ある凶王の兄弟の話2

□碇の矛先
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辺りはすぐに砂煙に巻かれてしまう。地面から立ち上る微細な砂の数々が、晴天の空に不似合いな霧掛かった空間を演出していた。
人工的で眼に痛い霧。その中心では、人々が争い合っている。
石田軍と長曾我部の兵士が互いに互いの鎬を削り合い、火花を散らしている。
金属音。木製の武器。一面を覆い尽くす怒号や雄叫びの数々。
もはや行住坐臥として耳に付いた騒音。その中でただ一つ、全くの静寂に包まれている場所があった。
砂煙が舞い上がる事もなく、周囲の兵は一切その空間に立ち入ろうとしない。
まるで隔絶された空間が、戦場の真中に存在しているかのようだった。
隔絶されたその空間には、人影が三つ。
元親と三成と、その背後に控える重成である。
自軍が争い合っているというのに、そんな事さえ眼中にないとでも言わんばかりの静寂である。
周りの喧騒を尻目に、ただ日に暖められた温い風が地を撫でる。
風に揺られる白髪。
異常なまでに人の視線を集める。

「一つ、聞いておく」

元親が重い口を開け、こう切り出した。

「何故野郎共を殺した。アンタと殺り合う前に理由が聞きてェ」

激しい雄叫びが耳殻を埋め尽くしているというのに、元親の声だけは本当に隔絶されているかのように耳に届く。
彼が緩く体勢を変えると同時に聞こえる微細な鎖の音までもが、聞こえてしまう。
彼に注目しているからであろうか。
答えは、いらない。
必要ない。

「何の事だ」

三成は一つ瞬きをするとキッパリと言った。当たり前とでも言うかのように、
いや、当たり前なのだ。
三成は当たり前の事を言っている。
彼は何もしていなければ何も知らない。そう答えるのは当然の事である。
だが、元親はそんな三成の一点張りな台詞を聞く度に眉間の皺を深めた。まるで彫刻に刻まれた、何本もの深い線。阿修羅のようだとも思った。
隻眼がギラリと色を増した。

「とぼけてんじゃねぇ!!アンタの仕業って事は分かってるって言ってんだろうが!!」

ドスの利いた元親の低い声が劈く。
三成の白を帯びた顔は徐々に怒りで赤みを帯びてゆく。
眼を三角にした三成の怒りが、背を見詰めていても伝わってくるようだ。
しかしこの状況。どう考えても両者の話が通じるとは思えない。
だからといって重成が口出しをしようと、元親は聞き入れはしないだろう。
ましては元親の兵士を殺したのは石田軍ではないと、己だけが知る事実を口にした所で信じでもらえるとも思えない。
むしろ、信じて貰えた方がおかしいような状況。だが何も発言しないよりはマシなのかもしれない。
時間だけを引き摺っても無意味だ。ここは今や戦場の真中。
優勢に立つか劣勢に立つか、勝敗さえどちらに傾くか分からない。

「兄上の仰っている事は本当です」

怒りを彷彿とさせる三成に代わり、重成は元親に言った。
元親は短く声を上げると、視線を三成から重成に移した。
初めて目が合う、元親の隻眼。
今まで彼の事は意識の範疇にもなかったらしい。元親は初めて目にする石田三成に良く似た風貌の重成を前に、少し驚いたような素振りを見せた。
重成は意に介さず続けた。

「兄上は何も知らない。貴方が何故ここに来たのかも、きっと理解出来てはいないでしょう」

「だったら、アンタは何か知ってるってのかい」

問い掛けられた質問に対し、重成は少し沈黙した。
別段次の言葉を考えている訳ではない。実際、海賊相手に言葉を選んでいるつもりもなかった。
彼はさも可笑しげに肩を竦めた。
勿論、表情には歪みの一つも見当たらない。真っ向なる真顔である。

「…貴方に、今更何を語ろうとむだだ」

「ほォ、言ってくれんじゃねェか」

元親の口角が、少しだけ上がった。
形は笑みを模っていようと、その心中は煮えたぎる熱湯のように昂っている事だろう。
脚に力を入れる元親。
隻眼は、より怒りの色を増していた。

「だったら是が非でも…その貝よりも開き難そうな口から聞き出してやるぜ!」

元親が二人に向かって、とうとう走り出した。
砂を蹴る元親。砂浜には慣れているらしく、流砂の流れに足を取られていないことが伺えた。
彼の怒りを形容したかのように、獲物の碇槍はひとりでに火花を纏っている。
ただ元親が持っている。それだけで火花が上がっているのだ。
恐らくあれは、元親の丹田から生み出される力の形なのだろう。
火花。火炎。
そう、炎だ。

駆けてくる元親に対し、応戦する体制に入ったのが重成で、
望む所と言わんばかりに迎撃したのが三成だった。
元親に襲いかかる三成。
重成はその対応には、大層驚かざるを得なかった。

「!」

そんな重成の驚愕も虚しく、三成の居合と元親の一振りが、大きな金属音と炎を撒き散らして交差した。
一足遅れてやってきた衝撃の波は瞬時に潮風を巻き込み、周囲の砂煙と共に争う兵までもを薙ぎ倒した。
重成は地を踏み締めて衝撃の波に耐えた。
最も近辺にいた故に、熱風が肌を焼いた。
幸いにも甲冑が盾となったお陰で軽度ではあるが、その力は侮れない。
元親の丹田から発生する炎は、激情によって大きく量を左右されるらしい。序盤から手加減を加えず、更に相手の出方を伺う事なく突っ込んで来たのが良い証拠だ。
しかし、それがこちらにとって必ずしも好都合ではない。
それによって圧倒されている。
長曾我部元親という海賊が、いかに怒らせると恐ろしいのか。
その実態を見せつけられたかのような気分だ。

三成は顔に脂汗を浮かべた。
その表情には、いつもの冷静さを感じない。
元親の炎の熱によって汗が浮かんでいる訳ではない。
碇槍だ。
碇槍の衝撃があまりにも強く、三成は腕が痺れてしまっていた。
弛緩した腕には力がうまく入らない。
手加減して元親に居合を仕掛けた訳ではない。
全力と全力がぶつかった反動だ。
加えてこの炎と熱風。
三成でも、元親は一筋縄で敵うような相手ではないのだ。

元親が碇槍を一度大きく振るった。
三成は後方に吹き飛ばされる。
重成は視界の隙間から、三成の姿をしっかりと捉えていた。

「兄上!」

気付いた時には身体が動いていた。
重成は吹き飛ばされる三成に向かって、その俊足で駆けた。
砂粒に足を飲まれる前に走る。
海の流砂を踏んだのは初めてだったが、その感触に浸っている暇はない。
間一髪の所で重成は飛ばされた三成の背を抱き止める。
それでも勢いは衰える事なく重成と三成は崖に叩きつけられ、大仰に砂埃が舞い上がった。
元親は碇槍を担いだ。
怒りに塗れるその堂々とした佇まいは、誰もが鬼と例える事だろう。

「どうした凶王さんよォ。まさかそれが、アンタの実力ってのかい」

砂煙は潮風に吹かれ、すぐに二人の姿を露にした。
重成は三成の代わりに崖に叩きつけられた形になり、眼を瞑ったまま小さく呻き声を上げていた。
しかし、三成はそんな重成に感謝の意図を見せる所か歯を剥き出しにして怒りを示していた。

「邪魔をするな!貴様に助けを乞うた覚えはない!」

重成は三成の怒りに構っている暇はなかった。身に受けた衝撃があまりにも強すぎたのだ。
息が出来ない。
息をしようとすれは過呼吸になる。
これが怒り狂った西海の鬼の実力。
手加減が一切加えられていない一撃。重成はそれを充分体感した。
それは三成とて同じ筈なのだが、彼は力の差を理解しようとしない。
恐れを知らないのは十分な長所なのだが、現状ではそれが短所になる。
敵わない相手に恐れを知らずに立ち向かった所で、犬死するだけだ。
重成は、閉じた目を薄く開けて三成に言った。

「お逃げ下さい…今の西海の鬼は…私達が敵う相手では…」

三成の歯がギリリと音を立てた。
立ち上がると、彼は崖に背を任せたまま項垂れる重成の頸部に刀を突きつけた。
鋭い形相で睨み付けながら、三成は捲し立てる。

「敵うか敵わぬかを決めるのは私だ!」

重成は、俯いたまま少し瞠目した。
彼の瞠目に気付いたのか否か、すぐに三成は刀を収刀した。

「貴様は貴様に出来る事をやれ。弥三がすべきはこんな事ではない筈だ」

そう告げると、三成は忠告さえ聞き入れるような余地もなく、再び元親に向かって駆け始める。
当然重成には、その背を追うような気力も残っていない。
同時に追うつもりもなかった。
初めてだった。
三成に己の行動を愚かと指摘され、自分でもそう思ったのは初めてだった。
何時如何なる時も、三成は重成が思う程に浅はかとは限らない。
いや、今の言動も十分に愚かだ。
愚かで、どうしようもない。
しかし、それは確かに正しくも感じた。
目の前を捨てない。その浅ましくも一貫した行動が。
己には死んでもできない、

「私に、出来る事…」

手足に力を込める。
重成は、左手に持ったままの刀を杖にしながらよろよろと立ち上がった。
剣戟を繰り広げる三成と元親。
その周囲で顔に砂を貼り付け、懸命に目の前の敵と対峙する兵士。
頼りない足取りではあるが、重成は兵士達の元へと向かう。
着実に、
確実に、

「私に出来るのは、弊方に貢献する事」

見るからに弱った重成の存在に気付いた長曾我部軍の兵士が、咆哮をあげながら一斉に襲い掛かってくる。
オールや刀を振り上げ、槍を突き付け、銃を構える。
視野の優れた重成は、その兵士の動きの一つ一つを全て見通していた。
風が吹く。
臨戦態勢に入った集中は、身体の痛みさえ忘れさせる。
走る。
迎撃する。
三成が元親を迎撃した時と同じ様に、低姿勢のままで刀に手を添え------

重成は刀を抜いた。

    
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