ある凶王の兄弟の話2

□固定された形
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都の賑やかな騒ぎを避けながら重成は辿った道を引き返す。
非効率な迂回である。いや、迂回せざるを得ない。先程都の中心と言っても差し違えない道を走ってこれたのは、幾重にも重なる幸運の連続が成し得た結果だろう。
次に同じ事をして同じようになるとは限らない。寧ろそのような荒技を何度もしてしまうと都の人間が警戒してしまう。
故にこれが波風を立てない最善の選択であるのは間違いない。

木々に囲まれた知り置かない道をひたすらに歩いた。
見た事のある木々に囲まれた光景なのに知らない道というのは何とも不思議な感覚だ。
よくある話ではあるのだが、

「……」

重成は何も考えていなかった。
気が付けば考えていなかった。
何かを数えていないと、何かを考えていないと、何かを計算していないとあれほど落ち着きがなかった脳裏が思考をやめていた。
今迄思考は落ち着きのなさから行われていた事の筈なのに。
ただ眼を向けるだけのつもりが、舞い散っている草花の数を数えたり、雲を数えたり、並木の数を数えたり。相手の思考を読み取ってしまったり、
そういった無意味な事は無意識の範疇で行われていた筈だったのに。

笑うしかない。
まるでそんな事をやっていた自分が別人のようだ。
いつかのように精神が疲れている訳ではない。寧ろ道を堂々と歩く居直り犯のように清々とした気分だ。
その筈なのに気分は曇っている。
単調な人間が意中に留める訳がないような問題を、自分は延々と黙々と思い悩んでいる。
傑作だ。
笑うしかない。
嗤うしかない。
哂うしかない。
なのに口角さえ上がらない。
まるで諱にせき止められてしまったように。
自分の末尾を決定付けてしまったように。
過去の自分の決定が腹立たしく感じる。
ピクリとも動かない口角の奥で歯を食い縛る。
聞き耳を立てながら息を潜めていた時に出血した鉄の味が口内に残っている。
やがて嘆息と共に、彼は譫言を呟いた。

「…忌々しい」

重成は走った。
振り向きもせず、徐々に速度を上げる。

「忌々しい忌々しい忌々しい!反吐が出る実に不愉快だ癪に障る不快だ不快極まりない胸糞が悪い虫の居所が悪い憎たらしい気に障る鬱陶しい吐き気がする!」

喚き散らしながら走る。
自分を殺すように、
感情を押し殺すように、
逃げるように、
懺悔するように、

悪態の先にあるのは虚無。
いつも通りの絶無。
自分がいた筈の太虚。
酷く居心地が悪く感じたのも一瞬だった。
暫くすれば心の内なる猛りは収まってしまう。
諦めたように消えてしまう。
安堵する反面、悲しんでいる自分がいる。
分からなくなる。
まるで己が二人、脳裏の中で葛藤しているようだ。
実際には相違ない。どちらが自分で、どちらが偽物なのか。
自分は偽物の自分と葛藤している自覚はある。
だが、重成自身が思い込んでいる自分とは、果たしてどちらなのか。
安堵している方か、それとも悲しんでいる方か、
きっと前者だ。
重成は前者だ。
そんな根拠もない思い込みをしなければ、己の内で理性が崩壊してしまいそうだ。

だが、この後顧の憂いが行き着く先に何があるのだろう。
清涼とした思考と思惑か、
将又過去に対する裏切りか、
それとも…

「…『幸福』?」

足の強張った力が抜け、重成は立ち止まった。
そんな筈はない
自分は幸せなんて知らない筈だ。
無縁の筈だ。
何故それが脳裏を過ったんだ。

そこまで思考が行き着いた時、見上げた視界の先に狼煙が上がっている事に気付いた。
都の外れから立ち上るうっすらと藤色を帯びた煙。町のたたらからも煙が上がっているため、よく視認しなければ藤色とも判別しにくい。あれは石田軍の狼煙に間違いない。三成率いる騎馬隊が京に到着した合図だ。
確か、あそこで船に乗った負傷者中心の小隊と騎馬隊が合流する予定だったか、
あの細く消え入るような煙の具合からして、煙が焚かれてから時間が経っていると推測できる。
空を見上げれば分かるような事が今の今まで分からなかった。
かなり注意力が散漫としていたらしい。我ながら羞恥に値する。

「…はぁ、」

心底自分に呆れながら重成は再び走った。

     
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