ある凶王の兄弟の話


□崩壊する音色
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思えば、取り留めもない事をひたすらに考えていた。
城を巡回するように回って階段を降り、虎口にたどり着くまでに様々な事を考える。
足取りは重い。
鉛を足に取り付けているかのような鈍い感覚。
なのに半比例するかのようにどんどんと鋭くなる思考と鼓動。
冴えた頭で重成が考えているのは、今置かれている状況。
彼は門へと向かいながら天守閣の前まで敵がやって来た事を疑問に思っていた。
何故そこまで敵を通してしまったのかが理解出来ない。
まず城内は完全な無人ではない筈なのに。

不自然な程に静まり返る空気。足音は一つ。
歩く音も、話し声も、畳が擦れる音も他からしない。無音の城内。
現状に意識を戻せば、それも妙に気掛かりに感じた。
外では派手な爆発音や衝撃波の波が伝わってくる。
だが城内だけが、まるで廃墟となったかのように静まり返っているのだ。
三成や己以外の小姓や家臣、女中、外の情報を知らせる電報の役割を持った足軽達。場内に控える忍達。
誰かが居る筈だった。
なのに、

「……」

突き付けられる現実はいつだって残酷だ。
目を背けたくなる現実の『絶望』
階段を降り、突き当たりで右に曲がる廊下に、全ての答えがあった。
正確には、そこに答えが捨てられていた。
隠されもせず、曲がった瞬間に目の前に飛び込んで来た殺風景。
常人なら気を違えても不思議ではない光景。
目の前に広がった殺風景。
現実味のない風景。
そんな光景が突如重成の前に姿を現す。

城の人間が幾人も惨殺されていた。

重成は思わず絶句した。
細い目が見開いた。
窓から差し込む風や光がその風景の虚しさを飾り立てる。
叫ぶべき言葉を失う。
足軽も、家臣も、女中も、老若男女関係無く殺されていた。
天守閣へと上り詰めたあの黒田兵の仕業だろう。でなければ潔白な大阪城からこんな泥臭さを感じないだろう。
嗅覚は麻痺していた。既に天守閣から人の中身の臭いが充満し、眼前の血の匂いにすら気付けなかった。
ここは既に『終わった』場所だった。
酷い。
無残としか表現のしようがない場所。
女中の清楚な服は深い赤に染色され、足軽の背や腹部には切り傷が生々しく顔を覗かせ、人や壁、障子に付着した血は乾いて黒く変色している。
中には敵だと思われる亡骸も混在している。ここで豊臣の人間も少なからず戦っていた証拠なのだろう。
何故この騒ぎに気づけなかったのかと、己を呪った。
この惨事が起こり始めたであろう時に気を失っていた己を苛(さいな)めた。
ここで悔やんでも何も変わらないのは分かっているのに、
だが、その後悔が表情に出る事は無かった。
少し瞠目した程度で気分を害する事もなければ死体を目にして眉を顰める事もない。
何かに八つ当たりも、大声を出して取り乱しもしない。
だからこそ自分が今、どこにいるのか分からなくなる。
この光景を目の当たりにして、揺れ動かない上部の表情も、心も、我ながら気味が悪い。
だが、奥底には意志が存在した。
意志に従う。
従えば、己は微笑んでいた。
薄く、薄く笑いかけ、金輪際動かない家臣達に優しく言っていた。

「…皆様、お疲れ様でした」

たったそれだけだった。
生気を失った見知った顔を目の当たりにしても尚、今迄の思い出も、何も話さない亡骸に語りかける事はなかった。
既に心で悟っていたのだ。
豊臣の意思を受け継ぐ者が、もう僅かだという事を。
豊臣の政権はもはや取り戻せない空想となった事を。
太閤が殺され、その軍師まで殺され、更に家臣を亡くした今、完全に豊臣は「過去」となってしまった。
いくらここで悲しもうと嘆こうと、それは不変の事実。
幾ら悲しもうと太閤はいないし、どれだけ嘆こうと亡き人々は戻って来ない。

地獄絵図の中を進む。
足元で冷たい血が跳ねる。人から零れ落ちた臓器を踏み締める柔い感触すら、踏みしめて前へ進む。

分からない。
心と言葉のどちらが本心なのか。
何が本心なのか。
…いいや、本心なんてとうに捨ててしまったのかもしれない
自分自身を見えない世界へと追いやってしまったのかもしれない。
何も感じない訳ではない。
喜怒哀楽が欠落している訳ではない。
心情は人並みに振れるが、その度に自分を圧し黙らせてしまう。
今だって、動揺していないと言えば嘘になる。
だが焦っているかと問われると肯定も出来ない。

父の言葉だろうか。
父の言葉が私をこのようにしてしまったのだろうか、
違う。
私はきっとこうなることを望んでいた。
自分で望んだ事なのだ。
その結果、こんな気味の悪い人間になってしまった。
当然の末路の何を疑問に思う事がある。

一体、何齟齬を起こしているのだろう。
そんな些細な疑問さえ脳裏を廻るのみ。
思考を断ち切る。
そこでやっと見えた城の大きな扉。
いつもは何気なく通っている道が、今日は随分と遠く感じる。
遠い回り道でもしたような気分。

門では塞ぎきれなかった喧騒の声が扉の隙間から聞こえてくる。
外で目の前の事しか見えていない足軽達や三成は、城の中の惨事には気付いていないのだろうか。

扉が近付く
自分が近付いているのに、妙な錯覚だ。
惨劇を目の当たりにしたせいで狂った呼吸を落ち着かせながら、城の扉を開けた。





        
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