ある凶王の兄弟の話2

□若虎の威
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「止まれ!!動くな!!!」

大きな石の上に、粗末に作られた屯の物見櫓。
その麓で、迎え撃てる体制を取れる石田軍の兵士が大仰な殺気を放っている。
開けた道からやってくる大勢の人影に対し、石田の兵は果敢にも槍を向けた。
櫓を設けた方向にあるのは武田城だった。敵襲の相手はまさか、と、最悪の敵が誰もの脳裏を過ぎった。

叢を掻き分けてやってきたのは、やはり先日目にしたばかりの武田の兵士だった。
先頭は真田幸村が仕切っている。その後方には猿飛佐助の姿もあった。
一見、幸村を先頭に連れた小隊のようだった。30人程の編成で、馬もいなければ武器も携えていない。皆、甲冑を身に着けているとはいえ、とても争いに来たとは思えなかった。
先頭の幸村に至っては自慢の二槍を持っていない上にフラフラと千鳥足で歩いている。覚束ない足取りを何とか佐助に支えて貰っている、といった有様だった。
先日の一件で彼も深手を負った身である筈だった。腹を真一文字に裂かれた筈なのに、立ち上がる事も出来ている。ただ、無造作に巻かれた包帯には血が滲んでいる。全快という訳ではないことは動作からも見て取れる。
こんな状態の幸村を連れ出す武田軍の気が知れないとは誰もが思った。

警戒に警戒を上塗りした石田兵達は、衰弱した様子の武田の部隊を前にしても尚、気を緩ませはしなかった。
もしかすると、見えていないだけで何らかの武器は持っているのかもしれない。幸村を囮に使った奇策かもしれない。周囲の死角に忍が潜んでいるかもしれない。現れた兵士達は、まずはあらゆる不意打を考慮して疑わなくてはならない。それは戦に身を置く人間として一般であり、暗黙の鉄則だ。
一糸乱れぬ構えで敵対心を剥き出しにする石田兵達を諭すように、佐助は言った。

「まぁ待ちなって。敵意は無いよ。見ろよ、この大将のなっさけない姿。面白い見せモンでしょ。今だけだよ、こんな大将が拝めるのは」

幸村は「佐助、」と、少し忍を諫めるが、佐助フンと鼻を鳴らすだけで特に反省を見せなかった。

「こっちゃ戦いに来たんじゃない。ほら、大将は勿論、後ろの兵士も俺様も武器なんざ持っちゃいない。周りにも忍は潜ませてないよ。十勇士代表の俺様が言ってんだ。それ位は信用して欲しいね」

石田の兵士は互いに眼を合わせるも、誰かが震える声で吠えた。

「しょ…証拠を見せろ!」

「証拠?」

悪魔の証明を求められたことに対して、佐助は不機嫌に顔を歪めた。声には怒気が篭る。

「忍の俺様が武器も持たずにアンタらの前に現れてる事が何よりの証拠だろ」

「止さんか、佐助」

佐助に借りていた肩を離し、一歩前に出る幸村。
依然、その足取りもどこか覚束なく千鳥足を帯びている。深手を負った身体を無理に動かしている印象だった。幸村が腹に巻いている包帯には真新しい血が更に滲む。動く度に傷口が開いているのだろう。ここに来るまでの道程も、傷を抉ると同等の行為だったに違いない。
歩く度に痛みが走っている筈、なのに呻きはおろか、声すら上げない。傷付いていながらも威風堂々とした幸村の姿を前に、強い気迫を感じて後ずさる石田の兵士。

「三成殿はおられるか」

石田の兵士は誰一人その問いかけに反応しなかった。
誰もが返す言葉を持ち合わせていない、といった顔をしたせいか、幸村が違和感に眉を顰めた。

「三成は今、所用にて出られぬ」

彼等に変わって答えたのは、兵の後方から現れた、宙に浮く不思議な輿に乗った吉継だった。

「将に変わって、我が御相手をしよう」

不気味に揺らめく影は、自然の軟風に揺れているようには見えなかった。
幸村は一つ頷く。吉継の佇まいを怪しむでもなく、堂々と目を見て。
反対に吉継は目を細める。吉継はこのような何の裏もない真っ直ぐな視線が苦手だ。
心情を包み隠す平常心を保ったままで、吉継は問い掛ける。

「…して、一体何の用向きか」

「貴殿ら石田軍に、力添えをしたく参った所存」

幸村は真っ直ぐな視線のまま言い放つ。
その瞬間、一気に石田軍の兵士が凍り付き、騒めき始めるが、吉継は平淡な様子のまま右手を少し上げて兵を制した。
吉継の反転目がまじましと幸村を見据える。腹の底を見据えるような、気味の悪い眼だ。
しかし幸村はそんな視線に対して一切眼を逸らさなかった。

「それは、如何なる胸の内あっての決断か」

「東軍の総大将に君臨するは、かつてお館様と志同じくした東照の虎、徳川家康。故あってそちらに着くのは必定であったが、東軍には我が宿敵、独眼竜がいる。因縁の宿敵相手に、此度の対戦で手を組もう等とは考え申さん。お館様も、我が心の赴く侭に決めよと申された。それに…」

幸村は一旦目を伏せたかと思うと、すぐに顔を上げた。

「石田殿には、某と同じ何かを感じるのでござる」

「……」

吉継は静かに傍していたが、幸村の眼を見つめると、その奥を覗き込むような視線で幸村に問うた。

「その言葉に一片の偽りはないか」

幸村は深く頷く。

「我が焔の意思に誓い、偽りは御座らん」

暫しの沈黙が流れた。
風が木の葉を浚う。湿った地面に堕ちる。枯葉に覆われた林の麓から薄い霧が漂っている。
吉継はゆっくりと両腕を広げ、大袈裟に言った。

「…歓迎しよう、我が同胞よ」

吉継の言葉に対し、幸村は顔を綻ばせたが、後方でそれを見守っている忍は、相も変わらず不服そうな顔をしていた。
どこか胡散臭い吉継が気に食わない、といった様子だったが、特に何を言うでもなく幸村の背後に立っているだけだった。

「して、石田殿は如何様な所用か」

吉継はその問い掛けに対して、一転して口を噤む。

「ちと面妖な縁での」

徐に言葉を濁し始めた吉継。それを見て幸村は、何か言えないような事情がある事を見通した。寧ろ、吉継の態度からして妙な事態を示唆しているも同然だ。

「先日の件から、まだ回復されぬのか」

「…まぁ、強ち間違ってはおらんな。そんな所かもしれませぬ」

「何か、この山林で山賊の奇襲でも受けられたのか?それにしては損害がござらんようだが」

「我も全てを把握している訳ではあるまいて、一夜陣を留守にしておった三成が、暁に帰ってこれば酷い有様で大将を背負っておった。我等も、事のあらましの皆目見当がつかぬ」

「な、何と!一夜(ひとよ)にしてかような事が!」

幸村は大仰に驚いてみせた所、それが傷に響いたのか少しよろけてしまう。
多少呆れた様子で幸村の肩を支える佐助と、それに軽い謝罪を加える幸村。互いに堅苦しい労いの様子はない。一切の遠慮や主従関係独特の間は感じられなかった。
まるで二人は主従の関係ではなく、古くからの友であるかのようにも、血の繋がった親子の様にも見えた。
吉継には他縁の光景だ。
吉継も、三成とは主従のような関係ではあろうが、真の友と呼べるには、吉継には秘密や隠し事が多過ぎる。
それでも尚三成は、吉継を友と呼んでいるようだが、

「行方知れずになったのは、石田殿にとっては病んだ身を擲ってまで失い難い者だったのか」

「何、ただ血縁があるだけの仲だ。三成が奴をどう思うとるかは、我には不可侵の話」

「石田殿に兄御前が居たとは…。その者も深手を?」

「左様。故に医療具やら薬を分けて頂けると有難いのだが」

顎が痒いのか、兜の錣周辺を撫でるように触る吉継。
暫し沈黙した後、幸村は首を横に振った。

「その必要は御座らん」

吉継はちらりと顔を上げ、相手の眼を見る。兎眼で固定された動かない眼は、顔を向ける他、眼を合わせる方法がない。
その眼を見据える幸村。口角を少し持ち上げながら、彼は言った。

「我が武田城に来られよ。三成殿とその御兄弟殿の傷が癒えるまで、暫しそなたらも羽根を伸ばすべきだ。徳川殿との戦も近い。それまでどうか、武田城で休んで下され」

吉継は一瞬、動きを止めた。
ゆっくりと瞬きをした後に言う。

「お気遣い痛み入る。しかし、主も言われたように徳川との戦も近い。我らは居城に戻り、一旦西軍を纏める必要がある。時来るまで城で厄介になり続ける訳にもゆかぬ故、此度は三成と長官が眼を覚ますまでで十分よ。その間に、我等も優良な休息を取れよう」

そう言うと、吉継は幸村に向かって頭を下げた。

「感謝いたす。甲斐の若虎」

幸村は大きく頷いた。

「うむ、某達も移動を手伝おう」
          
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