ある凶王の兄弟の話2

□氷柱と八咫の脅威
1ページ/2ページ



白昼の大阪城が捲き上る土煙に覆われる。
先程の空気とは一変、耳鳴りのするような剣戟の音が周囲に犇めく。
血の匂いを感じる。何処かで誰かが血を流している。
だけどそんなものはとうに意識の外へと追いやってしまった。
気に掛けている暇はない。
次の瞬間に血の匂いを発しているのは
自分なのかもしれないのだから。

正澄は居合を繰り出す。
対して義光は時折奇声を上げながらそれをかわしているのみだった。
軟体動物のように身体をくねらせ、時に指揮刀でこちらの剣を反らしながら後退している。
正澄が一歩出れば、義光は一歩引く、
半歩詰めれば二歩も下がる。
こちらが一歩下がろうと、一切その間合いを詰めてこない。
先程からそれの繰り返しだ。義光は正澄の刀から逃げ続けている。
互いの軍が戦う喧騒を抜け、櫓を潜り、背面に塀が差し掛かるまで義光は後退し続けていた。
追うのが馬鹿らしく感じるレベルで。

「…猪口才な」

塀に差し掛かった辺りで、正澄は収めた刀を再び抜くのをやめた。
「おやぁ?」と、嫌にイントネーションが掛かった声を上げる義光。挑発するかのように指揮刀の先で円を描いた。

「どうしたのだね安藤君。我輩はまだ立っているよ」

それに乗ることもなく、冷静に義光を睨みつける正澄。琥珀色の眼光が陽の光に負けることなく色を持ち続けている。

この男は狡猾だ。
指揮刀と正澄の持つ刀の間合いを的確に把握している。恐らく逃げ腰に交戦していたのは、こちらの間合いを完全に把握するためだ。
感情的に相手をすればするほど、こちらが不利な状況に見舞われる。それだけ綿密な算段を立てていることを感じさせる動きだ。
尤も、算段自体が矮小であれば構う理はないのだが、

「かくも貴公のような手練れがいたのは的外れだったがね。それも1人であれば策に狂いはない!」

みたいな事を考えているうちに言っていたような気がするが、話量の多さも相まってその全てが頭に入ることはなかった。
鼻で嘆息した後、おもむろにホルスターから銃を引き抜いた。
常時は左手で扱う銃だが、今回は右手で銃を抜き、義光に向けた。
左手に鞘を被った刀を持っていたせいだ。横着も甚だしいが、彼は真面目に相手をするだけ無駄だとも思えてくる。

「んな!?それは卑怯なのではないのかね!?」

羽州の狐相手に「卑怯」と言わせたのは光栄に当たるのかもしれないが、生憎こちらも手段を選ぶ余裕がある訳ではない。
冷静に相手を捉える。未だ数日前に作った銃弾は装填していない。いつも通りの殺傷力の低い弾丸が込めてある。
そんな事知るよしもない義光は銃を見ただけで震え上がっていた。
指揮刀に向かって引き金を引いたが、ちょこまかと動く彼に対して、それが当たることは無かった。
4発撃ち込んだ所で痺れを切らし、義光に飛びかかった。
右手に銃を持っているせいで抜刀は出来ないが、気絶させるには鞘の一撃で十分だ。
だが、義光は正澄が飛びかかった瞬間、確かに嗤った。
その僅かな変化に気付いた瞬間、義光は大きく両腕を広げて言った。

「待っていたよ、安藤君」

「!」

ひやり、と、冷気を感じた。
そして義光は、鞘の一撃をかわしたかと思えば、正澄の刀を擦るように指揮刀を振るった。
背後に回った義光に振り返った時、左手に違和感を感じた。重くて、冷たい。
視線をやれば、左腕が氷漬けにされていた。鞘すら握れない程まで分厚い氷で覆われている。
これでは、利き腕で刀を振るう所か、抜刀すらできない。
甲高い義光の声が響く。唐突な事態に動揺を隠せずとも、正澄は過敏に反応した。
次に義光は右手の銃を狙って指揮刀を振るった。勘頼りの動きで正澄はこれを避ける。銃まで氷漬けにされては武器だけでなく両手の自由まで失う事になる。それどころか銃器は弾詰まり(ジャム)を起こすかもしれない。
義光の乱撃は止まらなかった。
長い指揮刀で間髪入れずに突きを繰り出してくる。正澄は双眼で動きを読みながら躱す。嫌に冷気を纏った剣だ。薄皮一枚を掠めただけで皮膚が凍り付く。
舌打ちをした。流石にこの冷気までは計算外だ。寒さに手先の感覚が奪われる。温度変化に対して体が弛緩するのも随分と早い。
それでも尚正澄は相手の出方を限界まで見極め続けた。
頬が薄く凍り付こうと、汗が皮膚を離れた瞬間に凍り付こうと、
相手の癖。突きの速度、回数。それらを冷静に分析し、次の一手を予測しながら右手に闇を溜め込む。

「そこだ」

正澄は一点に銃口を向ける。
刹那後に、指揮刀の切っ先と銃口の交点が重なった。

「なっ…!」

義光が瞠目した時、正澄は引き金を引いた。
凍てつく指揮刀を弾き飛ばし、まるで火花のように藤色の光が舞い散る。
情けない声を上げながら体制を崩す義光。その隙を逃さない。
木槌のように凍り付いた左手を地面に勢い良く叩きつける。
余りの衝撃に左手を覆っていた氷は砕け、義光は吹き飛ばされる。キラキラと光を反射しながら砕ける氷。その隙間から垣間見える澄んだ琥珀色の瞳。
銃身を腕に乗せ、再び義光に銃口を向けた。顔を捉えた。いくらすばしっこい義光であれど、この至近距離、この間髪であれば避けられはしまい。

「ままままま待ちたまえよ!!!待ちたまえ!!」

構わず引き金を引いた。
なのに義光は人間とは思えない跳躍でそれをかわした。
完全にあれは反射の動きだ。火鉢に触れた瞬間、頭で考えずとも手が引っ込むそれと同じだ。
正澄は再び小さく舌打ちした。

「屈辱的です」

これで相手に6発は撃ち込んだ。もう弾倉に弾は残っていない。
なのに敵方を倒す所か、武器さえ封じられていない。
動体視力は人並みに長けている正澄でさえ、その奇抜な動きに翻弄されてしまう。
これが義光の意図であれそうでないであれ、弾丸をいくつも無駄にした雪辱は本物だった。

「ァァァアァアぁぁあぁああ!!!?」

甲高く奇怪な声を上げる義光。それで何度目だ。

「素敵紳士の髭!!!髭がぁぁあぁ!!」

見れば左側のカイゼル髭がチリチリに焼けていた。恐らく、先程の弾の火薬が髭を掠めたのだろう。
たったそれだけの事なのに、義光は発狂し、目には涙を浮かべていた。
ついていけない。

「いくらなんでもやり過ぎではないのかね!?安藤君!」

「私を塀に追い込んで逃げ場を失わせる算段でしたか」

「吾輩の髭にどれだけの威厳があるのか分かっているのかね!!」

「生憎ですが稚拙です」

「聞いているのかね安藤君!」

「聞いていません」

「聞いているではないか!!」

「それともう一つ」

正澄は銃をホルスターにしまうと、空いた右手で刀の柄に手を掛けた。
同時に姿勢を低く保つ。義光を睨み付ける

「私は安藤君ではありません」

淡々とした口調で告げる正澄に対し、義光は「ふふ、」と鼻で笑った。

「そんな事は知っているよ。石田君」

「……」

流石に沈黙した。
羽州の狐は相当他人を煽る言動に長けているようだ。
安い挑発に乗るほど安直ではないとはいえ、『あの時』程冷静になれていないのも事実だった。
間を置いて深呼吸。目を閉じて自分に語りかける。
相手のペースに呑まれてはいけない。挑発に乗れば相手の思う壺だ。
…いや、
そうか。
『狐』と呼ばれていたのは私も同じだったな

「無礼極まりない言動の数々、私は非常に憤慨しています。貴方はここで殺します」

そう言うなり正澄は抜刀したが、余程の怒りを込めているのか、刀身は藤色を帯びている。
怪しく煌めく刀身を目の当たりにして、義光は露骨に焦燥した。

「ほ、ほんの冗句じゃないか!冗句1つ通じないようではとても紳士とは言えないよ!」

「えぇ、私は紳士ではない。故に真っ向から、全力で貴方を殺します」

正澄は俊足で義光に飛び掛かる。彼の軌道を光の跡が引いた。
横薙ぎの斬り込みを反射の動きで伏せて避ける義光。その一撃には明らかに殺意が込められていた。胴から人を真っ二つに裂くには十分過ぎる覇気だ。証拠と言わんばかりに刀身を紙一重で擦った義光の縦飾りが火花を上げて削れた。
義光の顔が一気に青ざめた。正に、虎の尾を踏んだそれと同じだったのかもしれない。
間髪入れずにもう一度刀を振るう。抜刀の型。またの名を殺陣。
義光は弱腰で指揮刀を振るった。当然、力が込められた方が覇気も有り余る。刀と衝突した刹那、宛ら氷柱のように指揮刀がパッキリと折れた。

「ひぃいいいいいぃ!!」

気圧されて情けない声を上げながら地面を転がる義光。
臆面を湛え、四つん這いで『鬼』から逃げた先を塀が遮っていた。
自分が利用しようとしていた塀が、今度は自分を逃すまいとせせら嗤う壁に思えた。
そんな彼を執拗に追い、断ち切らんとする藤色の刀身。琥珀色の光。顔貌に青筋を浮かべた鬼。
正澄が刀を振り上げた瞬間、義光は神にでも祈るような心持ちで目を閉じた。

「なんて、」

義光の顔面の横隣の塀に刀が突き刺さると同時に、纏っていた闇が消え失せた。

「冗談です」

義光はヒクヒクと口元を痙攣させながら、恐怖の余りに遠のく意識の中で言った。

「顔が完全に…ホンモノだったよ…安藤君…」


安藤君ではない
     
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ