ある凶王の兄弟の話2

□惑うことなかれ
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雑賀の旗印が刻一刻と迫り来る。
射撃による塀の破壊行動は城に近付くにつれ頻度を落としているようにも思えた。
恐らくこちらが誰も顔を出さない事に疑心を抱き、温存を考え始めたのだろう。

だが、その思惑はすぐに捨て去ることになる。



正澄は塀の上に躍り出た。
勇猛に、雑賀兵の射程距離内に姿を曝したのだ。これに対し雑賀の兵は過敏に反応した。

「狙え!奴を狙え!」

敵人が一斉に自分に注目を向けたのが感覚で分かる。三百もの人間の視線が一気に突き刺さる。だが、正澄はその視線をものともしなかった。
銃口を向けられるも、正澄は身を隠すことはおろか、一歩もその場から動かない。堂々と仁王のように立ち続けている。
彼は雑賀軍の統率の具合や頭数を数えている様だった。狙われているにも関わらず、そんなことはどこ吹く風で右へ、左へとせわしなく眼球を動かし続けている。
そんな正澄に大きな声で問う声があった

「貴殿がこの城を守備する頭領か!?」

芭蕉扇を携え、質の良い甲冑を纏った如何にも頭目らしき雑賀の兵である。
正澄は暫く黙したまま索敵を続けていたが、やがて問いを投げかけた兵士に視線をやり、一呼吸置いたのちに続けた。

「如何にも」

その通り、正澄さえ殺せばこの城は殆ど落ちたようなモノだ。雑賀軍がここまで来た一番の要因たる人間が、たった一人で塀の上に現れた。彼らにとってはまたとない好機も同然である。

「……」

不愉快な沈黙が続く。秋風が地面を撫でると同時に彼の頭髪が揺れる。妖しげに煌めく琥珀色の双眸。追い風に膨らんだ羽織が三百の兵を前にした矮躯を大きく見せる。
これが好機なのは誰の目にも理解できる。だが頭の奥であの大将が何を考えているのかがわからない。冷静な姿勢を崩さない正澄を前に、誰もが固唾を飲んだ。
不穏な雰囲気を一閃する声が響く。

「何をしている!撃て!撃てー!!」

喚き立て、芭蕉扇を振り上げる頭目兵。それを皮切りに、轟音と共に火縄銃が火を吹いた。
弾丸は一直線に正澄を狙って放たれる。だが、
正澄は抜刀し、五十もの弾丸の軌道を読み、それを捌いた。
自らに触れる弾のみを見極め、必要最低限だけ刀に触れさせ、弾の軌道を曲げる。火花を上げて四方に飛ぶ弾丸。彼の足元や近くの塀に続々と穴が穿たれることに対し、正純自身は一切の無傷だった。
元より大砲や火縄銃の弾はあまり目標に当たることを前提として作られていない。丸い弾の形状は空気抵抗を受けやすく、軌道はブレやすい上に向かい風に対して発砲しているとなると威力も落ちる。

正澄が大した疲れもなく弾を捌ききれたのは、風の恩恵あってことだろう。
全ての弾を凌ぎ切った猛者を前に、雑賀の兵は露骨にたじろぐ。その一人一人の絶望に染まる表情も、正澄はしっかりと見ていた。続け様に彼は収刀せず、そのまま刀を振り上げて言い放つ。

「矢を構えよ」

凛とした声はよく通った。後方に控えた弓兵達が一斉に矢を引く。
それも単なる矢ではない
鏑矢と呼ばれる矢の先端付近の鏃の根元に鏑が取り付けられた矢で、射放つと音響が生じるものだ。
その用途は勿論、敵を射る為のものではない。
そしてもう一つは火矢だった。
先端に油を塗り、火種を落とした燃え盛る矢である。
彼らが矢を構えている先は
塀の向こうの空だった。

「放て!」

正澄は空に向けて刀を指した。その刹那、鎬矢が笛のような鋭い音を発して空を斬り、火矢は煌々と燃えながら塀を超えて飛んだ。
敵兵の顔が徐々に引きつった時、雨のように矢の嵐が降った。人を狙われて放たれていない矢は勢いを失って地面に突き刺さる。だが、それこそが正澄の目的である。
火矢は地面の草木を飲み込み、風の影響を受けて瞬く間に燃え広がった。
風の方向へと火の手は迫る。
燃え広がる方向は無論、雑賀衆がいる方向である。

火と火薬は文字通り一触即発の関係にある。暴発の恐ろしさなら銃の技術を極めた雑賀衆が一番良く知っているだろう。
敵兵は火縄銃を庇いながらおののいた。彼らの表情も全て正澄は見ていた。士気の低下を目視で確認するためだ。
追い風は火を大阪城に近付けず、敵兵に向かって壁を作り上げていく。

「火薬を捨てろ!引火するぞ!」

「銃を捨てて突っ込め!突っ込めー!!」

采配が振られる。まだ彼等は勝てるつもりでいる。流石に逃げ出す者はいない。まだだ、まだ『威嚇』が足りない。
正澄は再び刀を振り上げた。
塀の奥にいる弓兵が火矢と鎬矢を構える。

「放て!」

再び打ち下ろす。鎬矢の鋭い音が一閃、火矢が空を舞った。
走る雑賀兵に矢の雨が降る。人を狙っていないとはいえ、矢の射程距離にまで迫ったものには火矢が突き刺さった。悲鳴が聞こえる。度を増して燃え広がる地面。火を恐れて恐怖を帯びる敵兵の表情。

正澄は囮であり、指揮者であり、
塀の奥の弓兵の『目』なのだ。
鎬矢は元より合図に使われる矢だが、その鋭い音を火矢と同時に放ち、音による恐怖の増大によるパニックを狙ったのだ。
実際に効果は覿面のようだ。風の恩恵もあり、たった弐波だけで火矢の炎は身の丈以上にまで成長し、音は敵兵の混乱と恐怖を煽っている。
雑賀の隊列が徐々に乱れている。三度目の合図を送ろうと刀を振り上げた、その時、
きらり、と、敵兵の中で何かが光った。

「っ!!」

それに気付いた瞬間、正澄は反射のような動きで状態を反らした。刹那の内に彼の脇腹を銃弾が掠めた。
火縄銃の弾ではないことは風の切り方で分かる。正澄が使用しているような、南蛮由来の銃弾だ。
今のは明らかに、『狙われて狙撃された』

「くっ…!」

突如無理に体制を反らし、その上で脇腹に衝撃を受けたことでバランスを崩し、塀の上から落下する正澄。勿論、無様に頭から落ちるような真似はしないとはいえ、受け身を取る事で精一杯だった。

「石田様!!」

兵士が心配そうに駆け寄ってくる。彼らを尻目に正澄はすぐに刀を杖にしながら立ち上がる。
やはり、頭目兵のみで兵を動かす筈はない。失念していたとは言わずとも、まさか紛れているとは思わなかった。あの三百の兵隊の中にいる『頭領』の存在を。
恐らく次に同じ手は通用しない。
狙われて狙撃されていたとはいえ、殺意なき弾だった。あの頭領の腕は知っている。今の弾丸は『掠める為に撃たれていた』のだ。

「武器を持ち迎撃なさい。敵の火縄銃が切れたとまでは断言しませんが、ここから先は白兵戦です。城下を侵されようと大阪城には指一本触れさせてはなりません」

弓兵を含め、兵達は顔を見合わせて頷いた。

「勿論にございます。戦の準備は出来ていますれば!」

「彼奴等めの士気を削いだ功績、無駄には致しませんぞ!」

「この身が貴方様の盾となることを光栄に思います」

正澄は彼らの顔を一人一人眺め、口角を持ち上げた後に続けた。

「征きなさい、我が同士」

「はっ!!」

兵士たちがガシャガシャを甲冑を揺らして立ち去っていく。正澄はそれを確認するや否や、ホルスターから銃を抜き、弾倉を取り出した。
同時に胸元から一つの弾丸を取り出す。先日に精製したものだ。
弾丸の先端を尖らせた形に戻し、火薬の純度を極限まで高めた、持っている短銃本来の形状をした弾。
『人を殺す為の弾丸』
放てば人一人の命を奪うに易い一発。

「……」

無言のうちにそれを弾倉に込める。
銃身を額に当て、深呼吸をしながら目を閉じた。
今更になって痛感する。秀吉と半兵衛が、正澄に刀ではなく銃を与えた理由。
恐らく始めから二人は気付いていたのだろう。
正澄はどうしようもなく『臆病な人間』であることを。人を傷つけたくないのだと胸の内で嘆いていたことを。そしてその上で『人を殺す才能を持つ』残酷な事実を。
だからこそこんなにも殺傷能力の高い弾を装填する銃を与えたのだろう。
自分が殺した人を弔う意を表す曼珠沙華の華は正澄自身の為に彫られていたものかもしれない。それでも尚、無知な自分は彼等の前で武勲を立てようとして刀を取ることを選んだ。
思わず口角が歪んだ。なんて皮肉な話なのだろう。
自分はこの世に生を受けた時から泥に塗れていた。右も左も分からず、漠然とした不安に苛まれ続けた。侮蔑の愚を犯し、振り返れば恥ばかり晒している。
笑えない話だ、今やそんな臆病者が頭領や先駆者と呼ばれる立場にあるなんて。
だが、そんなものは皆同じなのだ。
私達が人である限り----

正澄はゆっくりと目を開ける。

「…もう、惑わないと決めた」

正澄は鞘を打ち捨てた。
右手に刀を、
左手に銃を携え、敵が迫る塀の上へと再び飛び乗った。



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