萌えcanですよ

□マフィン
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そして翌日。
ヴィンセントは宣言通りエプロンを持ってやってきた。
エプロンの色は黒で、髪を一つに結ったヴィンセントに中々マッチしていてこれはこれでカッコいい。

「レシピはあるのか?」
「え?あ、ああ、うん!あるよ!」

思わず見惚れていたユフィは声をかけられてハッと我に返ると慌ててレシピが載った本を取り出した。
レシピ本はかなり前の本であるにも関わらず、劣化している事を除けば殆ど汚れがなかった。
それだけで如何にお菓子作りをしていなかったかが窺い知れる。
そうしたものは静かに見なかった事にして付箋が貼られたページまでユフィが捲り、覗き込む。
手順や説明文は少なく、作り方も簡単である事が分かる。

「とりあえず、ベーキングパウダーと薄力粉を計って混ぜるか」
「ほいほーい」

ユフィは量りの上にクッキングシートを引いて量りを0に合わせると最初に薄力粉を注いだ。
薄力粉は指定の量よりも1グラムだけ多く出てしまった。

「1グラム多いけどこんなんでいいよね?」
「ダメに決まっているだろう」
「えー?1グラムくらい誤差の範囲じゃない?」
「菓子は正確にやらなければ失敗する繊細な代物だ。普通の料理とは違う」
「ちぇー。てか詳しいね。作った事あんの?」
「私は小説家だ。多くの知識を要する職業である為にこういった情報も収集している」
「ふーん」

ユフィは納得すると渋々と薄力粉の1グラムを取り除いた。
その次のベーキングパウダーでも同じように指定量を越し、ユフィが目で伺い立ててきたが許しはしなかった。
その後も大雑把な作り方をしようとするユフィを諌めながらなんとかオーブンに入れて出来上がらせる事が出来た。
この調子だと恐らくユフィの祖父も大雑把なやり方でマフィンを作っていたに違いない。
これは初めてのマフィン作りも失敗した訳である。

「おー出来た出来た!やったねヴィンセント!」
「ああ、そうだな・・・」

若干の疲労の色を醸しつつヴィンセントは頷く。
オーブンから取り出されたマフィンは心躍るような甘い香りを漂わせ、売り物と遜色ない見た目で食欲を誘ってくる。
確かに我ながら良い出来だと思う。

「早速食べよ!アタシはコーヒー淹れるからヴィンセントは座ってて」

マフィンを作っている間に作り、丁度出来上がったコーヒーを淹れるべくユフィはカップを二つ取り出す。
ヴィンセントは言われるままにカウンター席に座り、コーヒーが出されるのを待った。

「ほい、コーヒー」

カチャリとコーヒーソーサーの上に乗って出されたブラックコーヒー。
コーヒーそのもののほろ苦い香りと温かな湯気を立ち上らせ、ヴィンセントの鼻腔をくすぐる。
対するユフィの方は牛乳や砂糖が沢山投入されている為にカフェオレ状態となっている。
その甘やかな香りはヴィンセントの方まで香ってきたが悪くない香りだ。
今度、カフェオレも飲んでみようか。

「んじゃ、食べよっか」
「ああ」
「いただきまーす!」
「いただきます」

ヴィンセントはプレーンを、ユフィはチョコチップ入りのマフィンを手にとってカップの台紙をくるくると剥がしていく。
そして裸となったマフィンをフォークで切り分け、口に運ぶ。

「ん〜!美味しい!こりゃ大成功だね!これでじーちゃんも浮かばれるってもんだよ」
「使い方が違くないか?」
「細かい事は気にしない!とにかく成功したんだからそれでいいよ。ホントにこれで思い残す事もないだろうし」

言ってそれっきりユフィは喋らなくなった。
ただひたすら黙ってパクパクとマフィンを平らげていくだけだった。
静かになった理由に見当をつけながらチラリとユフィの横顔を盗み見る。
案の定―――ユフィは切ない表情を浮かべていた。
祖父を思い出し、祖父との思い出を振り返り、そしてその象徴たる店が潰れる事に思いを馳せているのだろう。
黒曜石のような瞳は潤んではいないものの、今にも泣き出しそうな様子である。

「・・・ユフィ」
「ん?何?」
「泣いてもいいんだぞ」
「え?」
「ここには私とお前しかいない。だから、泣いても大丈夫だ。私は笑ったりしない」
「・・・何言ってんのさ。泣いたりしたらじーちゃんに大笑いされちゃうよ。でも―――ありがと」

いつものように元気良く笑ってみせるユフィが気丈に振る舞っているのが分かる。
きっと辛い筈なのに涙を見せまいと頑張っている。
そんな強いユフィにヴィンセントは強く胸を打たれた。
そして気付けば、ヴィンセントはユフィをそっと抱きしめていた。

「ヴィ、ヴィンセント!?」
「・・・」

何を言えばいいのか言葉が見つからず、沈黙を貫く。
急にこんな事をしてしまえば嫌われてしまうのは分かるのに体が勝手に動いてしまった。
けれどユフィは突き飛ばす事も罵倒を浴びせる事もなく、ただ静かにその身をヴィンセントに任せていた。

「ヴィンセントはさ・・・優しいね」

悲しそうな、けれどどこか嬉しさを滲ませたユフィの言葉がヴィンセントの耳に届く。
拒絶をしないユフィに気を許されているのではと自惚れてしまいそうになるがすぐに自分を律する。
ユフィは店員として客であるヴィンセントの機嫌を損なわないように振る舞っているだけだ。
だから本当は嫌なのに仕方なくされるがままになっているだけなのかもしれない。
ネガティブな考えが頭を過ぎり、己の行いを戒めてヴィンセントはユフィを解放しようとした。
が、その直前にそっとユフィの腕がヴィンセントの背中に回り、胸に顔を埋めてきた。

「ありがと・・・ヴィンセント・・・」

くぐもった声が耳に届く。
しかしそれは震えてもいなければ涙ぐんでもいなかった。
いつもどおりのユフィの声。
それでも、涙なんか流れてなくてもユフィが泣いているのがヴィンセントには判った。
ユフィが落ち着くまで離そうとしていた腕を優しく抱きしめ直し、しばらくそうして抱き合うのであった。











END
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