ある凶王の兄弟の話2

□雅権化
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「野郎共ォ!!碇を下ろせェ!!」

それは山間から日輪が姿を現した直後だった。重成の耳に威勢の良い元親の声が谺した。
船内を轟く元親の低声に呼応するように耳を塞ぐ程のむさ苦しい声が湧き上がり、船が着陸の準備の為に至る所でキリキリと音を立てる。
ある者は舵を執り、ある者は帆を畳み、ある者は声を荒げて方向の微調整をしている。

張り付けられただけのような木切れの隙間から陽の光が漏れている。
潮に晒され続け、磯の匂いに満ちた廊下の戸を開けた。
扉の奥から湧き上がった風はまるで疾風と身体を淘汰させるように吹き抜けた。布切れにでもなった気分だ。
目を閉じて、暫し風の齎す余韻に浸る。
深呼吸。
瞼の奥で眩しく光り輝く日輪に目眩がしそうだ。眩しい朝日は重成にとって体内を毒されているかのような感覚があった。
それが単なる錯覚であると分かってはいるのだが、昔からそんな幻が拭えない。
尚も今迄暁の光を浴び続けているのは、心の中に表裏一体の闇が存在する為か、
光あれば影あり。
陽あれば隠あり。
毒気を振り払うように瞼を持ち上げる。
空には疎らに雲が浮いている。
眼前では活気に溢れた長曾我部軍の兵士達が周囲を忙しなく右往左往していた。
早朝だというのに、熱意の有り余った人々だ。
感心を抱きながら船のガンネルに移動する。目的がある訳ではない。石田軍の負傷者のみを乗せたこの船では、さしたる話し相手もいなければ確認相手もいない。仕事すら船に疎い自分には与えられていない。吉継も起きてはいようが、床からは動かないだろう。重成が負傷者の中でも異常なだけだ。
確かに負傷者の一環には入るだろう。だが、痛みを堪えて横になっているだけでは気が先に病みそうになる。
床の上で呻こうが痛みは治らないし、黙っていようが治るものは勝手に治る。
こんな事が出来てしまうから人とは違うと喚かれるのだ。
分かってはいるのだが、

思案を断ち切り、人の合間を縫うように歩いた。
他の軍の甲冑に身を包んだ者に攻撃される訳でもなく囲まれるのには違和感を感じざるを得ない。戯言にも等しい違和感。
ガンネルの先の光景を眺めるように、ぼんやりと視線を向けた。
だがその先にあった光景は海ではなかった。

「……!」

思わず言葉を失う。
ガンネルの先に見えた景色は、これまで重成が目の当たりにした事のない程に、雅やかな雰囲気と色彩に溢れていた。

そこにあったのは、文頭で何度も見た筈の「京の都」
道を囲うように整備された並木から風に乗じて木の葉が舞い踊る様に漂っている。
都の中に溢れる人の姿が確認出来る。
商いに勤しむ商人の声が船の上からでも聞こえてくる。
鍛冶職人が鉄を打つ金属音、篭の中で羽ばたく鶏、そして祭のように楽器を打ち鳴らす人々。雑音や人が折り重なって、まるで一つの絵画のようだった。
百聞は一見にしかず、とはよく使う慣用句だろう。
今まさに目前で起きている事だ。
京の事はよく聞いていた筈なのに、自分の想像範疇の外に当たるその光景に、ただただ心を奪われるばかりだった。

「京の都は初めてか?」

そんな茫然とした重成の背後から声が掛けられた。
その途端、重成の隣にあるガンネルに片足が乗せられる。
ジャラリと鎖が揺れる音。木が体重を乗せられてミシリ、と軋む音。
背後で人々が騒ぎ立てているというのに、横の声には敏感に耳が反応した。
特徴ある二藍のコートが視界の端に現れる。
元親だ。
指揮を取っていた元親が此処に来たということは、今しがた船を着け終えたのだろう。
彼の発言に対しては正直な所図星だった。
そこまで顔に出ていたのだろうか。
それとも元親が、他人の感情を読み取る事に長けているのか、
重成は視線を変えないままで言う。

「…祭りでもやっているのですか?」

「いいや?京の都はいつもこんなモンさ」

「話には聞いていたつもりでしたが、まさかこれ程…」

「はっはっは!そりゃ文面だけじゃ京がどんな都かは伝わらねェさ」

「確かに、この賑やかさを伝える方が難しい」

「そうさ。歌人は何でも譜にしたがるが、譜じゃなくて、この目で見た方が早いってんだ」

「歌人は城下を見(まみ)えないからこそ譜にするものでしょう」

元親はその台詞を「確かにそれもそうだな」と、笑い飛ばした。彼も元は城の中で暮らしていた身だ。城下を望めないという気分は誰よりも理解している。
続け様に言葉を紡ぐ。

「厖大な眺めだろ。お前はこんな光景、想像していたか?」

その問いかけに応じず、重成はガンネルから望む景色を見つめた。
重成の行動が示す事実は、言葉よりも明確に元親に伝わった事だろう。
からからと元親は笑った。

「アンタはどうする。船を下りて散策にでも行くか?」

その発言に対し、重成はちらりと元親に視線をやった。
威圧の一つも篭らない目だった。

「戯れないで頂きたい。この都にも凶王三成に対する良からぬ風聞が流れている事でしょう。下手に私が降りて勘違いされてしまっては都を混乱に招きかねない」

「…いつもアンタの頭は冷静だな」

冗談のつもりで発言したのだろう。
冗句を使う間が悪かったというか何と言うか。
ここまで硬くなってしまう事は考えてもいなかったらしい。

「俺達は船の補強材料を調達するつもりだ。どっちにしろアンタらは薬が足りてないんだろ」

「軍医が調達をして来ると仰っていました。素人の私に使いは務まらない」

「一度船を降りて都を見て来いよ。初めてなら尚更だ」

重成は都を見つめるだけで、決して首を縦には振らなかった。

「同じ事を申し上げるつもりはありません」

私は凶王の血を分けました。
混乱を招くのは必須と言っても差し違えありません。

そう。
類似の多いその顔貌は、三成に間違えられてもなんら不思議ではない。実際、重成は何度も勘違いされた事がある。影武者と何度莫迦にされたのかも分からない。
勿論、戯言に腹を立てることはない。確かに優遇すべきは総大将なる三成の命だろうが、影武者として兄弟の為に死ぬなんて死んでも御免だ。
それこそ死んでも死に切れない。
中身は対照的でも上辺だけを見ている者にしてみれば同一人物も同然なのだろう。
自覚はしているが髪の色など変えようと思って変えられるものではない。
扱いにしても同じだ。豊臣にいた頃から太閤と軍師は、三成と重成を同等の小姓として扱っていたのだから。
何一つ隔たりなく、同じ目線で、同じ景色で、
そして同じ小姓として三成とは並んでいたつもりだったのだから。

それに、と、重成は続けた。

「悪い予感程よく当たる」

「……」

元親は口を開きかけたが、何も言わずに溜息をついた。
やけに重く感じるような嘆息だ。

「そりゃ、この町で不穏な気配を感じているってぇことか?」

「…呉々もお気を付けて」

そう言うなり重成はくるりと踵を返して船内へと戻ってしまった。
元親は首を捻って応える。
余りにも有り触れた疑問を体現する動作。

風向きが変わる気配がした。
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