ある凶王の兄弟の話


□既往の面影
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重成は耐えていた。
顔や胸を覆い、失血での死を免れた。
だが足場が崩れ、重点の置き場所を見失ってしまった。
持ち前の反射神経で床の板切れを掴み、どうにか下の階へ落ちる事はなかったにしろ、両腕はズタズタになってしまったのだ。
右手には刀を持っているので、左手で全体重を支える事となった挙句、肩の傷は何度も開いている。鈍い痛みと鋭い痛み。耳元で響く、ギチギチと腕が壊れていく音。

煙のお陰で視覚が遮断され、完全に彼が下の階に落ちたと思い込んでいる敵からの追撃はないにしろ油断は出来ない。

「……」

幾分と頭は冷えてきた。冷静さが戻ってくる。
こうなるまでの過程を考えるとどうしようもなく己が愚かに感じた。
愚かとは分かっているのに、気分が落ち着かない。同じ事を繰り返してしまう予感がしている。
取り留めもないことが何度も脳裏を巡回する。

「……半兵衛様」

駄目だ
己は何も学習していない。学習しようとしていない。
立ち上る煙が自分の隠れ蓑となっているのに、それを払ってでも君主を求めて体が動く。
動くのは愚かだと分かっているのに自制が効かない。意思と意志が決裂する。忠義が身体を動かす。ボロ雑巾のような身体を奮わせる。
一体何故こんなにも半兵衛を求めているのか。重成自身にも分からなかった。
執着心の為ではないことは自分がよく知っている。執着するような心を持たない筈なのだから。
違う。
己に執着する気持ちが、芽生えてきているのかもしれない。

腕に力を掛け、左腕の力のみで上階へ這い上がった時だった。
突然その場に、耳を塞ぎたくなるような雄叫びが谺する。

「うぉぉおおおおぉぉおおおおぉぉおおぉぉぉおおぉぉぉおおおおおぉぉおおおぉぉ!!!」

その声に怯み、思わず重成は顔を歪めた。
雄叫びを発する者は、今まで対峙していた敵。歓喜に満ちた声を城内に轟かせる。
重成は身を屈め、僅かに残る煙に身を隠した。
どうやら敵は歓喜のあまりか重成が這い上がって来た事に誰一人として気付いていないらしい。
それもその筈、群がる敵の軍勢と彼が身を隠す煙が上る場所は近いとは言い難い。
小さく見積もって三丈は離れている。下手をすればもっと離れているかもしれない。
自分の存在に気付いていないのは大いに結構だ。
闇討ちでも何でも、背後を取った方が優位である。
だが、私一人始末しただけで、こんな声を上げる筈がない。

「!!」

そこで、彼は見てしまった。
煙で曇る視界の中でも、ハッキリと捉えてしまった。
敵の群がる狭間から捉えてしまった。

この事態を予測するのは簡単だった。
考える事も簡単だった。
だが重成自身、無意識にそれを考える事を拒んでいた。
意図的に考えまいとしていた訳では無い。
『恐怖』が、重成に意識させなかったのだ。

「あ……ぁ…」

声が溢れた。
それは敵の雄叫びに掻き消された。
息が出来なくなった。鼓動が急速に早まった。
煩い位に耳に届く、自分が生きている音。
だが、彼が生を実感する事は無かった。

押し寄せた恐怖に足が竦む。
意志が恐怖に支配され、脳裏を犯してゆく。
琥珀色の瞳が、恐怖に揺れた。



見えない
何も見えない
見たくない
貴方が横たわる様を見たくない
私は見たくない
貴方は私の『絶対』なんだ
私の『生きる意味』なんだ
意味を失ったら、私には

何が残るのですか


何も残らない。
今のままでは

今のままでは-----

歪む視界の中で頭を抱えた。
何かが自分の中で崩壊している。
地面が揺らいでいる。
天地が逆転したような錯覚。
立ってすらいられない。


精神状態は余りにも不安定だというのに、
彼は手に持った刀を離さなかった


         
      
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