ある凶王の兄弟の話2

□(下)
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三成は鞘に収めた刀の柄に右手を掛けながら進む。
居合の基本の型だ。三成は戦闘においてこの方法をよく要いる。
対する重成は切っ先を地面に摺りつけながら天海に駆けだしていた。
居合の型ではない、通常よりも深く腰を落とした介者剣術。
鞘を投げ出した今、左手は刀の柄に添えられている。
得意とする居合がなくとも、剣術は心得ている。状況によっては銃器と刀を両手に持って戦う事だってある。
居合は三成には劣れど、それを始めとした多彩な技量こそ重成のアドバンテージだ。
銃を壊されようと鞘を奪われようと、そして刀を取り落とそうと、
相手から奪える武器の一つでもあれば、それで事足りるのだ。

「!」

目の前、左から飛び掛かって来る二人に対し、天海は何の抵抗も示さなかった。
驚く事にも彼は両の腕を上げ、無防備な胴を晒して見せたのだ。
無謀とも取れるその行動を前に、重成は疑心に支配される。
重成に刀を振り上げる事を躊躇う。
そのせいで、彼は天海に向かって駆ける速度をも緩めてしまった。
何の躊躇もなく天海に攻撃を仕掛けたのは三成だった。
三成は下方から抜刀と共に刀を振り上げた。
無防備な天海は、その斬撃を避けようともしない。
軌道上にあった天海の右肩から血が溢れ出す。
しかし彼は苦悶の声を上げることもなく、己から噴き出す紅を眺めているかのようだった。
本当に痛みを感じていないのか…?
ある筈のない疑問さえ脳裏を過る。
いや、違う。
嗤っている。
天海は嗤っている。
重成は天海の表情から、恍惚とした笑みを感取した。
見えている訳ではない。表情の多くは轡により遮断されたままだ。
何故分かったのかは当の本人にも分からない。

「消えろ!!」

三成は天海の表情には目もくれていない。
当然だ。三成は戦闘の最中に敵の顔色を伺うような事はしない。
一方的に居合を仕掛け続けている。
完全に攻撃は一方通行だった。
しかし、不思議な事に三成が肩を斬りつけても、また足を斬りつけても、腕を斬りつけても、甲冑では防ぎ切れない三成の居合が身体を一文字に薙ごうと、
天海は無防備な体制を一切解かなかった。
自ら斬られる事を望んでいる。
痛みを前に、恍惚としている。
一体何を考えている。
自分よりこの者の方が、よっぽど何を企んでいるのか分からないのではないか。

目の前の光景にぞわぞわと身の毛がよだった。
これは懐疑の為ではない。
不安の為に起こるものでもない。
第六感の危険予知。
脳髄に悲鳴のような不安感が増々押し寄せてくる。
事態を前に、最早躊躇っているような時間は残されていない。

「三成!!」

重成は勢いを殺すべく、前転しながら落ちている銃を拾い上げた。
目に見えないような早業で撃鉄を倒したかと思えば、低姿勢のままで三成に向かって発砲した。焦燥していた為に、三成を完全に捕捉出来なかった。

「!?」

三成は重成が発砲したことに反応出来ていた。
こちらに銃口を向けていた事も分かっていた。
しかし無我に居合を続けていたのだ。突然放たれた弾丸には身体が及ばなかった。
それに重成が焦燥していた為に、彼は弾丸に明確な殺意を上乗せ出来なかった。
殺意なき攻撃に三成や重成は反応出来ない。
剥き出しの殺意が乗せられている攻撃だからこそ、重成や三成は脊髄反射で攻撃を避けられるのだ。
この弾丸に完全なる殺意があれば、三成も余裕がなくとも完全に躱す事が可能であっただろう。
だが、殺意なき弾丸は結果、三成の右足を掠めた。
弾丸に身体の均衡を崩された三成は、ガクリと膝を折ってしまった。
天海が動いたのは、その刹那後だった。

為すがままに斬られていた天海は、我慢していたものを吐き出す様に突然鎌で横振りに空間を薙いだ。
いや、単に薙いだと表すには、覇気の有り余る攻撃だった。
まるで、空間そのものを裂いたような、そんな幻覚さえ起きるような一撃である。簡単に人一人は両断できる。
そんな一撃が、かつて三成が膝を折らなければ確実に受けていたであろう場所で薙がれたのだ。
一瞬でも遅れていれば、三成は確実にこの一撃を受けていただろう。
まるで、いつぞやに見た中国古典の芭蕉扇が目の前にあるかのようだった。
凄まじい強風が重成と三成の視界を奪った。
全身をピリピリとした風が横切る。
勢い余って天海の鎌から飛び出した衝撃波は、風に紛れ、周囲の兵士を味方敵なく鎌鼬のように切り刻み、或いは吹き飛ばし、一切を拒絶した。
周囲から兵士の悲鳴が駆け巡る。
強い風圧は、天海から距離を置くにつれて空気に溶けていく。
それは、因果応報を形容したかのような天海の技だった。
鎌を振り切り、空を仰ぐような状態で静止した天海は、静かに言った。

「あぁ…懐かしい声」

耳を澄まさなければ聞こえないような声だった。
余韻に浸る天海に間髪入れず、弾丸が放たれる。
全てが拒絶された静寂なる空間に、雷管を叩く破裂音は一層に周囲に響き渡った。
天海は見抜いていたかのような動作で弾丸を避けた。
いや、見抜いていた訳ではないだろう。
見抜いていたのなら、きっと天海は避けなかった筈だ。
予感していなかったからこそ、反射的な動きで避けてしまったのだ。
発砲した者は重成だった。
先程の衝撃に耐える構えを解き、煙を吹いた銃口を向けている。
重成はあの光景を目にした後でも、決して戦意を失わなかった。
いや、それ所か敵対心は増していると言っても過言ではない。その眼には怒りを露わにしている。
中身のない怒りを模した眼で、髪の隙間から覗く天海の隻眼を睨みつける。

「周囲の事を考えて頂きたい」

普段より低い声で重成は唸った。
天海は重成にゆっくりと向き直る。

「それは失礼しました。どうにも自制が効かないもので」

天海は眉尻を下げ、またも嗤った。

「勘が優れている所は『生前』とお変わりない様子で安心しました。しかしながら突然凶王様に発砲されるとは、随分と手荒さは増してしまったようですね」

「…あの状態で兄上に警告は届かないと、そう判断したまでです」

重成は撃鉄を倒した。
既に引き金を引けば十分に天海に傷を負わせられる。
しかし、重成が撃鉄を倒した事に気付いた天海は言った。

「おや、これ以上は貴方の矜持を汚す事になるのでは?」

銃口を向けられても天海は姿勢を変えない。
言い方こそ遠回しであれ、天海はこう言っているのだ。

此処から先は容赦ナシの殺し合いだ、と

成る程、今まで他人を巻き込んだとはいえ彼は手加減を加えているつもりだったのだろう。
相手が本気を出すなら、己も本気を出す。
相手が殺すつもりなら、己も殺すつもりで掛かる。
重成がそうする事を知っての上で天海は言っている。
重成は眉間に僅かながら皺を寄せた。
天海を睨み付けたまま問う。

「私よりも忘れてはならないものがあるのではないでしょうか」

天海がその一言に首を傾げたと思った時には、既に事が終わっていた。

ひやり、と冷たい感覚が走る。
天海の肩下辺りに、刀が通っていた。
正確には、刺さっていた。
少し視線を傾ければ、己の血で真っ赤に染まった刀の切っ先が見えた。
衝撃を感じる間も惜しい速さで、肩を貫かれたのだ。
天海の肩を貫いたのは三成だった。
彼が重成に意識を向けている時に、気付かれないように後方から攻撃を仕掛けたのだ。
重成も三成が襲撃しようとしていた事を知っていた。
それを見た上で重成は天海に向かって態と発砲し、意識を三成から逸らすようにさせた。
以心伝心な二人は話し合いのなき連携に優れている。
天海は自分が窮地に追いやられた事も、どこか上の空のような気分で、そう感じていた。

天海が肩を貫かれても、重成は天海に銃口を向けたまま警戒を解かなかった。

     
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