萌えcanですよ

□ブラックコーヒー
2ページ/2ページ

しばらくの間、雨の音と少女の鼻歌をBGMに原稿に向かって万年筆を走らせていたヴィンセント。
どのくらいそうしていたかは覚えていないが、手にとって傾けたカップの中身は既に空になっていた事に気付く。
少女に声をかけようと思って振り向いたら、少女はコーヒーポットを手に傍に立っていた。

「おかわり、でしょ?」
「ああ。良くわかったな」
「まーね!なんたってアタシはスーパー美少女カフェマスターだからね!」


IMG_3343


流れるような動作でカップにコーヒーを注ぎ足しつつ、なんとも仰々しく長ったらしい称号を口にする少女に思わず笑いが漏れる。

「あ!笑ったな!?」
「いや、スーパー美少女カフェマスターにお会い出来て光栄だと思ったまでだ」
「嘘つけ!おかわりのサービスしてやらないぞ!!」

顔を赤くして怒る少女からコーヒーを満たされたカップを受け取って口に含む事で歪む口元を誤魔化す。
頬を膨らませていた少女だったが机の上の原稿が視界に入り、怒りもそこそこにそれについて尋ねてきた。

「お客さんって作家?」
「まぁ・・・そんなところだ」
「ふーん。静かな自宅で黙々と書いてるってイメージあるけど普通は外で書いたりするもん?」
「いや、私の場合は気分転換を兼ねた外出だ。買い物以外ではあまり外に出る質ではないのでな」
「そーなんだ。ま、アタシとしてもコーヒー飲んでってくれるからどんどん来て欲しいところだね!」
「随分ハッキリしているんだな」
「取り繕ったって同じっしょ?敢えてもう一つハッキリ言うならスコーンとか食べ物も注文してってよ」
「そこまでくれば最早露骨だ」
「ちぇー」

少女はクスクスと笑うとポットを持ったまま再びカウンターの奥に引っ込んだ。
先程の会話からしてもどうやら少女はヴィンセントの事を本当に知らないらしい。
テレビ出演も少なくないヴィンセントなのだが、本気で興味がなくて覚えていないのだろう。
それはそれでなんだか寂しいような悔しいような気持ちがしないでもないが、それらのちっぽけな感情に負けて折角の穴場を台無しにする訳にはいくまい。
ヴィンセントは熱いコーヒーを飲んで感情を制限すると再び原稿に向かった。

そうしてその日はヴィンセント以外に客が来る事はなく、ヴィンセントも3回おかわりを堪能してから帰宅する事にした。
気づけば外はすっかり暗くなっており、雨はいつの間にか止んでいた。
ヴィンセントは原稿と万年筆をまとめてカバンにしまうと帰り支度を始める。

「あ、そろそろ帰んの?」
「ああ、会計を頼む」
「コーヒー一杯230ギルだよ」

コートを着てメガネからサングラスに付け替え、レジの前に行ったらそんな風に言われた。
流石にコーヒーだけしか注文しなかった上におかわりばかりしたのは些か図々しかっただろう。
若干の気まずさからヴィンセントはこんな事を言った。

「・・・次は他のメニューも注文しよう」
「その言葉、忘れんなよ?」
「スーパー美少女カフェマスターの次に忘れないようにしよう」
「腹立つなー!ユフィでいいよ、ユフィで!」
「ユフィ?」
「そ、アタシの名前!ユフィ=キサラギだよ」
「そうか・・・ではな、ユフィ」
「うん、暗いから気をつけなよ〜」

少女―――ユフィに見送られながら来た時と同じようにドアを押し開いてベルを鳴らしながら外に出る。
雨が降った後だからか、空気は澄んでいて寒い。
吐き出す息は白く、コーヒーで温めた体の温度を奪いにかかってくる。
そうは行くかと左右を確認してから道路を渡り、向かい側のバス停に向かう。
来た時のとは反対の方向に行くバスだ。
バス停の前に立って手をコートのポケットに入れながらカフェ・キサラギを眺める。
ユフィはヴィンセントが座っていたテーブルの上のカップを取り下げている所だった。
明るく、気さくに話しかけてきたユフィ。
自分の事は知らないみたいで普通の客同然に接してきた彼女はなんだか新鮮な感じがした。
そうやってぼんやりと店を眺めていると、やがてバスが到着してきたのでヴィンセントは乗り込む。
席に座って窓からまた店を見ると、テーブルを布巾で拭いていたユフィと目が合った。
するとユフィは太陽を思わせるような笑顔で手を振ってきた。

「・・・」

ヴィンセントが軽く手を挙げて返すのと同時にバスは出発した。











END
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ