ある凶王の兄弟の話


□始まりの鎮魂歌
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弾丸は確かに三成を狙っていた。
だが視界の端に映った銃に対し、三成が機敏に反応しない訳がなかった。
だからこそ重成は、三成が此方に気付いた瞬間に引き金を引いたのだ。
勿論三成はそれを刀で捌き、一瞬の隙を官兵衛に突かれぬように彼から距離を取った。
普段とんでもない速さで動く三成だ、弾丸を弾く程雑作も無い事なのだろう。
どう考えても、殺意の込められていない鈍(なまくら)な銃だった。
周囲の足軽が金属音を確認した時には、その全てが既に終わっていた。

官兵衛と三成は、お互いに体力を削り合っていただけらしく、目立った外傷は双方に無かった。
それもその筈、官兵衛が囮として三成を引きつけていたからだろう。
大きな衝撃音を撒き散らしていた辺りから、手加減をしていた訳ではないらしいが、
恐らく三成にも官兵衛を殺すつもりはなかった筈。
敵の頭を殺してしまえば後に残るのは狼狽える兵士。
今は北条のように見せしめる役割は必要ない。三成と重成は、あくまでも敵を服従させるために戦うのだ。

三成は勿論、自分に銃を向けた兄弟を睨んだ。
だが対の重成の瞳に三成は映っていなかった。
彼は三成の視線を気にする素振りも一切見せず、銃口を向けながら官兵衛を睨みつけた。

「そこまでにしろ。お前は失策した」

重成がそう唸れば、ひとしきり強い風がその場を凪いだ。
それが酷く冷たく感じた訳でもないのに、官兵衛はカタカタと大仰に歯を鳴らした。

「お前さんが知っているのは…まさか…!!」

「……」

重成は沈黙で応える。
照準を官兵衛に合わせる。
撃鉄さえ倒していない単なる脅しのつもりだった。

「なんてこった……!」

それに気付いているのかいないのか分からない。いや、こうなってしまった以上気付いていようといまいと変わらない。
重成が口を開く前に官兵衛は機敏に空を仰ぐ。
吠える
空に向かって吠える。

「なんてこった!!小生が囮になって大阪城を中から叩き潰す完璧な策が……!!!」

沈黙。
重成は眉を顰める。
元々、そういう意味で「失策」と口にしたわけではない。
寧ろ、客観的に見れば官兵衛の策は殆どを成功している。現に城内は荒らされ、多くの家臣が殺された。官兵衛にとってのイレギュラーがあるとすれば、重成が城に差し向けた兵の全員を手に掛けた事だろう。
官兵衛の策は完遂された。そういった意味で口にした言葉だったが、
どう相手に受け取られたかはその一言で十分だった。
話のタネが辷(すべ)った後のような滑稽な空気。
強ちその比喩は間違っていないだろう。
黒田軍の兵は感動詞を口々に言いながら額に手を当てている。

後方で吉継の哄笑する声が聞こえる。
官兵衛の策をこちらから看破する前に自分で墓穴を掘ったのだから。

「官兵衛…今…何と言った!!?」

一人だけ、明らかに異なる反応を示した者が居た。
言わずもがな、三成である。
三成は更に畳み掛ける。
感情の赴くままに、声を張った。

「もう一度言ってみろ!!!その驕り高ぶった為体を切り刻んでやる!!」

官兵衛は失言に気付きしばらく下を向いていたが、すぐに立ち直り三成を睨み返した。
官兵衛にとって失言や不幸は日常茶飯事の事らしい。長い前髪を揺らしながら体制を整える。

「あぁそうさ!小生はいつもこんなもんさ!ツキの星を掴めないのも全てはきっとお前さんのせいだ!!」

そういって彼は、大きな鉄球を振り回す。
空気が殴られる鈍い旋回音。
手慣れた鉄球の扱い方だ。動きの一つ一つに隙が無いのが伺えた。

「こうなりゃ強行突破だ。小生はこんな所で、引き下がれる訳がないんだよ!!」

官兵衛が振り回していた鉄球が、横から薙ぎ払うように繰り出される。
軌道に入っていた三成と重成は、その鉄球を跳躍して避けた。
常軌を逸した五間以上もの高い跳躍である。
時間を置いて官兵衛の鉄球を見ても分かる。
始めに官兵衛の鉄球を受けた時と比べようのない鉄球の速度だった。
常人が捉えられるか捉えられないか、分からないようなスピードだったのだ。
この速度が物語る事は直ぐに理解出来た。

官兵衛は本気だ。
本気で頭蓋を砕くつもりで鉄球を振るっている。
策士とは言えど、官兵衛は侮って勝てる相手ではない。
秀吉や半兵衛は、かつて彼の腕っぷしも評価していたのだ。
ならば、何も考慮する必要はない。
第一三成だってそれを感じている筈である。
今の失言を差し引いたとしても、ここまで剥き出しの殺意を目の当たりにしておいて、黙っていられる程三成は温厚ではない。
兄弟であるためか、ヒリヒリとした怒りが彼から伝わってくる。
重成は伝わってくる怒りに呼応するかのように撃鉄を倒し----
三成は収刀した柄に手をかけた。

官兵衛は二人が攻撃の態勢を取った事にいち早く気付くと、その鉄球の勢いを殺す事なく再び二人を狙って斜めに鉄球を振り回した。
官兵衛の鉄球はいつも右回転だ。
つまりは必然的に、官兵衛の右側にいる三成に早く鉄球が行き着く事になる。
重成は三成に襲いかかる鉄球に向かって発砲した。
よほど重い鉛のようで、弾丸は鉄球に弾き返され、軌道をずらす事さえ出来ない。
再び銃を回転させ、素早く撃鉄を倒してトリガーを引こうと、鉛玉の軌道はズレもしない。
いや、これ以上無理に撃たない方が良い。計算だって万能ではない。万が一鉄球に弾かれた弾が三成に命中してしまったら事だ。

三成はその鉄球の一撃を刀を構えて防御した。
まだ空中に滞在する彼らにとって、避ける選択肢はない。
空を蹴って官兵衛に近付いた所で、後方に回った鉄球をどう官兵衛が操るか知れたものでもない。
官兵衛の殺意を帯びた鉄球が、三成の刀を直撃する。
かつてない衝撃が三成を駆け巡る。
そのまま直に衝撃を受けた三成は、重成を巻き込んで右に吹っ飛んだ。
衝撃に見舞われ視界が反転する。
自由落下しているのは重成も同じであったからこそ避けられなかったのだ。
だが易々とに地面に叩き付けられないのが二人だ。重成は眩む視界の中で官兵衛の枷を捉え、素早く撃鉄を倒して発砲した。
見事に官兵衛の枷に命中し、妙な声を上げて後方に倒れた官兵衛は、結果的に鉄球を引く形になる。
動きの緩んだ鉄球を、三成が弾いた。
三成に弾かれた鉄球は、主の元へと勢いを付けて返っていく。

「ぐぇっ!」

鉛玉が鈍い音を立てて座り込んだまま無防備な状態の官兵衛に衝突した所で、やっと地面に足がついた。
足がついた瞬間、二人は咄嗟に迎撃の体勢を取る。

少し横を見れば、三成が頭部から出血していた。
最初の重成と同じく、当たり所が芳しくなかったらしい。
防御の体勢を取っていたとはいえ、衝撃の全ては受け止められなかったようだ。
三成は頬をつたう血を乱暴に拭うと、官兵衛に言った。

「無駄な足掻きはやめろ官兵衛。貴様の敗北は決定している」

そう言って彼は、収刀した刀の柄頭を転げたまま呻く官兵衛に向けた。
悪あがきはやめて、さっさと降伏しろ
三成はそう言ってるのだ。
頭に血管を浮き彫りにさせてはいるが、珍しく激昂していない。
官兵衛の短慮な行動に怒る事さえ馬鹿なのだと三成も思い始めたせいなのか。
何にせよそれは良いことだ。
下手な怒りは冷静な判断を鈍らせる。

「妙な動きはするな。これ以上結果を先伸ばしにする事は認可しない」

官兵衛は乾いた唇を噛み締めた。
三成を睨みつけたまま口角を歪める。

「クククク…ッ」

何かを企んでいる。
だが何を考えているかまでは重成も想像が付かない。
不敵な低い笑い声。

「重成…お前さんは初めから左腕を負傷していたよなぁ…お前さんが右手で銃を扱っている。それは左腕にでも深い傷を負っていると考えても良いんだよなぁ」

「…何が言いたい」

突然傍らに居た時にそんな事を言われ、若干の戸惑いに似た何かを覚えた。
正確には肩なのだが、左腕を使えない事実は同じだ。

「!!」

その時だった。
官兵衛相手に油断していた訳でもない。
いつもそうだ、
反応は出来たのに、動かす身体が及ばない。

官兵衛は己と鉄球を繋ぐ『鎖』を操った。
枷を引いて鎖を波打たせ、鎖を重成の周囲に巻き付け始めたのだ。
それも重成から見て左からの襲撃。
重成を取り囲むように周りを回転する鎖。
反射的に出た左手が軋み、痛みに身体が怯んでいる隙に官兵衛の鎖がどんどんと身体に纏わりつく。
官兵衛はそれを見越していた。
負傷した重成といえど、正面から鎖を巻き付けられて動じずに傍観している訳がないからこそ、左からの攻撃で使えない左手を使わせたのだ。
元々官兵衛は豊臣に属していた。重成が戦慣れして、攻撃に対し大半を反射のような動きで反応する事を知っての事だろう。
今回はその反射が裏目に出てしまった。

頑丈な鎖はすぐに解けない
あの重い鉛玉と官兵衛を繋ぐ枷の鎖なのだ。重成が簡単引きちぎれる訳が無い。

「くっ…!」

身体に重い鎖が巻きつき、身動きが取れなくなる重成。
官兵衛が強引に枷を引いたせいで重成はバランスを失い、受身が取れずに地面に這いつくばるように顔から着地してしまう。

「ガーッハッハッハ!!小生の運はまだ尽きてはいなかったな!」

「弥三!!」

「おっと、お前さんに言われたことをそっくり返してやるよ。『妙なマネはするな』、小生に近づけばこいつがどうなるか、言わなくても分かるよな?」

「……!」

官兵衛が伏した重成の銀髪を枷で押し付けた。彼にも余計な抵抗をさせぬ為であろう。
対する重成も動かない。
左肩の傷がじくじくと痛む。傷を庇う事も出来ないまま堪えていた。
三成は動かないまま歯を軋ませている。
重成の角度からではそれは伺えないが、ピリピリとした空気で理解出来た。

「ククククク…」

官兵衛は決定打のように低い調子で言う。

「形勢逆転だな、三成」


      
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