ある凶王の兄弟の話2

□宵闇に梟
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夜の闇は益々深くなってゆく。
前方には折り重なって視界を阻む木々が鼻腔を突くような青臭さを放ちながら佇んでいた。
地面を覆う枯葉と、その下に生い茂る丈の短い草を踏みしめる自らの足音が耳殻を掠めている。周囲からは物音の一つもしない。川のせせらぎや鳥の鳴き声、また鹿などの獣が何処かで地を蹴る音、剰(あまつさ)え鳴き声も聞こえない。
重成は森林に僅かながら紛れた死の香を追い、森の奥底へと、月の光が朧げに射すだけの足場の悪い獣道を辿り続けていた。
所々ゴツゴツとした石が頭を出していて、下手に足を引きずって歩くと転んでしまうような道だ。
完全にとはいかないが、なるべく足音を消して走った。
月の光がなければ前の景色さえ真面に見えないような闇の中であったが、明かりを灯すのはどこかに潜んでいるかもしれない敵に自分の居場所を教えている事と同じだ。下手に明かりをつけるのは自殺行為に等しい。
それに重成は常人に比べて夜目が利く。仮に今日が新月の夜だとしても、真っ直ぐに道を踏み外さずに辿る事など造作もない。獣のように周囲の闇に何が潜んでいるのかを、ある程度は把握出来る。

(しかし、妙だ)

重成は違和感を覚えていた。
ある事を森に入る前から思考の底で疑っていた。
足を進める度に、それは確信へと変わる。

(敵は痕跡をわざと分かるように残している)

匂いを辿って行くにつれ、どんどん火薬の匂いが強くなっている。
馬車の近くにいた時は、嗅覚が多少敏感でないと気づけない程に弱々しい香だったのに、気が付けば、まるでこれは罠だと言わんばかりの量があちこちにバラ撒かれていた。重成でなくとも、その不自然さに気付く程の香気が辺りから立ち込めている。
一瞬はこの山を焼き払うつもりかと疑いはしたが、恐らくそうではない。焼き払うにしては、この森の夜毎は湿り気が多過ぎる。満足に火も上がらないような場所に態々、しかも疎らに火薬を撒くだろうか。
仮に重成が周囲を焼き払おうと思えば、乾燥した昼を選ぶ。火薬を使うなら、猶更昼の方がよく燃える。この日ノ本で戦に身を置く者としては当然の判断だ。
推測に過ぎないが、恐らくこの火薬は目印の代わりだ。
追っ手に気付かせる為に、こんな真似をしたのだろう。
これは彼等なりの警告なのか、目印なのか。
それとも追っ手である重成を試しているのか。導いているのか。

「小癪な」と、自分にやっと聞こえる程度の声で、軽く毒づいた。
いいだろう。乗ってやる。
どの道ここで引き返しても目的である刀は戻らない。これが向こうの策だとすれば、態とその中に誘き出されてやる。
こちらは元より面倒な仕掛けをするつもりはない。その為もあって単騎で赴いたのだ。
重成は策で裏裏をかくような面倒な闘いを望んで来たのではない。
寧ろ、大軍でも現れない限り自ら無駄に戦うつもりは毛頭ない。あくまでも三成の刀を取り返すだけだ。必要となるのなら、戦闘も致し方なき事ではあるが、

重成は足を止めた。
静寂に返った周囲に耳を澄ます。同時に気を張りながら姿勢を低くした。
殺意だ。
刹那ではあったが、周囲から殺意に似た意を感じた。
獣の気配さえしないような闇の中だが、誰かがこちらの存在を見ている事は明白だった。
だが、その誰かの居場所までは突き止められない。ぷっつりと跡が途切れたように、明確な場所までが分からなくなっている。周囲をよく確認しようとした時だった。

「…石田重成か」

「!」

姿は見えないが、敵はすぐ近くにいた。叢の中で完全に気配を消していたのだ。
予想以上に近い距離から低い声がした事に驚き、重成は声のした方向に振り向くと同時に足元の枯草を蹴ってしまった。
ガサリ、と、重成の足元から音が鳴る、
その瞬間、背後から首元に鋭い痛みが走った。慌てて首筋を押さえると、小さな針が手に触れた。

(吹き矢…!?)

振り向いた位置の背後から飛んできた所を見ると、少なくともこの場には敵が二人いる。暗闇の中で完全に気配を消し、音だけで相手の位置を測れるような手練れの者が。
重成はすぐに首に食い込んだ針を抜いた。抜いたと同時に頭がぐらん、と傾くのを感じた。視界が歪んだように曲がりくねり、立っていられずに思わず膝をつく。
今度は真横からガサガサと誰かが近づく音が聞こえた。だが思うように身体の自由が利かない。弛緩した身体に鞭打って柄に手をかけた時、真横に迫った誰かに頭を掴まれ、そのまま押し倒される。

「がぁッ…!?」

地面に叩きつけられると同時に、重成の左手から刀が離れた。満足に動かない掌は、刀を握っている事すらままならない。
唐突な事態に、思わず呻きのような声を上げてしまう。地面に顔面を押し付けられ、後ろ手に腕を取られた重成は完全に身動きを封じられてしまった。

「お前に打ったのは、速攻性のある麻痺矢毒だ」

やけにゆっくりとした口調で頭上から聞こえたのは、重成の名前を呼んだ声とは、似てはいるがまた別の声だった。

「何故、わ、たしを」

何故表の世界には殆ど知られない重成の存在を知っているのか。それを彼らに問うたつもりだったが、舌が痺れているせいで上手く言葉にならない。背にのしかかった相手を振り払おうとした身体にすら、上手く力が入らなかった。
重成は毒矢に対しては殆ど知識を持たない。致死性の毒等は齧った程度で、種類や解毒の方法など何一つ知り置かなかった。
重成の音にならぬ声を見透かしたように、敵方は言った。

「知っている」
「あぁ、知っている」
「よく知っている」
「お前の真(まこと)の名も、我らは知っている」
「凶王の宝を取り戻しに来たのだろう」
「当の凶王は負傷している。奴の刀も火薬の香もお前の誘き出す為の罠だ」

まるで合わせて1人のような3人の声。一糸乱れずに言葉を綴っている。
しかし、気に引っかかったのは、その内容だった。
三成が負傷している事を知っている上に、刀を盗んだのは私を誘き出す為だと?
一体なんの為にそのような事を
何か私に用でもあるのか。
重成は僅かに身体を震わせながら言った。

「なにが、目、的…」

「我等に目的はない」

矢が飛んできた方向から声がした。

「我等はただ、命を受けるのみ」
「貴様を捕らえ、我が主の元へと運ぶ」
「それだけだ」

頭を押さえつけている者とは別の影が、重成の左手を強く踏みつけた。
重成は小さく呻いた。強く手を踏みつけられるのはいつ振りなのだろうか。強い力で圧迫され、左手から妙な音がした。骨が削れるような生々しい音。甲冑をしていない剥き出しの掌を、容赦なく足は磨り潰すようにじりじりと圧をかけ続けた。

「泣き喚け。それが生きる華」

左手が軋む音を他所に、重成の頭は冷静だった。
かつて幾度も感じた痛みだ。四肢の一つを破壊されかける程度では騒がない。
この者達は自分が知り置く人物なのか。それともこちらを嗅ぎ回っていた端武者なのか。
しかし声色からは前者の判断ができない。突飛した特徴がない声だったからだ。
眼を動かし、自分の左腕を踏み締める人影を見る。
僅かに視界の端に写ったのは、顔面を覆い尽くす、月明かりの下で不気味に浮かび上がる髑髏(されこうべ)を模した仮面だった。
聞き覚えのない声をした者が付けていたのは、見覚えのある仮面。

「やはり貴様等は、松永、の」

その仮面は三好三人衆の証。
松永軍の死神部隊。
その冷酷さは過去、実際に見た事がある。その昔、自分が破壊の限りを尽くしていた時だ。この者達とは一度戦い、そして撃退した事がある。

松永久秀の手足として、どんな命令にも必ず従う忠順さを持っていた。そういった面では三成や重成と酷似した者達だ。ただ一つ違うのが、三位一体という点にあった。
三人で他の武将に勝たずとも劣らない実力を発揮するが、婆娑羅者一人分未満である。甘く見てはならないとはいえ、然程一人一人の実力がなく、虱を潰すように相手をすれば瑣末な相手だった。
彼等の恐ろしさは実力ではなく、死を恐れない残虐な思考の中にある。
飛び出た才能を持たない自分の代わりがいくらでもいる無情な事実を、三人の全員が理解している。
己を弱者と自覚している者は、婆娑羅者に敵わないという事実を知っているからこそ猛者を恐れる。しかし三好達は逆だった。分かっているからこそ、そして自分の代わりがいるからこそ、捨て身で婆娑羅者に一矢報いる事が出来る。冷静な窮鼠のような者達だ。
自暴自棄な戦い方をするのに、いつも何処かで生き残っている。
それが彼らに対する見解だった。

「…成程」

粗方の筋が分かってきた。
私を導く為に刀を盗み出した事、火薬を撒いた事、そして話し方から察するに、彼等が盗んだ刀は今ここにはないこと。
三人衆が松永の目的を知らずに、私を連れて来いとだけ命令されていること。
現在得られる情報は、ここまでが限界といった所だろうか。

「刀を使えぬよう、腕を折っておくべきか?」

手を踏みつける一人が重成の腕に手を伸ばした瞬間、重成はその腕を素早く掴んだ。

「何、」

不意を突かれて動きを止めた男の腕を、重成は間接とは逆の方向に捻じり、一気に引き落とした。姿勢を崩し、顔から地面に頭部を打ち付けたその者が小さく呻いた。

「貴様」

目視せずとも重成の頭を押さえていたもう一人が拳を振り上げたのが分かった。
重成が体制を反らせば、重成を押さえる手に重心を掛けていた彼は簡単に姿勢を崩した。
姿勢を崩すその男の腕を取るや、先程と同じ要領で一息に引き落とすと同時に立ち上がり、腕を逆手に取ったままうなじを踏みつけた。

「動くな」

重成は茂みにいるもう一人を声で制した。

「貴方が動けば、彼の首を踏み折ります」

重成が少し足に力を籠めれば、足元の男は仮面の奥で低く唸った。
すぐに首に刺さった針を抜いた事が幸いしたのだろう、体術で身体を動かせば、痺れは大方取れた。
林の中から月明かりが差し込んだ。
対面している三好が照らし出される。髑髏の仮面は三好の一切の表情を覆い隠している。片手に吹き矢の筒を、もう片手には刀を持っている。それを確認した瞬間、男は矢筒を捨て、焦燥の一つもない声で言った。

「殺せばいい」

仮面の奥に隠れる顔が、僅かに冷静な笑みを象っているように見えた。恐怖を感じさせない声だが、死ぬ事を覚悟しているとも思えない。三位一体にして、互いに情を持たず、人質としてすら扱わない。
赤の他人のような兄弟。まるで私達だ。
自分を見ているようで鳥肌が立つ。足元の彼の首をへし折り、目の前の者を引き裂いてやりたい。
どこからか湧き上がる上辺だけの感情。それに気付いた途端、自分の体温がさっと温度を失うような虚無感に包まれた。
重成は眼を細めると、足元の男の横腹を思い切り蹴り付けた。
男が苦痛に叫んだ間に、重成は刀を持った三好に飛び掛かり、はっと眼を見開いた三好の仮面を片手で掴むや、得物を持つ腕を取ってねじ伏せた。
枯葉の上にその顔を押し付け、背を足で固定し、重成は三好を見下ろした。

「貴方は三好の長兄(ちょうけい)か」

問うても、足元の三好は何も答えない。ただ抵抗もせずに「殺せ」と、掠れた声で言うだけたっだ。

「…そこに転がっている一人が、私の真の名を知っている、と言っていましたね」

重成は言う。

「それを知っていて尚、この手数と吹矢だけで私を牽制出来ると思っていたんですか」

詰めが甘い。と、重成は続けた。
三好からは何の返答もなく、抵抗もない。ただの死体を踏みつけているかのように、手応えの一切を感じなかった。
重成の目的はこれで仮説から確信へと変わった。
三好を従える武将---松永の後を追う必要がある。そして当の松永は、どんな目的を持っているかはわからないが、重成を待ち構えている。
もしかすると松永は、こうなる事を見越して三好三人衆に情報を与えなかったのかもしれない。敗北すると分かっていたからこそ、彼らを捨て駒にするような命令をしているのか。
ここまで忠誠心に溢れる死神三人さえ、松永は信用していないとでも言うのだろうか。
事実だとすれは、それはそれで呆れる話だ。

「言っておきます」

重成は刀を握った三好の利き腕を強く握った。

「刀を使わせたくないのなら、腕を折るという選択は間違っています」

一呼吸間を置き、低い声で彼は続けた。

「腕ではなく、肩から外しなさい」

重成は、掴んでいる三好の腕をぐいっと捻って脱臼させた。
三好は白目をむいて、疾苦に吠えた。

      
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