ある凶王の兄弟の話2

□「"からす"」
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人の波が我先にと襲い掛かってくる。だが彼らが見ているのは正澄はおろか、塀の向こうの大阪城ただ一点のみだった。恐らくは将軍や大将に城を狙えとでも命令されたのだろう。考え無しの猪突猛進に突っ込んでくるのなら正澄のような婆娑羅者を放って置くわけもないはずだ。
だがそれは利口な判断だと敵軍に当たる正澄でも思う。三成のような対軍に特化した婆娑羅者であれば一軍をも相手にすることが出来る火力を誇る。それだけの因子を相手にするには並大抵の人をいくらぶつけた所で兵力の無駄だ。
目には目を、歯には歯を。『からす』には『カラス』を
全くもって至極真っ当な判断だ。

辺りを覆う煙の匂い、火薬の匂い。僅かな汗の匂い。乾燥し、熱を帯びた秋風はそれらの香をよく運んでくる。
正澄は不敵な笑みを浮かべた。
塀を突き破り、或いは梯子を伝い、城下の地面を蹂躙する雑賀兵。彼らがこちらに見向きしないことと同じように、正澄も侵略する雑賀兵に見向きはしない。
敵軍の侵攻は自軍の兵士が応戦してくれる。自分には、自分にしか出来ないことがある。
彼が見据えているのは、塀の向こうにただ一人。凛とこちらを見据え続ける、紅く、妖艶な影。

「……」

あぁ、久しいな。この感覚。
他人を信用したのはいつ振りなのだろうか。いや、他人を信用した事なんてあっただろうか。
己の事は己だけが理解していれば良いと思っていた。己は大きな軍勢の中にいるたった一人の小さな武器としか思っていなかった。常人より切れ味が良いだけで、誰からも信用されない使い捨ての武器だと思っていた。
だけど、武器であろうとした自分が消え去り、私の手元に残ったのは『研鑽』と『経験』だった。
目を覚ました時は大層恐ろしかったものだ。忠順な駒としての機能を削がれた私に何が出来るのか、と。
その解は今目の前にある。
尚も私は再び刀を、銃を握れている。

私は『武器』であり----一隊を導く『采配』


「…久しいな。"からす"め」

雷管を叩く爆発音。顔を反らした正澄の髪を掠める。

「お久しぶりです。八咫の"カラス"よ」

青い煙を吹く短銃を捨て、燃え盛る業火の中から現れた女将----雑賀孫市は、腰に手を当てて凍り付くように冷ややかな笑みを浮かべた。

「まさかこんな所にお前がいるとはな。大谷の指示か?」

正澄はゆっくりと瞬きをしながら言う。

「この場に留まったのは私の判断です。最上や貴方のような動きを警戒してのね」

「ほう。事前に我等の動きを読んでいた、と」

ならば躊躇も加減も必要ないな、と孫市は続ける。
足元の砂利を蹴る。正澄はその様を見て柄を握る右手に圧をかけた。
孫市は腿に装着した短銃を一つ手に取り、正澄に銃口を向ける。

「一度は武器を交えた仲だ。我等はお前を謀りはしない。故に弾薬は惜しまない。石田、お前は『私』に相応しき敵となれるか?」

正澄はじっと孫市を見据える。手に持った武器が小さな音を立てた。
孫市は自分の力量と雑賀全体の軍力を含め、それらを一つの戦力として見ている節がある。自らを『我等』と呼ぶのはその為である。
その彼女に対して、相応しき敵になれるかと問われたのだ。孫市個人の御目に適ったと受け取っても差し障りは無いのだろう。
期待されているのだ。
敵として、
婆娑羅者として、
一人の猛者として、
-----私にとっては光栄であると同時に過ぎたる期待だ。

「重畳。私はただ、貴方の弾幕に全霊を以って応えるのみ」

嵐の前の静けさ。
熱を帯びた秋風、炭になった唐草が火の粉を纏って辺りに散っている。
暫しの沈黙が辺りを支配する。城下の喧騒や燃え盛る炎の轟音さえも、どこか遠くに感じさせてしまう程に。
睨み合いが始まる。
そして-----

先に引き金を引いたのは孫市だった。
今度は正真正銘の殺意が込められた弾丸の軌道。その感情に人一倍敏感な正澄は、掠める弾を避けるよりずっと正確な動きで弾丸を躱した。
すぐに距離を詰める。短銃を捨て、また新たな銃を取り出しては構える孫市。敵が迫っているというのに、その動きには焦燥も震えの一つも無かった。
正澄は下からすくい上げるように刀を凪ぐ。軌道を読んでいた孫市は刀に向かって引き金を引いた。軌道に従っていた刀が弾かれる。鋭い金属音と共に火花が飛び散った。凄まじい衝撃が右手を駆け抜ける。強く刀を握っていれば脱臼や捻挫は避けられない衝撃だ。だが、
正澄は怯む所か、その顔に歪みの一つも作らないままで弾かれた衝撃を利用して蹴撃を繰り出した。孫市は弾薬の切れた短銃でそれを受け止める。続けて二撃目の体術。飛び上がり、空中で身体を旋回させての蹴撃。
孫市は後方に飛び退いてそれを避けた。飛び退くだけでなく、手榴弾のようなものを三発を同時に投げ捨てた。
一瞬は何を投げたのか分からなかった。だが、あの雑賀が使うものだ。爆発するものと気づく事は容易かった。正澄は着地と同時にその場から距離を取る。その刹那後、

「!?」

目の前で何かが爆発した。衝撃も爆風も人を吹き飛ばすだけの威力もない。ただ視界が真っ白になる。右も左も、上も下も全て、真っ白に眩んだ。

「ぐっ…!」

頭を強く殴りつけられたかのような耳鳴りが脳髄に走った。
思わず眦を押さえた。手榴弾ではない。先程孫市が投げたのは閃光弾だったのだ。
光を直視してしまい、視界と聴覚を奪われた正澄。距離を置こうにも、相手がどこにいるのか分からなければ動きようがない。
耳鳴りの奥から雷管を叩く音。発砲音だ。正澄は視界をなくして尚も過敏に反応する。いや、視界をなくしたからこそいつも以上に、過敏に反応できたのかもしれない。徐な殺意の籠った弾丸に対し、直感的な動作で身体を反らす。身体を掠める弾丸。再び雷管を叩く音。轟音。発砲音。
鈍い頭痛が集中力と直感を削ぐ。一つでも充分な効能を持つものを一度に三発も受けたのだ。無事であるほうがおかしいくらいに。
成程、確かに弾薬も火薬も、そして手段を惜しむつもりは無いらしい。下手に手を抜けば次の瞬間に自分は滑稽な踊りを見せから蜂の巣になっていることだろう。
笑えない見世物だ。

正澄の刀が黒を帯びる。孫市がそれを目視で確認した刹那、彼はその刀身を勢いよく地面に突き刺した。刀と地面が触れる場所を中心に、穹窿状の闇が辺りを覆いつくす。正澄の周囲だけが、夜のように真っ暗になる。
孫市からは穹窿状の夜の奥が全く見通せない。だがそんな事、彼女にとってはさしたる問題ではないのだ。
彼女は手榴弾を投擲する。素早く短銃を構えた先は、先程投げた手榴弾。

「的を曖昧にしただけでは、かわせんぞ」

孫市は引き金を引いた。空中で爆発した手榴弾が闇ごと地面を吹き飛ばした。
凄まじい熱風が辺りを焼く。彼女が空の短銃を捨てた時だった。

「浅膚(せんぷ)はどちらか」

「!」

声が聞こえたのは孫市の背後。
振り返った目の先に、地面を抉りながら走る藤色の斬撃が見えた。
間一髪で避ける。
刀を振り切った態勢の正澄。
態勢を整え直す孫市。

「成程。まるで戦い方自体があの時と別人だな」

先だっては胸臆を『殺す』戦い方に対し、
今は戦そのものに『活きる』戦いだ

「一振り一振り私の瑕疵を確実に狙っていた。あの戦い方はどうした」

正澄は肩の力を抜いた。
あの時とは違う。
今は---おかしなことに結束を感じている。
他人との一体感を感じている。他人を信用できている。
こんなこと、豊臣に身を置いていた私にはわかるまい。
一呼吸置いたのちに言う。

「今は、貴方を即刻に屠るだけが私の役割ではない」

孫市は笑みを浮かべた。
それは冷笑ではなく、同族に向けた不退転の決意が滲む笑みだった。

「それだけ分かっていれば十分だ」

孫市は一歩を踏み出した。
同時にどこからか彼女の半身はあるような銃を持ち出した。
正澄はそんなものを見るのは初めてだったが、南蛮仕込みのそれだろう。
孫市が扱う武器は、最新が過ぎる。情報を持たないこちらからすれば、銃器とは分かれど、それがどんな弾の形状をしているのか、どれだけの殺傷力と攻撃範囲を持つのか、全くわからない。
多彩な武器を使いこなす様は、確かに才能あるが故の賜物だろう。
セーフティを外し、重量があるであろうそれを片手で持ちながら凛と通る声で言い放った。

「石田。お前を武器と謗った事を撤回しよう。今のお前は、他者を導く一人の兵(つわもの)に相応しい」

だが、と孫市は続けると同時に引き金を引いた。

「!?」

正澄は瞠目する。『一つの銃口から、銃弾が大量に放たれたのだ』
反射的に体に闇を纏わせ、右に避けた瞬間、己の左半身に衝撃と激痛が走り抜けた。文字通り左半身全てに。腕から足にかけてまで広範囲に衝撃を感じた。甲冑や左手に持った銃が火花を散らした。

「あ…ッ!?」

重心が傾く。左足が出なくて横転する。全身に鉛玉を受けなかっただけ運が良かったと捉えるべきなのだろうか。
地を這う正澄に冷ややかな声がかかる。

「お前は“からす”だ。それだけ分かっていながら、あの凶王に下り続ける意味はあるのか」

反射的に全身をカバーしていなければ、今頃自分の半身は使い物にならなくなっていた。
そんな事を考えながら正澄は半身を庇い、ゆっくりと立ち上がる。
流血はない。身に纏った闇が緩衝したお陰だが、無傷というには酷い痛みを感じる。何本もの針が貫通したような、鋭いようでいて鈍い痛みだ。

「…あります」

彼は視線を伏せたまま言った。

「その自覚が遅かった。以前まで私は、貴方がたが武将となる以前から持っていた覚悟を知る事も、踏み躙る事も何とも思っていなかった」

顔を上げて孫市と対峙する。重なる視線。深紅と、琥珀の瞳。

「今尚三成はそう思っている。知っていながらも彼を止められなかった。人を斬り伏せ、蹂躙し、絶望に生きる三成を傍観しているだけだった。それが愚か者でなくて何か。“からす”でなくて…!」

一つ呼吸を置いた。いつの間にか肩に籠っていた力を抜く。

「西軍に忠を尽くす資格は無い。私は、最後まで豊臣の残滓として貴方達の『未来』に抗います。これは我が罪、傲慢にして業。罪に許しは乞わない。私の犯した過ちは、全て背負って望むまで」

正澄は刀を構えた。琥珀の瞳には硬い決意が宿る。
孫市は銃を構える。深紅の瞳には深い哀れみが宿る。

「『誰か』と同じ事を言うのだな。お前は」

そんな孫市の独り言を聞いてか聞かずしてか、正澄は唸るように言った。


「秀吉様。この者を征伐する罪を、私に-----」


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