ある凶王の兄弟の話2

□名は体を表す
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吉継が宣言していた通り、出立の準備は翌日の午後に行われた。
既に石田軍は烏城の前で兵糧を詰めたり、武器を積んだり、目的地の確認を急いでいる。
その傍らでは小早川軍の者が助太刀をしている。

多くの兵士が準備に勤しむ中、重成は急ぐ彼等に眼を泳がせていた。
吉継には、手持ち無沙汰の兵士に命令を下す事だけを任されていた。
そうでなくとも重成は、素質の有無は目を瞑るとして小姓ではなく一軍を預かる将軍だ。今や兵士を導くのは責務の一環だ。
どこともなく目を泳がせていると、前の進軍準備の際兵士を手伝うと申し出た所、家臣に激怒された事を思い出す。
命令を下す立場をを放棄するな、
余計な仕事はするべきではない、と。
あの時は余計な口答えで話を長引かせたくないと思って黙っていたのだったか。
下らない思い出だ。
よくそんな事を覚えていたなと、自分に言いたくなる。

「重成様、これは如何致しましょうか」

横隣から声がした。
視線を傾ければ、眼前にいたのは一人の足軽だった。陣笠を深く被った足軽が、何かを両手に携えたまま歩み寄ってくる。
先程足軽が言葉で指したのはそれだろう。
見るからに刀と言い表すには過ぎた武器だ。
形状こそは刀と同じであれど、その全長はゆうに6尺を超えている。
知っている。これは斬馬刀だ。
騎馬の馬ごと斬れるように打たれた異国出身の大きな刀。
欠点はあまりの重さに扱える者が少ない事。
実際重成も斬馬刀は扱えない。
使おうとすれば全ての型を犠牲にする必要がある。戦法として不可能ではなかろうが、その大きさに必要性を感じない。
今まで戦場に立った中でも、斬馬刀を使用している敵は見たことがない。
現在では神社の奉納に使用されたり、戦に使われたり、未だにその用途は曖昧。
兵がそんなものを持ち出して来たという事は、この烏城に斬馬刀がいくつもあったのだろうか。

「それは…この烏城にあったものですか」

「はい、城の格納庫にいくつもこのような武器が…。小早川には過ぎた武器かと」

貴方が秀秋様には過大な武器だと判断するべきではない。
喉まで出かけた言葉を押し留めた。
三成が秀秋を尻に敷いている面が兵士にも表れている。大勢の面前であのような情けない秀秋を見れば無理もないかもしれないが。
別段重成は秀秋の味方をしたい訳ではない。ただ、彼の背景に斟酌して欲しいと思っているだけだ。
弱い者を苛むのは気にそぐわない。
しかし、今更自分がそれを表立って口にした所で顰蹙を買うのは眼に見えている。
他人に明かすのは止めた重成にとっては、ほんの一縷な問題である。

「まさか烏城の武器まで持ち出すつもりですか」

「はい、三成様からはそう仰せつかっております」

「…そうですか」

困った。
三成が小早川の戦力まで削るつもりでいたとは知らなかった。
無理矢理とはいえ、体裁上は秀秋とは同盟を組んだ仲だ。武器まで着手しては物盗りと変わらないのではないか。
過度な武器の徴収は一揆を起こした農民からだけにしてほしい。

重成は兵士が手にしている斬馬刀を一瞥してから言葉を紡ぐ。

「烏城に置いておきましょう。過度な武装は馬の重荷になりかねませんし、ここの奉納物かもしれません」

「了解致しました」

快く提案を受け入れてくれた兵士は、すぐに重成に一礼して立ち去ろうとした。
その時だった。
意識していなかった部外から、声が掛けられた。

「従う必要はない」

唸るような低い声色。
その声がよほど恐ろしかったのか、去ろうとしていた兵士は身体を強張らせた。
重成は兵士の動きを不審に思いつつ、声のした方向に眼を向けた。
そこには一際周囲とは違った佇まいの三成がこちらを見ながらも立っていた。
三成はこちらを見ているだけだろう。しかし三成の視線には、まるで睨み付けているかのような圧を感じる。
三成の足元の砂利が音を出した。

「みっ、三成様…!」

兵士が震える声で言う。
深く被った陣笠のせいで目は見えないのだが、その様子からして怯えているのは間違いない。三成は兵士の様子を気に掛けることもなく、こちらに歩み寄りながら圧の掛かった声で言った。

「使えると判断した物は全て帯出しろ。貴様らに思慮遠望は必要ない」

今の言葉は斬馬刀を持った兵士に向けられた言葉だろう。
三成の剣幕に圧され、兵は顔面を蒼白とさせながら一歩引いた。

「はっ、ははぁッ!」

兵士は畏まってそう言うと、三成に素早く一礼し、逃げるように立ち去ってしまった。
一部の兵は三成を恐れている。今の者は三成を恐れている兵の一人だったのだろう。
だからこそ重成に質疑をした。今の態度を見ればそうとしか思えない。

三成は重成の隣で立ち止まった。
重成はそれを気に掛ける事もなく、去った兵士の背をぼんやりと眺め続けていた。

「貴様もだ弥三。奴等に妙な告口をするな」

三成に眼を遣れば、まるで見下すかのような眼で彼はこちらを見ていた。
事実、重成は何寸か三成に身長が劣っている。隣に並ばれてしまっては物理的にも見下されている訳だが。

「先程の者から聞きました。烏城の武具を持ち出す必要はあるのですか」

「愚問だ。手抜かりがあってはならん」

「本当にそうでしょうか」

「何が言いたい」

眼を細める三成を他所に、重成は辺りを右往左往する兵士達に眼を向けた。
斬馬刀を積むか否か、それが最後の仕事であったらしい。
それらの武器を運んでいる間、兵士の大方は既に隊列を作っていた。
多勢の馬も控え始めている。既に進軍は可能な状態だ。家臣が馬車の近くで集いながら話をしているのが見える。遠くで荷車を引く天君が高く嘶いた。静寂を纏い始めている空間。
厳粛な空気が将軍の言葉を待っている。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し。及ばすは猶過ぎたるに勝れり」

三成はフン、と鼻を鳴らした。

「下らん」

重成は微笑した。
嘲笑ともとれるような曖昧な笑顔である。

「同感です」

その言葉が言い終わらない内に、三成は歩き出した。

「後に続け。私に遅れを取るな」

「謹んで承ります」

重成は三成の右斜め後に続いた。
三成は列を作る兵士達の中央を歩く。
足軽達は一糸乱れぬ動きで三成の道を開けた。
ガシャガシャと甲冑が擦れる。道を作った足軽は一斉に抜刀し、反対側の足軽と刀を交差させ、穹窿型の一本道を作った。
刀で出来た一本道を、三成と重成は進む。
アーチを作る兵の隙間から秀秋の姿が見えた。不安げな表情でこちらを見詰めている。
いつも秀秋が三成に向けているものと同じだった。
一瞬だけ眼が合った。
重成は秀秋に笑い掛けなかった。
秀秋が表情を変える前に眼を逸らす。
勿論、誰の目もなければこんなことはしていない。あの畳部屋で話したように、言葉の一つでもかけておきたい。
しかし、他人の目がある場所にいる以上、軽率な行動は慎まなければならない。
所詮は重成も小早川軍に危害を加えた石田軍の一員。
連帯での風評は自分につきまとう。

重成は道を進みながらゆっくりと眼を閉じる。
立場を弁えるのだと自分に言い聞かせた。
大将である自覚を持てと自分に言い聞かせた。
三成のように冷徹であれと自分に言い聞かせた。
再びゆっくりと眼を開ける。三成の後を真っ直ぐに追った。

道の最奥には天君と吉継が控えていた。
出立前の厳かな空気を体感するのは何度目だろうか。
天君の鬣を撫でる。いつもと変わらず、天君は嬉しそうに息を漏らした。
三成と重成は天君に跨った。
その瞬間、出立の法螺貝が城全体に鳴り響く。

「いざ!進軍せよ!!」

大きな声でそう告げた家臣は大仰に采配を振り翳した。
兵士を乗せた馬は嘶き、一斉に走り出す。
石田軍は烏城の虎口を抜け、土が剥き出しとなった一本道を走った。

ふと、重成は烏城に振り返った。
烏城の天守閣の露台に誰かがいるのが見えた。
白く靡く髪に、不気味な出で立ち。
間違いない。あの人物は天海だ。
天海は高台から傍観するようにこちらを眺めていた。
それが見えたのも、眼が優れている為に確認出来たのだろう。

「……」

一体、あの者が何を考えているのか、最後までその思考さえも理解出来ずにいた。
前を向く。

天君の手綱を力一杯に握り締めた。



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