萌えcanですよ

□おかゆ
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取材旅行を終えてヴィンセントは家路を辿っていた。
右手にカバン、左手にユフィへのお土産を携えてコツコツと一人静かな町並みを歩いて行く。
と、そこで角を曲がる時に出会い頭に一人の女性をぶつかった。

「きゃっ!」
「っ、すまな―――」

最後の言葉は出なかった。
いや、あまりの精神的衝撃により出す事が出来なかった。
角を曲がってぶつかった女性、それはあろうことかルクレツィア=クレシェントだった。
思いもしなかった人物にヴィンセントが言葉を失っていると、ルクレツィアもヴィンセントに気付いたらしく、驚いたような顔をして言った。

「もしかして・・・ヴィンセント?」
「・・・ルクレツィアか?」
「久しぶりね、元気にしてた?」
「ああ、それなりにな。ルクレツィアも元気にしていたか?」
「ええ」

当時のようなぎくしゃく感はあまりないが、互いに微妙な距離があるのはなんとなく分かる。
微妙な距離があるからか、会話に困って二人の間に沈黙が流れる。
その時、ふとヴィンセントの目にルクレツィアの左手の薬指に嵌められているシルバーのリングが目に入った。

「・・・・・・結婚、したのか?」
「え?ああ、うん。三年前に、ね」

瞬間、ヴィンセントの思考が凍りついた。
情報受容器官は受容を拒否し、処理能力は著しく低下していくのが分かる。
なるほど、これがショックというものかとどこか冷静な自分がいるのがなんだか滑稽だった。

「・・・そうか」
「あ、いけない、もうこんな時間。私これから行かなくちゃいけない所があるから、またね」
「ああ・・・元気でな」

話もそこそこにルクレツィアと別れ、ヴィンセントは再び家路を辿った。
しかしその道中はとても静かなもので無音にも等しい。
いや、生活音などはしていてもヴィンセントの耳には全くと言っていいほど届かなかった。
まるでヴィンセントだけが世界から切り取られたような、そんな感覚にあった。
家に到着してポストに詰まってた新聞や手紙に軽く目を通しても情報が頭に入ってこない。
仕方ないからロボットにでもなった気分でインスタントコーヒーを作って飲んだ。
飲んだが、味がしなかった。
無味無臭でただの茶色のお湯でしかなかった。
ヴィンセントの好むほろ苦い味とコーヒー特有の上品な香りはせず、熱いだけのお湯と湯気しか漂っていない。

これでは心の整理をする事が出来ない。

これでは仕事にならない。

これでは・・・

「・・・・・・ユフィの・・・コーヒー・・・」

ユフィが淹れるコーヒーが飲みたくなった。
きっとヴィンセントが好きな味がして、香りがして、落ち着ける筈だ。
恐らくは考える事をやめようとして凍りついているこの思考も溶かして正常にしてくれるに違いない。

思い立ったヴィンセントの行動は早く、コートを着てカバンと土産の袋を持つとすぐに家を出た。
バス停まで歩いてバスに乗ってカフェ・キサラギを目指す。
いつもは感じていなかった移動時間が今は物凄く長く感じられ、ヴィンセントを苛立たせる。
目的地のバス停はまだか、信号に引っかかるな、もっとスピードを出せないのか。
自分勝手な考えが頭の中を埋め尽くすが、目的地が近くなるにつれてその考えも薄れていき、到着した時には消えていた。
バスを降りたヴィンセントは真っ先にカフェ・キサラギへと歩き出し、店のドアを開けようとした。
開けようとしたが・・・開けられなかった。

『本日定休日』

「・・・」

白い札に印字されている定休日の文字がヴィンセントの思考を停止させ、そして落胆させる。
そういえば今日は定休日だった。
こうなってしまってはユフィは店にはいないし、あのコーヒーを飲む事も叶わない。
大きく溜息を吐き、がっくりと肩を落として帰ろうとした時だった。

「あ、常連さん・・・ゴホッゴホッ」



IMG_3732



苦しそうに咳き込む声の方を振り返ると、マスクを付けたユフィが赤い顔をしてそこに立っていた。
雰囲気はいつもの溌剌さとは真逆の気怠さに満ちており、見るからに病気である事が分かる。
その姿にヴィンセントは驚いてすぐにユフィの元に駆け寄った。

「風邪を引いたのか?」
「うん、急になっちゃってさ・・・ゴホッゴホッ・・・そーいう常連さんはどうしたの?今日は定休日だよゴホッ」
「・・・色々あって、お前の淹れるコーヒーが飲みたくなった」
「そっか。ゴホッゴホッ、ありがと。淹れてあげたいのは山々だけど、風邪が移っちゃうから・・・」
「分かっている、無理はしなくていい。定休日を忘れて来た私が悪かったのだからな。
 それより、そんな体でどこに行くつもりだ?病院か?」
「うーうん、薬局。風邪薬切らしてたの気付いてなくてさ・・・ゴホッ」
「ならば私が買いに行こう。お前は戻って寝ていろ」
「え?でも・・・」
「そんな体で無茶をするな。それに今は客と店員じゃない、遠慮はしなくていい」
「・・・エヘヘ、じゃあお言葉に甘えて買ってきもらおっかな。
 アタシの家、この店の裏にあるアパートの205号室だから。鍵開けておくから勝手に入って来ていいよ」
「判った。風邪薬はリュリュで問題ないか?」
「うん、お願い。あ、薬局はここを真っすぐ行った所の突き当りにあるから」
「突き当りだな、すぐに買ってくる」

ユフィをアパートの方へ戻らせると、ヴィンセントは急いで薬を買いに行く。
薬を買う時に、そういえばユフィは家におかゆの素を置いているのか気になった。
しかしそれを聞く為に戻る時間も惜しいので、とりあえず薬局で薬の他におかゆの素と『スズキのご飯』と冷えピタクールを買う事にした。
会計を済ませるとすぐさま薬局を出てユフィのいるアパートを目指す。
しかしアパートの前に到着したところで、ある人物と出くわした。
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