ある凶王の兄弟の話2

□汝幾度業を忘れんや
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嫌な沈黙が流れた。重成と久秀の周囲には火の粉が舞い、灯篭が音を立てて爆ぜる音がしきりに鳴っている。
重成は炎の揺らめきに浮かび上がる久秀の姿を貫くかのように睨み続けた。警戒と、敵対心と、不安とが入り混じり、もはや頭の中は様々な感情が渦巻いて白んでいた。
薄々予感はしていたが、こうも目の前にしてみても久秀の腹の底は全く読めない。まるで夜闇に揺蕩う沖の底を見ようとしているかのように、彼の思惑を知る事は不可能に思えた。
やがてゆっくりとした口調で久秀は言う。

「とんだ流言飛語もあったものだな。噂に聞く凶王の兄弟がかつて死んだ白狐だとは。一度は、卿を見(まみ)えたいと思っていた所だ。まずはこの邂逅に感謝を捧げるとしよう」

「…噂は予々聞いています。私は貴方ほど悪名を背負った者を見た事がありません」

「これはこれは、私を知っているとは光栄だ。こちらとしては、卿の情報を集めるのは些か苦労したよ」

「嗅ぎ回って闇討ちでもするつもりでしたか」

「とんでもない。そんな事を企んでいたなら、態々こんな所に呼び寄せたりはしないよ」

成程、先程の刺客はどうやら、久秀にとって「呼ぶ」という意味を持つらしい。
彼等は捨て駒以下の---単なる「手段」として使われていたのだ。
さり気ない言葉の中に外道の一環を感じて、重成は腹の中から何かが迫り上がってくるような緊張を覚えた。
炎に晒された温い風が、やけに気持ち悪い。
久秀は更に続ける。

「私は、太閤の手足となった「誉れ」を捨てて尚、彼の許にいた卿の正体に興味があるのだよ。さぁ、聞かせてくれ。何故卿は影となったのかね」

薄い笑みを貼り付け、その場にそぐわない雰囲気で言葉を紡いでゆく久秀。重成はじっと正面から見つめ合った。
漆黒の瞳が何かを考えているようにこちらを見ている。
重成は頭髪に隠れた眉間に深い皺を刻み込む。

「私はそんな話をする為に来たのではありません。単刀直入に申しますが、その刀を返しなさい。それは三成の唯一無二の宝です」

久秀が退屈そうに顎で刀を指し、口を開く。

「これの事かね?」

さも可笑しそうに久秀が笑う。全てを蚊帳の外から傍観し、内側で起こる混乱を眺めているような表情。そんな態度が気に食わない

「おかしな事を言うね。正宗の作風なんて珍しくもないだろう。それにこの刀は棟に傷跡がある。こんなものを宝と呼ぶとは、卿は大した酔狂だ」

そんなに欲しければ返すよ。と、まるで落ちている石ころを蹴るような動作で、久秀は刀を蹴り上げた。
重成はその瞬間に警戒心を殺意に変えた。刀の柄に手を掛けると同時に久秀との間合いを詰めた。抜刀と同時に胴を真一文字に切り抜く居合術。見抜いていたような動きで目にも止まらない居合を避ける久秀。続く重成の第二撃を宝刀で受け止めた。
ここでやっと、久秀が蹴り上げた刀が軽い音を立てて地面に落ちる。
得物の交点から爆ぜ上がる火花が、舞っては目の前で光をなくす。そんな煌めきを反射する琥珀色の目には、無謬の殺意が宿っていた。
強い力で競り合っているにも関わらず、久秀は涼しい顔のままだった。

「そんなにも獰猛な形で、よく7年も行方を眩ませたものだ」

「黙りなさい。我が兄弟の冒涜に値する行為を懺悔なさい」

そのまま重成は刀を振り上げる。久秀は一撃を受け流すと、2、3歩の距離を置いた。
空かさず間合いを詰める重成。藤色に輝く闇を纏わせた刃で、久秀に斬りかかる。
久秀はこれも避けた。続く二撃、三撃と、梟雄を狙う刃は悉く外れた。
数多の軌道を読むことに長けているのだろう。刀の扱いを居合から殺陣と、斬撃の度に細かく変えているというのに、久秀はいとも容易くよけている。

「後悔、か。私には他椽だね」

「!」

眼前で強い火薬の匂いか広がった。
危険を察知した重成は久秀から跳ね退いた。フィンガースナップの軽い音の後に、先程まで自分がいた足場が爆発と共に隆起した。地面の中にでも火薬が仕込まれていたのだろうか。
着地と同時に重成は血振りのような動作で刀を振るった。

「貴方とは歩んできた道も、見つめている先も違う」

「それは重畳だ。私には、卿が何かを見つめているようには見えないよ。ただ周囲を傍観しているだけで、結局は誰も見ていないのだろう」

「言葉を返すようですが、誰一人見ていないのは貴方とて同じです。貴方が見つめているのは奥底にある、日ノ本の深淵だ」

「確かに、結果としてはそうかもしれないな。だが、今私が覗こうとしているのは卿の背負ってきた、その業だよ」

久秀は片眉を僅かに持ち上げた。

「石田重成という名は、忌み名だったか」

「…貴方には関係ない」

「諱という漢字は、『いむ』と訓ぜられるように、本来は口に出すことが憚られることを意味する動詞だ。まさか、それで自分を殺めているつもりかね」

「……」

「何故『字』(あざな)を隠す。『字』には、何が込められているのかね」

「……」

重成の瞳に映る澄んだ色が、河川に墨を落としたように濁ってゆく。
実際、今までの心は諱によって死んでいた。だがそれは、諱が自分の姿だと思い込んでいたからだ。
これは自分が偶像した、偽物の皮に過ぎなくて、奥底では自分に悲しみを抱いている。そんな本心を知れば、偽物の皮は剥がれてゆく。心は悲しみながらも、その張りぼてが剥がれる事を恐れている。何故なら悲しんでいる自分は、過去に家族の顔に泥を塗りかけた弱者なのだから。
家康に会い、諱の役割を理解した時から何度も自分のジレンマに潰されそうになった。積み上げてきた均衡が崩れようとしているのだ。

「よく自分に聞いてみたまえ。私には、『字』の啜り泣きが聞こえるよ。実に哀れだ。人間とは欲望に忠実でなくては」

「…黙れ…!」

重成は顔を上げた。同時に歯をむき出して怒った。

「貴様に私の何が分かる!?嘱目という下らん理由で、私の愁脹(しゅうちょう)を掻き回すな!」

吠えた瞬間、凶暴な衝動が目を醒ました。感情の昂ぶりが原因なのか、丹田が上手く制御出来ない。藤色から黒い瘴気が溢れ始める。眼は澄んだ琥珀の色を失い始め、赤黒い蹂躙の色が垣間見えた。
いつかの三成と同じように、感情によって呼び起こされた異質な闇が、我が身を乗っ取ろうと意識を奪い始めているのか。重成は剥がれ落ちそうな理性に、必死にしがみついた。
呻き声が漏れる。鞘を取り落とし、左手で強く頭を押さえた。
完全に相手の思う壺だ。久秀は、この壊れた心に土足で踏み込んでくる。これまでにも幾度かそんな経験はあったが、感情が安定しない事が相まっているのか、掌で弄ばれていると分かっていても身体が従わない。

「その眼は語っている。恐れているのは、自分自身だとね」

「…知った風な…!」

と、言いかけて、重成は顔を顰めた。瘴気に侵されて言葉が出にくくなっている。

(くそ…)

重成は歯を食いしばった。危険な情動に身を投じてしまえば、言葉が消える。人らしい思いも消える。この状況で、『恐惶』に身を任せてしまうわけにはいかない。

消えそうになる意識を繋ぎ止めながらホルスターから銃を引き抜くと、その銃口を久秀に向けた。
「ほう、」と、短く感嘆する久秀。構わずに重成は引き金を引いた。
久秀は、その五体からは想像も出来ないような瞬間移動で弾丸を避け、重成との間合いを一気に詰めた。
下から斬り抜ける形で刀を薙ぐ久秀の一撃を躱し、再度銃口を向けながら姿を捕捉する。しかし唐突に久秀の軌道が燃え上がり、照準が外れて弾は空を切った。
宝刀に火薬を纏わせているのだ。軌道が燃え上がったのはその為だ。
久秀を相手に近距離での攻防は不利だと感じ、一歩間合いを空ける重成と、再び距離を詰める久秀。
燃え上がる久秀の斬撃を受け止めれば、降りかかった火薬で確実に腕を焼かれる。それにこの状況だ。態々久秀がフィンガースナップをせずとも、火薬を撒けば周囲の火粉で勝手に火薬は引火する。理性を繋ぎながら、斬撃のみならず炎まで躱さなければならないのだ。畳みかけるような久秀の攻撃に対処することで精一杯だった。
重成は一度(ひとたび)咆哮し、刀に闇を纏わせた。いつもに増して瘴気が纏わりつく。闇が理性を奪いに来る。

「ぉおぉお!!」

過多な闇を着た刀を地面に突き刺し、強引に薙いだ。いつも以上に禍々しい斬撃が直線状に地面を這う。身の丈以上にまで増大した斬撃に対し、再び久秀はひらりと避けた。
斬撃はそのまま拝殿を穿った。主柱を折られた建造物は崩落を始め、轟音を撒き散らしながら空気を揺らす。

郷社の要である拝殿を破壊してしまい、動揺が滲んだ。後先も考えずに斬撃を放った事が凶と出てしまった。
周囲の建物を意図せずに破壊してしまったのは初めてだった。普段通りであれば、そんな配慮は無意識の内にやっている事なのに。
気が付けば目の前に久秀の顔があった。一瞬の動揺が付け入られる隙になってしまったのだ。距離を置こうとした瞬間、即座に強い力で頸部を握られ、唐突に息が出来なくなる。

「…はっ…!!」

武器を打ち捨て、頸部を握る久秀の手首を掴んで抵抗の意思を見せる。そんな意思も空しく、重成の足は地面から離れた。
凄まじい握力だった。手首を掴んだ程度ではビクともしない。それ所かどんどんと首は締まってゆく。足が浮いているせいで迂闊な手出しも出来ない。呼吸をしようとする度に苦悶に満ちた声が出た。

「本来の卿は、この程度で音を上げるような弱者では無い筈だ。数多の人間を殺戮に追いやった佐和山の白狐。私はかつて、あの第六点魔王を除き、鬼とまで呼ばれた脅威を見た事が無い。卿を弱者たらしめているのは、その仮面か?」

「…黙、れ…人の心を、蝕む邪悪め…」

苦し紛れにそう言った時、瞼の隙間から見える久秀の表情から人を見下した笑みが消えた。
張り付いたような笑みが消え去った久秀は、ぞっとする程の威圧を孕んでいた。
己が鉤爪の中で獲物が息絶える様を眺める梟のように。
爛々と、冷静に、奈落を見つめる瞳。
確かに重成の姿を映している筈なのに、どこか遠くを見ている。

「私は少なからず知っているつもりだよ。その仮面が偽りだという事も、凶王三成は卿の『弟』だという事も」

時間が遅く感じる。目の前で自分を見上げる久秀の声までもが遠い。
彼の手首を掴む両手にも、もはや力が入らない。
身体が呼吸をやめようとしている

「そろそろ正体を見せてはどうかね」

久秀は低い声で言った。


「石田正澄」




頭の中で声が響いた。
その瞬間、何かが弾けた。瘴気が内側から膨らんでゆく。-----身体が、脱げる。
理性は黒い、黒い瘴気に呑まれた。

深淵に落ちる意思の中で、私は笑っていた




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