萌えcanですよ

□コーヒー
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ユフィとマフィン作りをしてから翌日。
拒絶されなかったとはいえ、あまりにも常識に欠けていた唐突の抱擁にヴィンセントは自身を恥じた。
勿論これから謝るつもりだ。
もしかしたら許してもらえないだろうが誠意は示さなければ。

カランカラン

「あ、いらっしゃ〜い!」

扉を開ければユフィはいつもと変わらぬ声音でヴィンセントを迎える。
ヴィンセントはいつものようにボックス席に行くのではなく、ユフィの前に行って頭を下げた。

「・・・昨日はすまなかった」
「え?何が?」
「・・・急に抱きしめてしまった事だ」
「あー、その事?いいよ、気にしてないよ!むしろ嬉しかったよ・・・」

頬を掻きながら顔を逸らすユフィの顔は赤い。
この反応は、この受け答えは・・・。
ユフィの態度に戸惑っていると、照れ隠しするかの如くユフィはヴィンセントをいつもの席に押し込んだ。

「ほ、ほら!今日も原稿やるんでしょ!?コーヒー淹れたげるから座った座った!」

背中を押され、やや強引に席に座らされる。
それからほどなくしてヴィンセントの好きなブラックコーヒーが運ばれた。

「あ、そーだ。これからちょっと煩くなるけどいい?」
「何をするんだ?」
「片付けだよ。近い内に潰れるからそれまでに片付けないといけないからさ」
「そうか・・・」

店が潰れ、ユフィが遠くに行ってしまうのが現実味を帯びていく。
そんなのは考えたくない。
この店がなくなってユフィがいなくなってしまうのなんて想像もしたくない。
つい数日前までユフィへの気持ちに戸惑っていたヴィンセントだったが何時の間にやらそれらを考える事はなくなり、ユフィの事だけを考えるようになっていた。

「えーっと、これは片付けてっと・・・これは捨てるかな」

カチャカチャ、ガタガタと忙しい音が店内に静かに響く。
煩い筈のそれは音が鳴る度にヴィンセントの心を締め付けていった。
こんなに哀しい引っ越しの音は初めてだ。

「・・・アタシのこのカチューシャさ、店を始める時にじーちゃんが買ってくれたんだよね。
 お前もこれを着ければもっと女の子らしくなるだろって。失礼しちゃうよね」
「・・・英断だったと思うが」
「なんだとー!?」

怒るユフィに小さく笑いを漏らす。
少しだけ空気が和んだ気がした。

「それで?お前はそれを着け続けていたのか?」
「営業する時だけね。まぁ、それもこれももう着けなくなるんだけどさ・・・」
「普段では使わないのか?」
「普段のアタシのスタイルと外れてるからね〜。それにこれは営業する時用って決めてるし」
「そうか・・・」

会話が途切れ、またカチャカチャガタガタという物を出したり動かしたりする音が店内に木霊する。
なんとかしてユフィと離れ離れになる事を阻止出来ないだろうか。
しかし阻止するにしてもどうやって止めようか。
何と伝えて引き止めるべきか。
小説を書いている時は人物のセリフなどいとも容易く思いつくくせに、いざ自分の言葉で喋るとなると苦手だ。
様々な言葉が思い浮かんでは消え、あれでもない、これでもないとヴィンセントは悩む。
しかし、そんなヴィンセントの携帯に着信が入ってきた。

「・・・リーブか、何の用だ」

『何の用かじゃありませんよ!今日は連載小説完結記念パーティーの前日として打ち合わせをすると言ったじゃないですか!』

「・・・そういえばそうだったな」

『今どこにいるんですか?例の喫茶店ですか?』

「そうだ」

『でしたら今すぐ引き上げて会社まで来て下さい。お待ちしてますよ』

「欠席する」

『ダメです。絶対に今すぐ何が何でも来て下さい。これは貴方の作家生命の為でもあるのですから』

絶対に譲らない強い口調でリーブは言い放つとブチッと携帯を切った。
こうなっては行かない訳にはいかない。
怒らせたリーブは何よりも面倒な存在となる。
さっさと終わらせてすぐにでもここに戻ってこよう。
そう決めてヴィンセントは商売道具と携帯をカバンにしまうと立ち上がった。

「・・・すまない、ユフィ。今日はもう帰らせてもらう」
「うん。ごめんね、煩くて」
「いや、そういう訳ではない。仕事の用事で今すぐ出なければいけなくなっただけだ」
「あ、そうなんだ?んじゃ、お仕事頑張ってね」
「・・・ユフィ、この店はいつ畳む予定だ?」
「えーっと、明後日までには畳む予定かな。本当は明々後日まで営業出来るんだけど、明々後日はこの店の誕生日だからさ。
 それを記念してここでのんびり思い出とか振り返って気持ちの切り替えしようかなって思ってるとこ」
「・・・そこに私も参加してもいいか?」
「いいよ!ヴィンセントなら大歓迎!」

満面の笑みで承諾され、ホッとする。
こうなれば何が何でも用事を済ませてここに帰ってこなければ。
その時には、ユフィへ伝える言葉も用意して―――。
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