ある凶王の兄弟の話2

□死へ誘う僧侶(上)
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三成と重成の前に現れたのは、将の類ではなかった。
長い白髪を腰まで垂らし、袴姿で薄い甲冑を身に纏い、肩上に掛かった当世袖からは烏の羽根が覗いている。
全体的な雰囲気は僧に近い。だが何よりも目を奪ったのは、二つの鎌を持った死神のようなシルエットと目元から顎にかけて顔を覆う轡(くつわ)だった。
その常軌を逸した人影が一歩、一歩と、ゆっくりとした動きでこちらへ歩み寄っている。
サラサラと歩みに乗じて揺れる長い髪は、不気味な雰囲気を漂わせていた。
上から降り注ぐ太陽の光が落とす彼の影は、歪な形で地面に映し出されている。
まるで、影の落ちている部分だけぽっかりと風穴が開いているかのような、そんな言い知れないような禍々しさがあった。
彼は髪の隙間から覗く眼で、三成を見つめていたが、見ているものは人間の本質のように思えた。
人を見透かして捉えているかのような、不思議な瞳である。
その目に圧倒されたのか、はたまた僧を睨みつけているのか、三成は彼を見つめたままで沈黙していた。
三成と重成から適当な位置に来ると、彼は足を止めて仏頂面を一変させた。

「初めまして、凶王様とその御兄弟様。お初にお目にかかれて光栄に御座います」

長髪の男は大鎌をひらひらと扱いながら三成に向かって一礼をした。
目を細めている。表情の多くは轡の存在により伺えないが、きっと笑っているのだろう。
すぐ傍で総大将が倒れているというのに、焦燥を一部たりとも感じさせない動きだった。
或いは、本当に焦りを感じていないのかもしれない。
倒れている者が秀明故に、別の理由もありそうではあるが、
三成は眉間に深く皺を刻みながら突如現れた男を睨みつけている。

「誰だ貴様は。邪魔立てを許可した覚えはない」

三成が一声掛けると、彼は眉尻を下げながら目を細めた。
頭を下げる仕草をした後、三成の様子を伺う様に言葉を紡ぐ。

「これはこれは申し遅れました。私は天海。しがない僧です」

謙遜の混じった台詞だ。武将とは違う。
その袴姿から見ても、装備の薄さから見ても、天海と名乗った僧を戦闘に加担する将の一環とは捉えられない。
だが重成は、そんな天海を穴が空く程に凝視していた。
確かに重成は天海という名を聞いたことがない。恐らく初対面だということも重々に承知している。
しかし何かがおかしい。重成は初対面である筈なのに、違和感を覚えているのだ。
幸いなのか幸いでないのか、天海は三成に夢中で己の事は眼中にない様子である。
重成は薄く、感じているのだ。
いや、確信しているのだ。
天海が単なる僧侶ではない事を。

「うぅ…遅いよ天海様ぁ…」

顔にいくつもの青痣を作った秀秋が弱々しく告げる。
嗚咽の混じったいつもの秀秋の物言いだ。
秀秋が彼の登場を待っていたということは、秀秋はこの僧を信頼しているということと同等の意味を持つのだろう。
恐らくこの天海も、秀秋が強気であった理由の一つに値する人間なのだ。

「…」

…いや、それでは辻褄が若干噛み合わない。
天海は己を僧だと言った。だが秀秋は厚く信頼を寄せている。
他軍の者と僧を合わせて和解でも頼み込むつもりなのだろうか、確かに弁舌達者な人であれば可能ではあろうが、相手は理屈や詭弁の通じない三成だ。
三成が話を聞かない事は服従関係にあった故に秀秋もよく知っている筈だろう。
それでも信頼に足る人間だという事は、それ程天海とは弁論に優れた人材なのか、

いや、違う。だとしたら天海が両手に持っているあの禍々しき鎌は一体何なのだ。
問答の駆け引きなら武器は必要ない筈。
それに、三成が天海の存在を知らないとなれば、彼は比較的小早川軍にやってきた新参なのだろう。
三成は何度もこの地を訪れている。天海がいたならばこのような態度を取るわけがない。
僧故に部屋に篭っていたという可能性も低い。この者が主に秀秋の側に着いている事を秀秋の一言が表していた。
一体何者なのか、
噂にも全く聞き覚えがない。

「おや、これは失礼しました金吾さん。祈りに没頭しておりまして、僧にとって祈祷は命の次に大事な事ですから」

天海は三成を前としているにも関わらず、緊張の色を見せていない。

「邪魔をするのであれば貴様も、金吾諸共斬るだけだ」

低い三成の声。
刀の頭を天海に向けながら眉間に皺を作っている。
機嫌を悪くしているのは一目瞭然だった。
天海は三成にゆっくり向き直る。
サラリと、彼の長い髪が肩から落ちた。
怒りに染まった三成を見ても至極冷静に応じる。

「金吾さんは私を拾って下さった恩人です。何を致せば貴方の許しを得られるのでしょう」

「御託を並べるな」

三成が圧の篭った声で言葉を紡ごうとした、その時だった。

「!」

突然、重成が天海に向かって走り出したのだ。
それも走り出しただけではない。左手に持った刀を振り上げ、今にも天海に斬り掛からんとするような、そんな体制をとりながら。
鞘を被ったままとはいえ、十分に腕の骨一つへし折れる程度には振り上げている。
居合ではない。完全なる力に任せた婆娑斬りだ。
髪の隙間から覗いた隻眼には何の諧謔も混じっていない。重成は怒りの爆発しそうな三成を差し置き、突如にして天海に襲いかかったと、そうとしか形容のし難い行動に出たのだ。

その刀は完璧に人間の心部を狙っていた。
戦慣れした身体は一度刀を振るえば致命となる部位を狙ってしまう。
しかし不意打ちにも似た重成の一撃を、天海は両の鎌を交差して受け止めた。
慌てた素振りが一切ない必要最低限の動きだった。
秀秋は情けない声を上げて目を逸らしたまま頭を抱え込んでいた。
三成は茫然としている。
小さく重成を呼んだにしろそれ以上の事を何も追及しなかった所を見る辺り、重成に理由があることを察しているのだろう。
ギリギリを不愉快な金属音がその場を駆ける。
両者共力を一切緩めない。
天海の眼は眉尻を下げて細まっている。轡の奥で嗤っているのだろう。
まるで天海は久しい感覚に悦び震えているような、重成にはそのように思えた。

「まさか貴方が凶王様より躁急とは、思ってもいませんでしたよ」

小慣れた刀の受け止め方といい、自らを僧と名乗る天海が只者ではないことは明白だ。
何せ、戦場に身を置く人間ならまだしも、日夜仏壇を目前とするの者が逃げもせずに得物を受け止める思考をする訳がない。
それに重成は飛び掛かる前から感じていた。
この者から錆びたような鉄の匂いを。
これは血の匂い。嗅ぎ慣れてしまったあの匂いだ。
しかし、天海から発せられる幽香には生気を感じられなかった。
幾人もの血が混じり、固まって、本来の香気を失ったかのような気味の悪いもの。

「…腥(なまぐさ)い。貴方はただの僧侶ではない。一体何者ですか」

「さぁ…貴方には私が誰に見えますか?」

「私には人間の皮を被った魑魅(すだま)に見えます」

鞘を被ったままにも関わらず、力点が大きな火花を散らした。
鞘の笄と栗形という、下げ緒を結う部位に鎌が当たり、不快な金属音と火花を撒き散らしているのだ。
当然、重成の刀の下げ緒は乱暴に鞘自体に巻き付けてあるので、笄は最早飾りであるが

「質問を変えます。僧侶、天界よ。何故貴方は私が石田三成の兄弟なのだと御存知なのでしょうか」

「……」

依然、天海は沈黙した。
眼は細まったままだったが、表情が変化した事が伺えた。
そう、
重成の存在は大阪城以外、何処にも知られていない筈だった。
重成自身、表での名声を嫌う為だ。他軍の報告に入るような功績を称えようと、それは悉く三成一人の手柄だと、遠慮を貫き続けていた。
そんな重成知り置く人がいるのだとすれば、豊臣と従属関係にあったような者のみだ。
最近になって小早川軍に新入し、尚且つ面識すらない筈の天海が重成の存在を知っているのはおかしい。
しかし、天海はこう言った。

「…金吾さんから、教えて頂いたのですよ」

重成は天海の眼を睨み付けていた。
嘘は目に動揺として滲んでいない。しかし発言のどこかに偽りを感じた。
秀秋が自ら三成や重成の話を好き好んで持ち出す訳がない。
他人に恐怖を覚える対象の話をして、自ら傷口を抉るような者がどこにいようか。

天海の謎は深まるばかりだ。
重成は天海の鎌を弾いた。
天海は弾かれた鎌の重みに耐えかね、重成から二、三歩の距離を置いた。
対の重成も態勢を整える為に天海から少なからずの距離を取る。
刀は構えない。
それ以上の接触を図ろうとしない。
一度手を出したとはいえ、必要以上の衝突は避けたいと思っていた。
僧であるのに、この者の放つ瘴気の傍にいると気分が毒されるような、そんな言い知れない不安に陥ってしまう。
天海は言い放つ。とてもとても、楽しげな声だった。

「さぁ…貴方なら、私を愉しませてくれるのでしょう…?」

轡の奥で、天海の顔が歪んだ

        
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