ある凶王の兄弟の話


□智将の理
1ページ/3ページ




「…そうか、半兵衛殿が遂に」


鬱金色の眩しい程の服に身を包んだ青年に、一報の朗報が届けられた。
青年---家康は、その朗報に対し表情を固くして悲しみを表していた。

遠江国敷知郡、三方ヶ原周辺。
なだらかな岩場がそのまま削り出されたような地形で、草木は少なく、砂や小さな岩盤が剥き出しになっている。
所々に櫓を伴う陣がそびえ立つ。
空は快晴で、高所から全てを一望出来るような澄んだ景色。
櫓を含め、その領域の広範囲に立ち並んだ旗の数々。
旗には、丸に三つ葵が描かれていた。

徳川軍の拠点。
報を知らせに上がった兵に対し、家康は小さく感謝の言葉を述べる。
一礼した兵はそのまま家康の前から立ち去った。

「…浮かない顔だな、徳川」

家康の目の前にいるのは、孫市だった。
現は、半兵衛が死んだと世に情報が巡り始めて幾日かが過ぎた時に当たる。
雑賀衆は豊臣との契約を解除し、拠点に戻っている最中に家康からの文を受け、ここにいるのだ。
その文の内容とは-----

「お前は、石田と戦う為に我らを呼んだのではないか?」

孫市の問いに対し、家康は少し頭を持ち上げて言った。

「その通りだ」

グッと、彼の拳に力が籠る。

「三成は絶望に生きている。ワシは三成を救いたい。三成や重成を、絶望から救ってやりたいんだ。その為に孫市殿、ワシに力を貸してくれ」

依然、彼の瞳には鮮明に表れている。
未来の日ノ本の姿が、
誰もが平等に、平和に、
争いの起こらない平穏な世の中が。
家康は争いを終わらせる為に争っているのだ。
孫市にもそれは分かっていた。
むしろ、これ程真っ直ぐな思いが伝わらない人間が何処にいようか。
だが、孫市は言った。

「カラスめ」

ハッキリとそう言い切った。

「我らは武力だ。争う相手を屠(ほふ)る武力。我らに慈悲は無い。それは敵に対する侮辱だからだ。それでも尚お前は石田を救うなどとふざけた戯言を使うのか」

強く、家康を咎めるような言葉。
孫市がそう言い切るのは、家康の言う事に対する矛盾があったからだ。

「…確かに…貴方の言う事ももっともな意見だ」

家康は再び目を伏せてしまった。

「だが、武力がものを云うのが世の辛い現実だ。力のない群衆の言葉は届かない。だからこそワシは敵軍にこの声を届けたい。雑賀衆に、徳川の『声』になって欲しい」

「声…クククッ」

孫市は低く笑った。

「お前らしい言い回しだ。傭兵部族を『声』だと?おかしな事を言う」

嘲笑する孫市に対し、家康の瞳は一切揺るがない。
家康の信じる『絆』
その力を嘲笑う者がいることは紛れもない事実だからだ。
馬鹿にされるのが初めてではないからだ。
どれだけ笑われようと、滑稽だと指を刺されようと、家康はもう揺らがない。
後には引けない。
引けば、三成を救えないと考えているからだろう。

「だが私は、そんなカラスが嫌いではない」

孫市は緩く足元の砂を蹴った。
彼女の冷たい豪火のような瞳が家康を突き刺す。

「だが忘れるな。契約でお前に加担しようと、我らの頭領は我ら自身だ」

家康はその言葉に強く頷いた。

「勿論だ。ワシはお前たちを決して縛らないと約束しよう」

家康の瞳には確証が宿っていた。
これからの事など分かる筈がないのに。誰にでもある、人間万事塞翁が馬の理を打ち砕かんとするかのような強い精神の表れなのか、
良き意味でも悪き意味でも、吸い込まれてしまいそうな眼に見える。
孫市はフッと小さく、再び笑った。

そのまま彼女は、手に取った銃の銃口をゆっくりと天へと向けた。
轟音、

三方ヶ原に轟く銃声が、一層に兵の気を引き締めさせた。



      
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ