萌えcanですよ

□クロワッサン
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翌日、昼食を摂ってからヴィンセントは家を出た。
本当は朝から行きたかったのだが、よくよく考えてみれば開店時間を聞いてなかった。
もしも開店時間が遅かったら早くに行っても迷惑になるだけだ。
原稿と万年筆などがカバンに入っているのを確認してからヴィンセントは家を出た。

昨日と同じ席に座り、バスに揺られながら窓の外を眺める。
今日は晴れているので見晴らしもよく、街の景色を堪能する事が出来る。
大小様々な建物、変な形の屋根、買い物をしている女性にこれから営業に行くであろうサラリーマンたち。
井戸端会議に夢中になっている飼い主に冷ややかな視線を送りながら寝そべる犬に苦笑する。
と、そこでなんとなく見覚えのある景色になった事に気付いてヴィンセントは停車ボタンを押した。

『次、止まります』

昨日と同じアナウンス、昨日と同じ他の客の残念がる空気。
ヴィンセントは昨日と同じように客たちに関心を向ける事なく運賃を払ってバスを降りた。
そして冷たい風を頬に受けながらカフェ・キサラギのドアを押し開いた。

「お、いらっしゃーい!」

昨日と同じ明るい声に迎えられ、昨日と同じ席に腰を下ろす。
注文票を持ったユフィが席までやって来る。

「今日の注文は?」
「ブラックコーヒー」
「と?」

やはり覚えていたかと小さく苦笑する。
雰囲気的にも注文しなければ逃がしてくれなさそうだし、仕方なくヴィンセントはメニュー表を手に取った。
ケーキやチョコスコーン、マフィンなどの文字が書かれているが、甘い物はあまり好きではない。
だからとなるべく甘くなさそうな物を吟味し―――結果、クロワッサンが目に留まった。

「クロワッサンで」
「はいよ!クロワッサン!」

二ヒヒッと笑ってユフィは下がった。
とりあえずは許してもらえたと思っていいだろう。
原稿と万年筆、それからペンと手帳を取り出してヴィンセントは準備を始めた。

「はい、クロワッサンとコーヒー」

トレイに乗せてきたコーヒーとクロワッサンをユフィがテーブルの上に置きに来る。
ヴィンセントは手帳のフリースペースを開くと尋ねた。

「ユフィ、この店の休業日はいつだ?」
「ん?日曜と木曜だよ」
「日曜と木曜か」
「そ!木曜は毎週定休日だから」
「営業開始時間と終了時間は?」
「朝の8時から夜の6時までだよ」
「朝の8時から夜の6時だな」
「何々?これから朝8から来てくれる感じ?」
「・・・迷惑か?」
「まさか!大歓迎!お昼のメニューもあるからそっちもヨロシク〜!」
「ああ、分かった」

さりげなく釘を刺されるが一日中居座るのだ、そのくらいしなければ失礼というものだ。
ユフィだってボランティアではないのだし。
書き終わった手帳をカバンにしまうとヴィンセントは執筆作業に取り掛かった。




それからしばらくして閉店の時間になった頃。
ユフィにもう店を閉めるからと言われて帰り支度をしていた時だった。
何やらジロジロとユフィがヴィンセントの事を見つめてきた。

「・・・私の顔に何か付いてるか?」

居心地が悪くなって尋ねるとユフィは首を捻った。

「うーん・・・お客さん、どっかで見た事ある気がするんだよねぇ」

ビタッと一瞬だけコートを着る手が止まる。
これは、まずい。

「・・・気のせいじゃないか?」
「そーかな?」
「・・・もし思い出す事になっても秘密にしててくれないか」
「?分かった」
「では、またな」
「うん!帰り気をつけろよー!」

おおよそ客を見送る言葉じゃないが今はそれどころじゃない。
ユフィがヴィンセントの正体に気付きかけている。
一応口止めはしたが果たしてどこまで黙ってていてくれるか。
折角の穴場だと思ったのにまた諦めなければならないのかと思うと溜息が出る。
憂鬱な気分でヴィンセントは帰りのバスに揺られるのだった。















そして次の日。
ヴィンセントは昨日に引き続き憂鬱な気分でいた。
昨夜は自分が有名人であるかを明かすか悩んだが結局結論が出ないまま翌日になってしまった。
でもきっと、今までと同じだ。
正体がバレてファンが押し寄せてあの喫茶店にいられなくなるだろう。

(次の場所を考えておくか・・・)

そんな事を思いながらヴィンセントはバスを降りてカフェ・キサラギの扉を押し開いた。

「それでさ―――あ、来た!よっ!」

店の中に入ると先客がいて、ユフィはその客と親しげに話しをしていた。
そしてヴィンセントに気付くと、最早友人のような接し方をしてきたので流石に呆れる。
それは先客も同じように思ったらしく、苦笑交じりにユフィを諌めた。

「これこれユフィちゃん、お客さんにそんな態度をとっちゃいかんよ」
「でももう常連さんだもん」
「常連さんだからこそ丁寧に応対するもんじゃ」
「でも歳も近そうだし常連さんも気にしてなさそうだもん。ね!常連さん!」

「気にしていると言ったら?」

「えっ」
「ほれ見てみんか。すまんの、お客さん。ユフィちゃんに悪気は―――おや?」

灰色のコートを着た髪の薄い老人はヴィンセントの方を振り返ると嬉しさが混じったような驚いた表情を浮かべた。

「おやおやおや、ヴィンセント=ヴァレンタインじゃないか」
「え?おじいちゃん知ってるの?」
「ああとも」

ヴィンセントの心が一瞬にして曇る。
ああ、またこのパターンか。
うんざりしたように息を吐こうとするヴィンセントを遮って老人が説明を始める。

「テレビでよう出とるじゃろう」
「うーん・・・あっ!そーいえばなんか出てたね!なんかの番組で見かけたよ!」

ユフィの中で自分の存在が如何に薄いかが分かった瞬間だった。

「ワシの知り合いが嫉妬の炎を燃やしとったぞ〜。若造の癖に名作をポンポン生み出して若い子に支持を得て生意気じゃとな。
 じゃからディオスには気をつけるのじゃぞ、ヴィンセント=ヴァレンタイン」
「ディオス?ディオス=マクタイン殿の知り合いなのか?」

ディオス=マクタインとはヴィンセントと同じ業界の著名人で、ヴィンセントが作家業界に入ろうと志したきっかけの人物でもある。
有名人になったとはいえ、まだまだ会える機会は少ないし、自分など足元にも及ばない。
しかし、まさかそんな人間の知人に会えるとは思ってもみなかった。
しかも嫉妬されているという光栄な情報までいただけた。

「まぁな、腐れ縁というやつじゃ。それよりユフィちゃん、ワシはそろそろ帰るわい」
「えー?もう?来たばっかりじゃん」
「ちょっと寄っただけと言うたじゃろ。また今度来るからの」

老人は陽気に笑うとコートと同じ灰色の帽子を被って料金を払うと席から立ち上がった。
が、帰り際にヴィンセントの耳元に一言。

「ユフィちゃんは競争率高いぞ。狙うなら今の内じゃ」
「っ!」
「ふぇっふぇっふぇっ!」
「私はまだ、ここに来て3日目だ」

弁解をするヴィンセントだったが老人は既に店から出た後だった。
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