ある凶王の兄弟の話2

□夜の胡蝶
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小早川軍に徳川との裏切りを迫った夜。
昼の喧騒を微塵も感じさせない静寂なる闇が広がる。
風も静かな夜だった。獣の鳴き声も聴こえなければ木の葉を動かす一縷な風さえ感じられない。
松明の木が爆ぜ、城門にいる足軽の影を歪に映し出している。
空に浮かぶ月は、鮮やかな下弦を模っていた。
雲一つないどこまでも広がる空にたった一つ、月が寂しげに浮かんでいる。
下弦の明るさのお陰で星も満足に見えない。

石田軍は秀明の鳥城で明日の進軍の為に羽根を休めていた。
羽休めの他にも目的がある。ここに留まって吉継を待たなければならない。
現に、吉継は石田軍に残された策士なのだ。そんな彼を差し置いて無闇に行動できない。
重成は鳥城のとある一室の中、乾いた布で銃を拭いていた。
掛軸と生け花が添えられただけの、質素な一室。
夜の闇と同じく彼の周囲は静寂に包まれていて、唯一音を出しているのは手元からの布と銃が摩擦する程度。
何本も灯る蝋燭の灯を頼りに手元を動かし続けた。
長年使用し続けている、いつもホルスターから下げている銃。
使用し続けているとは言っても、この銃は最も重成が重宝しているとだけあって、泥や汚れの一つもない。
それ所か金属光沢が月や蝋燭の光を反射して眩しい程に輝いている。
銃身から銃倉にかけて紋様が彫られている。
貰い受けた当初から刻まれているものだ。
花を模して彫られたのであろう。広がる様に美しい曲線がいくつも彫られている。
曼珠沙華が彫られているんだろうと思う。
別名を死人花や狐の松明、天蓋花と、良くないイメージで知られている花だ。
誰がどういった意図で彫ったのかは知らないが、自分にはお似合いの花なのだろうと、この紋様を見る度に思う。

銃自体はかなり改良を重ねた為にほぼ原形を失っている。
美濃筒に似た外郭だったが、今や書で見た南蛮の銃を参考にして改造を繰り返したせいで南蛮で作られた銃と嘘を吐いても通ってしまうような形になっている。
改良を加えた部分は、木製だった部分を固い鋼で覆って盾としても扱えるようにしたり、撃鉄の部分に大きな改良を施したりと様々だ。
構造もより良い物へと変えている。打ち出す雷管の無駄を省き、更に弾丸の速度を増幅させた。
元々この弾倉には貫通力の高い弾を入れる筈であるが、重成はその弾倉にさえ手を加えて、貫通力の低い弾丸が入るようにした。
人を殺す為に用いらないからだ。
打ち出す力を上げて貫通力の低い銃弾を用いている理由は人体をあまり狙わない事にある。
重成が現時点この銃を使用する場合に望んでいる事は、敵の無力化だ。
貫通力が高ければ武器を破壊させられるだろう。しかしその壊れた武器の片鱗が使用者に危害を加えたらどうする。
流血の可能性は自分の矜恃に反してしまう。
故に貫通力の低い弾丸を使用し、武器を破壊せずに弾く事を可能にしたのだ。
その威力が減った分速度で補った。そうする事によって鈍くも鋭い一撃を繰り出せるのだ。
とはいえ、銃は人を殺める事を目的とした武器に違いない。どれだけ改良を加えた所で結局は人を殺められるという事実は変わらない。
重成の施した改造は、そんな可能性をほんの少しでも小さくした。ただそれだけ。
一時はいっそバレルさえ変えてしまおうかとも思った。
カスタマイズを重ねて原形を失っているとはいえ、あくまでもこの銃は太閤から譲り受けた物。
三成が刀を貰ったように、重成も太閤からの贈り物として受け取った物だ。
三成であれば、使えども汚したり鈍にしてしまったり、そのような事は決してしないであろう。
彼が持っているあの刀が良い証拠だ。
重成も初めは、何の改良もされていないこの銃をよく使用していた。
だが、銃は刀程頑丈な作りではない。大半は火縄銃のように、木製の物が多い。
重成が与えられた銃は火縄銃や大砲に比べれば遥かに高性能な武器だっただろう。片手で扱える大きさで、尚且つ携帯出来る。
しかし、その一丁の銃のみで戦場を渡り切る事はどうにも不可能だった。木で出来た銃身は刀を受け止める度に歪み、最終的には火薬が暴発してしまうまでになってしまった事を覚えている。
当時は銃への関心も、使い方もよく心得ていなかった故に使い方を誤っていたのだろう。
壊れた銃とはいえ、太閤から貰った物をむざむざ捨てるような真似はしない。
大阪城の書を紐解いた時に、南蛮の武器についての書が大量にあったことが幸いした。
書に目を通すと、南蛮の銃は日ノ本より発展が著しく進行している事を知った。
多量の書に沿って改良を繰り返した、その結果がコレだ。
特に関心がある訳でもないのに、我ながらよくやったものだと重成は思った。
別段改造するのが好きだった訳ではない。使えない物を使えるようにした。ただそれだけ。
もしかすると夢中になり過ぎた故に時間を忘れているだけなのか。
今となっては何を思っても後の祭である。

重成は布を滑らせた。
鋼は重成の顔を僅かに反射して映し出す程に金属光沢を放っている。
ふと気付く。
左側面の紋様を隠すように刻まれた、刀を受け止めた後の溝がレリーフのようになっている。
鉄より硬い強度を誇るこの鋼を傷つけたのは三成だろう。
元就と三成の間に割って入ったあの時の傷だ。
三成の一撃を受け止めた時に刻まれた痕。それがくっきりと鮮明に残されている。

「……」

嘆息した。
明らかにこれは元就を殺すつもりで放たれたもの。
元就がどういった行動に出ていたかは分からないが、仮にあのままでいれば元就に致命傷を負わせてしまっていたのは確実だ。
下手をすれば命まで奪っていたかもしれない。
元就があんな所で命を落とすような者には見えなかったが、そんなほぞを噛むようなことを考え続けても仕方がない。
いつまでもあんな調子で刀を振るわれて困るのはこっちだ。
困惑していた吉継の顔が今でも目に浮かぶ。
あのような状態ではこの先が不安だ。
吉継のせっかくの策略をいつ台無しにしてしまうかも時間の問題になってくる。
吉継自身も、計画通りにいかないのは慣れたものだと言っていたような気もするが、

「…これから先、このままではいられない」

ぽつりと独り言を言った時、どこかで戸棚がゆり動くような音が聞こえた。
重成はその僅かな音に対し、敏感に反応する。
明らかにこの部屋からではなかった。一つか二つ程、障子を跨いだ先から聞こえたのだ。
敵襲かもしれない。秀秋を狙ってどこからかやって来た刺客かもしれない。
今秀秋を襲撃されては取り返しのつかない事になる。
総大将の命を狙う連中なら追い払わなければ。
胡座の体制から徐々に身体を持ち上げながら、重成は銃をホルスターに仕舞い、音を立てないよう刀を手にした。
もう一度物音が聞こえないかと耳を澄ましながら、余計な音を立てないようにゆっくりと立ち上がる。
相手が自分の存在に気付いていなければ良いのだが。
細心の注意を払ったままで障子を一気に開け放った瞬間、人影が目に入った。
すかさず柄に右手を添えて、今にも抜刀せんと低姿勢を取った。
しかしその人影は、重成に気付くと酷く肩を震え上がらせた。

「うわああああぁあぁあ!!重成君ッ!!!ごめんなさい!!ごめんなさいぃいい!!!」

振り返ったかと思えば、渙発入れぬ速さで頭を床に打ち付け始める。
土下座の態勢をとっていたのは、今守るべきだと考えていた秀秋本人であった。
他に家臣や足軽の姿は見当たらない。とても総大将の所在とは思えない場所だ。
注意を払っていたので、秀秋が叫んだり謝ったりと、喚く声は耳が痛くなる程に大きく感じ、思わず両目を閉じて頭を劈く声に怯んだ。

「…秀秋様。何故お一人このような場所に」

重成は警戒を解き、縮こまったままで情けない悲鳴を上げた秀秋の頭に向かって問い掛ける。
張りつめた意識は一蹴され、間の抜けた気分に陥った。
そんな重成の気分も知らずに、秀秋はガンガンとしつこく頭を畳に打ちつけながら言葉を続ける。

「つまみ食いしていたなんて誰にも言わないでえぇぇえ!何でもするから三成君にだけはぁぁああああ!!」

自ら何をしていたかも、何故此処にいるのかも全てを自白した。
確かに、言われて見れば振り返った秀秋の背には化け物野菜が大量に入った鍋が見える。
鍋をつまみ食いしていたと言うのか。大きさからしてつまみ食いの域を超えている気がするのだが。
三成に何度も殴られていまだに腫れが引いていない顔だった。
その上鼻水を垂らしながら泣きじゃくっている。酷い有様だ。
重成は、必死に謝り続ける秀秋を見て、少し肩を落とした。
落胆している故にではない。張り詰めた気が抜けて嘆息をしているだけだ。

「勿論他言は致しません。それ以上面貌を痛めては威容に傷がついてしまいます」

この秀秋の態度からすれば威容の「い」さえ唱える事も憚られる訳だが、
弱腰が目立っていても秀秋は名目上、あの家康と同じく総大将だ。
秀秋は恐る恐る額を上げた。
秀秋の顔を見て、重成は思い出す。己は彼に言いたい事があったのだという事を。
しかし、秀秋と重成には身分の差がある。発話することはほとんど諦め、胸の内に仕舞っておこうかと思っていた。
これは類希な幸運か、

座り込んだ秀秋は立ったままの重成を見上げる形になる。
泣き顔が向けられる、改めて見ても酷い顔だ。
にこりとも笑わず、それ所か表情を変える事もなく重成は口を開く。
いつまでもにこにこと作り笑いで媚びるのは御免だ。

「却って、秀秋様に許しを乞うのは私の方にございます」

「…え?」

返ってきた思わぬ言葉に、秀秋は目を白黒させた。
そんな秀秋を尻目に、重成は頭を深く下げた。
表情が変化している様子は感じられないが、深い腰の落とし方からして並みならぬ誠意が現れている。

「誠に、お詫び申し上げます」

冗談とは取れぬ重成の行動に、秀秋は胸の前であたふたと両手を横に振った。

「いやいやいやいや!どうして重成君が謝るのさ!…あ、もしかして君も何かつまみ食いしてたの?」

違う。
が、謝罪の意図を示している時、重成は他に何も考えない。
謝罪すべき事だけを頭に刻み込む。太閤を前にしていた時からの礼儀である。
他にはその礼儀が見えないし、分からない所を見ると、礼儀というより節度と言った方が正しいのかもしれない。

「我が身内の無礼極まりない横暴の数々。決して許されるとは考えません。どうか、傍観していただけの私に許しを乞う許可を」

秀秋は、ただ呆気に取られていた事だろう。理由を述べた後の不自然な時の隙間が証左。
謝罪しているとはいえ、重成は許して欲しいとは思わなかった。
実際に起きた事を謝罪しようと、失った信用は元には戻らない。そう考えているからだ。
頭を下げるこの行為も建前上の模倣でしかない。
所謂、中身のない形骸的な謝罪である。

秀秋は首を横に振った。
俯く重成の顔を覗き込むような眼をしている。

「いいんだよ、重成君が謝らなくたって。それに僕、三成君の暴力には慣れてるし、いつもに比べれば、まだ優しい方だったよ!だから顔を上げて、ね?重成君」

「…」

二人きりで、誰の目も届かない場所であれば、秀秋の態度は至極落ち着いていた。
身に合わぬ役柄だが、こういった場面を数多く体験しているのだろう。
他人の過剰なまでの謝罪に対し、こうも動揺せずに平静を失わない事が証明していた。
それに、秀秋はこういった事に怒りを覚えない。普段は温厚な人である。
食べ物絡みとなれば話は別な様だが、

重成はゆっくりと頭を上げた。
腫れた顔のまま、柔和に微笑む秀秋が目に入る。

「…感謝の念に絶えません」

穏やかで柔和な微笑みにつられて、口角が上がる事はなかった。
そう。これが普段の自分なのだ。
他人の目を見て話しても、何処か遠くを眺めているような眼。
いくら眼を覗かれようと、そこには偽りの本心があるだけ。心の中は霧が掛かったかの様に霞んで見えない。
澄んだ瞳の中に隠された靄。
それが本来の重成であるのだ。
重成をよく知る秀秋は、彼の硬い表情を見ても姿勢を崩そうとしなかった。
重成が凶王の兄弟であれど、
三成のように残虐性を秘めていようと、
また仮に恐ろしい力の持ち主であれど、
秀秋は重成が、自分に似て穏やかな意志を持っている事を知っていた。
三成のように、眼が合っただけで睨まれたような緊迫感を覚える事はない。
何故なら重成は、決して自分に牙は向かないという確信があるからだ。
実際、何を言っても彼は秀秋の前で怒りを露わにしない。
悲しみも喜びも、そして今の感謝も、彼はいつも言葉で表現していた。
それ故の安心感があった。激情に動かされて暴力を振るわれる事がないという安心感だ。

「そうだ!この鍋、重成君も一緒に食べる?今日も上手く出来たんだよぉ〜!」

自慢気に鍋を見せる秀秋。
重成はその鍋に浮かぶ化物野菜に眼を向けるなり、微妙に眉間に皺を寄せた。
勿論それは秀秋からは、髪に隠れて見えなかった事だろう。

「…此度は遠慮致します。秀秋様が隠れているとなれば、尚更です」

秀秋は「そうだった!!」と、驚嘆する素振りを見せる。コソコソと隠れてここにいた事を忘れていたらしい。
鍋に気を取られていたのやら、重成に気を取られていたのやら、
重成は感嘆の声を殺し、小さく一礼した。

「では、これにて失礼致します」

静かにそう告げると、重成はくるりと踵を返し、そのまま立ち去ってしまった。
道中にある障子を静かに閉め、彼の姿が見えなくなった後にも畳が擦れるような足音は暫く続く。
秀秋は残念そうにその音に耳を傾けていた。

「気が向いたら、いつでも二人鍋しようね…」

消え入りそうな声で言った。
寂しさを隠すように、秀秋は鍋の煮汁を掻き込んだ。

           
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