ある凶王の兄弟の話


□丹波国の甲虫
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一方三成と重成率いる石田軍は、とある総大将に会うために安芸の国から更に西へと向かっていた。
毛利の治める中国から距離のない場所である。
隣国と言っても大差ない場所だ。
中国から馬を飛ばしても、一日は掛からなかった。
半日は有したが、日を跨いで安芸へ訪れた彼らにしてみれば近い。
人の跡に出来た道を走り、見晴らしの良い丘を越え、海沿いの道を渡った。
着々と過ぎ去る時の中をひたすらに駆け抜けた。

やがて深い森林の手前で馬を置いて、ゆっくりと雑木林の中を進む。
大くの目的は馬を休ませる為だが、長く乗馬し続けると危険を伴ってくる。
それに今回の目的地にはあくまでも話をする為に向かうのだ。奇襲を仕掛けるためでも恐喝しに行く訳でもない。
他軍の大将を前にして乗馬したままというのは、些か礼儀が成ってないというものだ。

手綱を引いて馬を誘導する。
目指す城は、もう目前と迫っている。重成はその隊列の中に居た。
最前線で天君を引きながら歩く、三成の右斜め後ろである。
同じく天君の手綱を引きながら、重成はゆっくりと歩く。
耳元で天君が息を荒くしている。天君は重い漆黒の甲冑を身に付けて走っていたのだ。手綱からも疲労が伝わってくる。
もう少しだ。気休めにそんな想いを込めながら天君の顔を覆う甲冑を撫でてやった。

今回、吉継の姿はない。
吉継はあのまま毛利の船に残り、元就と軍議をすると、重成は吉継から聞いていた。
嘘偽りを感じるのはいつものことだ。だがこれが嘘だろうと本当の事だろうと、構わない。
吉継が不在だからこそ今回は重成が三成の補佐となるのだ。
彼は普段、三成とは別行動を取っている。
偶然で行動が三成と重なる事は多いが、補佐と言われる程三成の手助けをしたことも、監視した事もない。
目に余る短慮な行為の数々は止めて来たものの、常に自分は三成とは異なった存在として振る舞っているつもりだった。
目立つ銀髪や顔貌、風貌が似通っている事から、やはり同一視や影武者と思われる事は避けられない様だが。

だが、今回は補佐として。
目立ってしまっても、存在が表に出てしまっても仕方がないという気持ちで。
吉継の代わりを果たそうと、そのような心構えだった。
何せこれは吉継から頼まれた事だ。
彼からの頼みは無下にはできない。
勿論、それには吉継が策士だからというだけではない。
個人的に思う所も多々ある。
例えそれが彼の掌で踊らされていようとも構わなかった。
吉継は吉継の利害の為に動いているとすれば、こちらもまたこちらの利害で動いている。
利用するのは、三成のように表裏のない者を選ぶ。重成のように疑り深い者の行動を誘導しようなどと、態々選ばない。
それに、こちらに告げていない事情があるとこちらが察している事など、とうに吉継は知っているはず。
利用し合う位が丁度良い。
陰謀を追求せず、『気づかぬふり』をする重成はそう思っていた。

ふと、思う。
他人を心から信頼していない。
それは確かに自覚している。
だが本当に自分は、吉継の事を心から信頼していないのだろうか。
一挙一動を疑っていると言い切ることに抵抗がある。
しかし信頼していると言い切るには、些か互いが隠している事が多い。
どちらなのだろうか、
或いはどちらでもないのだろうか。
心に問いかれど一問一答に回答がない。

「重成様ーッ!」

思いを馳せている中で、唐突に遠方から声を掛けられる。

「はい」

解けない問題を放棄し、振り返りもせず己を呼ぶ声に応える重成。
今の声は恐らく己が名を呼んだ足軽には届かない程に小さな声であったが、そんなことはどうでもいい。
声の位置が遠いものだったことから察するに、きっと声を掛けたのは足軽だろう。
しかも相当焦っているのか、走ってこちらに来ているのが声から分かる。
足軽は重成の後ろで止まり、歩調を合わせたと思えばぜぇぜぇと息を切らしている。
聞いてるこっちが息苦しい。
足軽と思しきその声は、息継ぎの合間に言葉を紡ぎ始めた。

「貴方様に…お渡ししたい物が」

こんな時に…?

重成は疑問符を頭に浮かべる。
何事かと振り返ってみれば、重成に声を掛けていた足軽であろう人が一番に眼に入った。
その足軽は目が合うなり小さく一礼した。目上の者を前にする最低限の礼儀。
突き出された彼の両手に乗せられていたものに、重成は少し目を見開いた。

「これは…」

使い古された柄巻に特徴ある鍔。
二藍を帯びた鞘に乱暴に巻かれただげの下げ緒
鞘の鐺に刻まれた『大一大万大吉』の家紋
間違う筈がない、それは重成が長く愛用していた無銘の刀だった。

「何故これを…これは失墜した筈です」

「数人の兵士が大阪城に残り、崩れた城門の下から見つけ出したものです。どうかお受け取り下さい」

困惑した。
重成は相手の仕草を模倣している為に感情まで汲み取る事が出来ない。
他人の為に城にまで残り、己が刀を探し当てた上、その刀がここにあるという事は、見つかった暁に後を追って来たのだろう。
何故赤の他人の為にここまでするのだろうか。
その神経が理解出来ない。
…いや、
むしろ、その神経は自分が一番良く知っている筈。
何せ己は小姓だったのだから。
他人に尽くして生きていたのだから。
しかし、いざ自分が逆の立場になれば違和感を覚えるものだ。
風評は嫌でも耳に入る。
普段は何を考えているか分からないと、毛嫌いされる存在だと思っていたのに。
ずっとそういった視点でしか見られていないのだと思っていたのに。
実際は違ったのだろうか。
いや、違うことはないのだろう。
足軽も兵士である前に人間だ。個人が十人十色の考えを持っている。
このように赤の他人に貢献したいという酔狂がいてもおかしくはないのだろうか

「…私の為に随分と皆さんを走らせてしまったようですね、感謝致します」

重成は差し出された刀を受け取り、静かに微笑んで見せた、
微笑みさえ誰かの模倣でしかないのだが、感謝の意図を伝えたいという気持ちは偽りではなかった。
足軽は重成の笑顔を見るなり満足そうな笑みを返し、再び小さく一礼する。
それだけを渡したかったらしい、刀を手渡した後は踵を返し、後ろの隊列へと戻って行ってしまった。
疲れが残っているのか、歩いているとも取れるような小走りだ。
重成はその背を見送った。
足軽の姿が完全に隊列に溶けるまで眼を離さなかった。
足軽の姿が見えなくなって向き直った重成は、受け取った刀を少し抜き、刀身を確認した。
目立つ汚れはない。官兵衛が奇襲を仕掛けて来たあの時に失くしたのだ。抜き身のままで瓦礫に埋れ、さぞや刀身が傷ついている事だろうと思ったが、そうでもないらしい。
違う。
鎺の部分にうっすらと打ち粉が残っている。己が残すことのない手入れの跡だ。
きっと物好きな兵が探し当てた上に手入れまでしてくれたのだろう。
これから先銃一丁で乗り切るとなると不安な所だった。
また新たな刀を打ってもらうという手もあるのだが、それでは刀が手に馴染むまで時間が掛かる。
それに常人を逸した居合を使う重成や三成が扱うとなれば、鈍な刀などすぐに痛んでしまう。
頑丈な刀でなければ居合を思うように振るえないのだ。
刀自体にそれ程執着がないとはいえ、感謝に絶えない。
重成は収刀する。
金打の音が酷く懐かしく感じた。
刀から他人の温もりを感じた気がする。
勿論それは物理的な意味ではない。重成の心の奥底から感じたのだ。
それが何の幻影かまでは計り知れない。

「見えました」

そんな中、後方の家臣が言葉を紡いだ。
重成は擽られたような気分を一蹴させ、気を引き締めると同時に前方に注意を向けた。

深い森林の先には、美しい紅葉の数々が佇んでいた。
人工的に植えられた木々だろう。
紅葉の間から徐々に建造物が見えてくる。
重成は既に、今向かっている城の総大将とは少しの面識があった。
話したこともあるがそれ程良好と言えるような間柄ではない。
今向かっている城主は、元来から豊臣の従属関係に当たるからだ。
故に、豊臣が滅んだ今、その意思を継いだ石田軍が城主の意思の確認に向かっているのだ。
用心に越した事はない。

紅葉を抜け、石垣に囲まれた道を進んで角を曲がった所で、重成は自分の眼を疑った。
まず目に飛び込んできたものは、一軍分の量はあるであろう、大きな竈にのった鍋。
櫓も無ければ権力の象徴である本願も見当たらない。
広い廓の中で存在を主張しているのはその大きな鍋より他はなく、設けられている階段や段差の数々も鍋を取り囲むように造られており、大き厨房にいるかのような、そんな気分になった。

「…これはまた、あの方らしい城の造りで」

第一印象ガッカリなその城に向かって、一人重成は呟いた。
三成はこの地へ何度も赴いていた為であろうか、驚く様な素振りは一切見せなかった。
どうやら初めてこの地を訪れたのは兵士も含めて重成だけらしく、きょろきょろと忙しなく辺りを見回しているのは自分だけなのだと、それに気付くのさえ結構な時間を使ってしまった。我ながら滑稽だ。
一度足を踏み入れれば、竈の火の前に何やら人の列が見えてくる。
明らかにこの城の兵の列であることが伺えた。

「うっ…うわぁぁあぁぁぁあああ!!!何で三成君と重成君がこんな所にぃ!!?」

その隊列の真ん中辺りから聞こえてきた声は、総大将の風格にはほど遠い、怯えた時に出すそれとまるで同じだった。

    
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