*wild fancy

まだ珈琲が苦かった頃、生クリームは食べられた
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サンタクロース様々の力に、この恋を賭けようと思ったのだ。


クリスマス、なんて浮かれたイベントで。浮かれた気分でなら。どー転んでもどーにでもなるんじゃないかって、実に器用に自分が傷つかないように上手に上手に理由を作って、子供の特権をフル活用して責任を別所に速達で送り付け、これからも何不自由なくのらりくらりと生きていけると信じたていたかったから。








昔々より私はちょっとだけ大人になった。そりゃそうだ、人は成長するのだから。
縦にも横にもおっきくなって、なんなら態度も幾分かおっきくなったかもしれない。物分かりだって随分と良くなったし、多少なら世渡りの術だって身に付けた。


ただ、ちょっとだけまだ子供なところは依然として変わりゃしなかった。
いじいじ悩むし、拗ねるし、現実的にも比喩的にも、段差があれば見事に躓く。ちっちゃい何か、例えばそれは伸び悩む成績であったり、叶わない恋慕であったり、自分の愚かさであったり、対人関係の縺れであったり…が、幾つも重なればそれだけで人生最後の気持ちになる。



いわば私は、かっこつければ所謂華のマージナルマン。大人と子供の境界をさ迷う、曖昧かつ不安定な人種、そんな存在であった。しかしこればかりは致し方あるまい。だって青年期だもの。誰もが通る道だってばっちゃが言ってた。






何もかも楽観視していて結局のところなんも考えちゃいない子供だというのに、いっちょまえに大人チケットは持っている。……使い方は分からない。価値もイマイチ分からない。正直持て余していた。


でも、なんかこれは持っていたら凄いもので、偉いもので、こんなちんけな私でもこれさえあればきっとえへんと胸を張ることの出来る代物なんだと思ったから、大事に大事にシワ1つ付けずにしまっておいたのだ。これから先の“ここぞ!”という場面で効かせるために。




見えもしない大人チケットは、少し心の中でちらつかせただけで優越感をくれた。ちょっとした自信もくれた。勿論それらは表には出さない、あくまで自分の中で完結されたものでしかない。見せてしまったらそこまでなのだ。






見せてしまったら。

なんと言い訳しても、必死に取り繕ってもどうしようもなく大人になってしまって。

足場なんかすぐになくなっちゃって。

1人冷たい布団で泣いて泣いて何事もなかったかのように朝を迎えなくてはならなくなるから。



きっと大人ってそーゆーこと。






だからこそ、ずる賢さを覚えたくせにあどけない子供の顔をして、使用期限はとうに切れてる子供チケットを平然と突き出して、柄にもなく年に一度のお願いをするのだ。







サンタさんへ。一年ぶりですね。お元気ですか北の国はお変わりないでしょうか。寒がりですが、雪国って憧れます。大きくなったら訪ねてみたいです。…さてさて早速でごめんなさい、プレゼントのお願いをしてもいいですか?


私が今年欲しいのはですね、彼のハートです!ハート!heart!


例年サンタさんは25日の朝にはプレゼントが届くという日程で我が家にいらっしゃるようですから、そうですね、頂けたハートを持って25日の夕方にでも告白をしに行きます。決めました。約束します。ですのでぜひ、プレゼントの方よろしくお願いいたします。ちゃんと眠って待ってます。




PS.この恋が実ったら…案にサンタさんが本当に彼のハートを届けてくれたら、ということですか、そしたら来年もサンタさんにお願い事をしても良いですか。来年も子供として、隠し持った大人チケットを使わずにニヤニヤしていても良いですか。

大人の責任とか、義務とか、常識とか、まだ重すぎてとても持てる気がしないのです。





届かなかったら、その時はちゃんと。…なるべくズルは、やめていく方向で。
使用期限は守ります。














“大人の味”だなんてよく言ったものよね、

大好きだった山盛り生クリームは辛いのに、ほんとはもう珈琲が飲めるようになっていた。





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