し紛れに言う。

「黒田君は、三成君が豊臣の最たる精鋭という事を知っているだろう。だから三成君をまずどうにかしようとする筈だ…」

「故に自分を囮にして、城門に兵力が集まり、守備の緩んだ城を……」

半兵衛は力無く頷いた。
重成は粗方を理解した所で熟考する。
まず、やってきた敵を城に入れるなんてありえない。城門で敵兵は例え一人でも絶対に通れはしない。
兵力の集まりは絶対防御。門だけに兵力を集中させる訳がなく、虎口から堀、また城の裏側までもが厳戒態勢になり、鼠一匹でも通さない。吉継だってそのような指示を出す筈だ。
警戒網を掻い潜って敵が城内に侵入してくる可能性は限りなく零に近い。
あくまでも、『敵』であれば。
前提条件はあくまでも、警戒網を張っている兵士が『敵』と認識している人間の場合。
もし、黒田軍の人間が兵士の眼を潜り抜け城に侵入出来るのなら、それは外にいる兵が城内と外を行き来してもおかしくない時----
例えば今の様に、

『負傷者を城に運ぶ時------』

「ぐあぁ!!!?」

「!」

その瞬間だった。
半兵衛と重成の間に居た二人の兵士。
その一人が、機敏な動きで突然片側の兵士を斬りつけたのだ。
断末魔を上げて崩れ落ちる兵士。
鈍い音を立てて鮮血を撒き散らし、床に仰臥した。
重成は伏せた兵士に驚き、彼を切り伏せたもう一人に眼をやった。
床に伏した者は筋肉を痙攣させている。即死だった。
頸動脈の大半を切断され、多くの血を唐突に失った出血性ショック死。
見慣れた紅が床一面に広がる。
その光景に絶句して呆けている暇は無かった。
倒れた兵士は、鍵が合致するように半兵衛の推測が繋がった証拠だった。

重成は素早く構える。
刀を持たない上に負傷した左腕を引き摺る彼にとって、敵の存在に気付けたからといって完全に利を得たとは解釈できない。
体術なら多少心得ているものの、体術自体が身体に馴染まなかった為に実戦で使用した経験がない。
それに敵の近くには半兵衛が居る。
小姓と言えと前線から外れた身で、彼を守りながらの敵との対峙は明確に不利な条件だった。

豊臣の鎧を纏った敵は血の滴る忍者刀を構えながら重成を前にする。
身のこなしや得物から、この敵は黒田軍の忍者だ。
事前に豊臣兵の鎧を剥ぎ、この時を狙って紛れ込んでいたのだろう。

だが、今更推測はどうでもいい。
目の前に集中していなければ、こちらの命が持たない。

重成が右の拳を握りしめた時、機敏な動きで彼に向かって敵が飛び掛かった。


    
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