ある凶王の兄弟の話2

□空に地の影月に消ゆ
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太陽が闇に沈む時------それは夜ではなく、昼に月と太陽が交わる、即ち日蝕の日を示す。その存在を月と太陽に例えられる西軍と東軍にはうってつけの隠喩が掛かった一日だ。家康はその日、日ノ本の臍と言われる関ヶ原を戦場に選んだ。
将の天下というより、日ノ本の命運を担った戦いといっても過言ではない。これまでにも様々な戦があった。戦が起こる度、日ノ本の中はガラリと変わった。戦国時代の幕開けともなった細川と山名が争った応仁の乱。強豪と名を馳せた武田が敗戦を経験した長篠の合戦。明智が織田を裏切った本能寺の変。豊臣が明智の残党を討ち取った山崎の戦い。北条を滅亡させ、わずかな間とはいえ天下を手にした一件も戦争と言えるのではないか。この時代に生きる正澄でさえ、その紛争の全てを把握している訳ではない。日々どこかで争いが始まり、多くの勇敢な若者が死んでいる。かくも戦ほど無駄な事は他にあろうか。率先して勇気ある命が消え、後に残るのは後手の臆病者のみ。
この蹂躙の果てに民が望む平穏な世の中など、果たしてあるのだろうか。
かつて東将はそんな事を嘆いていた。今なら家康が抱いていた疑問が分かる。ほんの数日前、正澄はこの質疑に怒りさえ覚えていた。それこそ身が燃えるような激しい怒りをだ。だけどその怒りは結局の所、家康を解する自分に向けられていた。それが分かった今は毛ほども憤怒を感じない。彼の言いたかった事が手に取るように理解出来る。
今なら東照に何という言葉を掛けられるのだろうか。


「……」

目を閉じて深呼吸。馬に引かれる馬車が砂利を踏んでガタガタと揺れている。便乗して積まれている医療道具やら薬が振動する。

石田軍は武田城を出て、大阪城へと足早に帰還している最中だった。
武田から馬を何頭か譲って貰えた御蔭で、武田に赴いた時より早く大阪に辿り着けそうだ。
あの様子では決して真田に裏はないのだろう。最後まで忍の方は怪訝な顔をしていたが、大将の幸村は心の底からこちらに信頼を寄せていた様子だった。
前将である武田信玄の話を聞くに、武田軍も決して統率の全てが行き届いている状態ではないらしい。それについてこちらができることは無い。全てはあの若き虎の成長に掛かっている。

林を抜け、窓間から太陽の光が射し込んだ。余りの眩しさにぎゅっと眼を瞑った。
眼を閉じていても分かる。空気に漂う朝露で光を乱反射させ、世を遍く照らす太陽の姿が。だが、辺りは些かしんしんと冷気に覆われている。冷え込むとまでは行かずとも、手先が冷えるような、そんな冷たさだ。
薄く、それでいてゆっくりと瞼を開ける。湿気った空気、茣蓙唐草の匂い、左手には皿の上で溶けて固まった蝋と鋳鍋、掬い灼、玉型、木槌が置かれている。辺りは薄暗いが、火は灯されていない。
その隣には簡素な囲炉裏が配置されている、そちらには炎を纏って紅く発光する炭が入れられ、囲炉裏の上には湯気を立てる熱せられた鉄板が乗っている。
そして目の前に置かれた、唯一無二の宝物である、側面に曼珠沙華が彫られた銃。それを取り囲むように銃弾が散乱していた。
弾丸の先が平らな、殺傷力を極限まで抑えた物だ。馬車が砂利を踏んで揺れるたびにカラカラと音を立てて転がった。
正澄は散らばる弾を見つめながら鎮座している。
床の傾きでこちらに転がってきた弾の一つを手に取る。
石のように丸い火縄銃の弾とは大きく異なる南蛮の弾丸。台形に纏められた鋼の弾に、火薬の入った金属が取り付けられたものだ。正澄は見慣れてしまったが、未だ日ノ本には浸透していない形状で、弾薬を作っているとよく首を傾げられる。かくも珍しいものでもない筈、銃の開発は西洋ではなく東洋の出身が殆どだからだ。それも日ノ本の隣国でその多くは作られている。

正澄は慣れた手付きで弾丸の部分である鋼を分解してゆく。
鋼の弾と火薬入りの筒とを分け、先ずは火薬を取り出し始める。濡れた唐草茣蓙の匂いは一気に火薬の匂いに掻き消される。
あの松永久秀が使っていた火薬の匂いを思い出す。銅と肉が焼けたような、あの刺すような香気。
正澄はこの程度でしか火薬を使っていないが、久秀は火薬そのものを武器にしていた。一度浴びれば人を焼く、死の粉として。
あの濃密な匂いがまだ鼻の奥に残っているような気がした。あれに比べれば、こんな量も香気も随分と優しく思える。何方も危険なものに相違ないのは確かだが。

平たい鋼の弾を鉄板の上で溶かしている間に火薬をろ過する。火薬に入った不純物を取り除き、純度を高める。
鋼を入れた灼を温める。灼の孔から勢い良く融けた鋼が流れるようにする為に、灼は半分以上熱した炭に沈めた。その際表面に浮かんだ滓をすくって捨てる。簡易囲炉裏の熱でじわり汗が滲んだ。作業の支障にならない程度に汗を拭い、手元に集中する。
やがて鋼が熱を帯びて炎を纏いながら発光し始める。それを見計らい、玉型の孔から鋼を流し込み、木ハンで型の上のカッターを叩く。
手法は日ノ本古来の火縄銃と同じだが、鋼は鉛と違い、熱に強い為、統合させた上で形を変えるとなると、かなりの時間を有する。この手際を実行してる間に、馬車が休息のために二回程止まっていた。揺れる馬車の中で手先に集中している為に、そんな事を気に留めている暇などなかったが。
筒に先程の純度を高めた火薬を流し入れ、型から凝固した弾丸を取り出す。
取り出した弾はまだ熱を帯びていたが、金属特有の光沢を取り戻しつつあった。
この二つを再び接合し、細部を鑢で削って形を整えると、見事な金属光沢が露わになる。それこそ鏡のように。美しいフォルムを纏いながら。

「…ふぅ」

ここでやっと一息付いた。手の甲を合わせて伸びをすると、凝り固まっていた肩や腰がパキパキと音を立てた。長く集中していると手先ばかりに目が行き、つい体勢疎かになる。
身体を石と化してまで完成させたのは、残っていた銃弾五発を統合させた一発の弾丸だった。勿論、性能は普段使っていたものとは大きく異なる。
弾丸の先端を尖らせた形に戻し、火薬の純度を極限まで高めた、持っている短銃本来の形状をした弾。
正真正銘、『人を殺す為の弾丸』である。
これを作った事には意味がある。字名を取り戻して分かったのだ。
他人を殺めないで、この先の戦いを乗り越えるのは不可能だと。どれだけ卓越した努力をしようと、勤めようと、自分が『石田』である限り、名も矜持も、誇りも自分も捨てて逃げ出しでもしない限り、無理なのだ。
だけど戦場任せに幾人も切り伏せることは出来ない。そうなれば、自分がいつ瘴気に身を任せた狂人に戻ってしまうのかも分からない。
だからこの弾は必要なのだ。
単純に人を殺める為でもなく、脅す為でもなく、ましてや、これから先の贖罪の為でも、これまでの業を贖う為でもない。

「私を。そして日ノ本を変える為に…」

銃を手に取る。両側面に曼珠沙華が彫られた、鋼に覆われた美濃筒形状の短銃。いつだったか、外海の国で言う『ピストル』や『リボルバー』なるものにに寄せた形に似ていると言われた事を思い出す。

「……」

未だ弾倉には入れない。
必ず来る。
これを使わねばならない時が、
引き金を引かねばならない時が。
自分が誰を打たねばならないのか、この銃口の先に誰がいるのかまでは分からない。
東照かもしれない。それとも東軍の誰かかもしれない。独眼竜や羽州の狐、将又豊臣を見限る形で東軍に加勢した八咫烏か?石田を裏切った右京か、
若しくは---自分自身か。

ぼんやりと表の空を眺める。
憎らしい程に良く晴れた空だった。

     
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