萌えcanですよ

□コーヒー
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強い決意を胸に仕事に赴いたヴィンセントだったが、大きな誤算が二つ起きた。

一つは自身の連載完結記念パーティーが一日だけではなかったこと。
パーティー自体は一日だけだったのだが、その延長線上のサイン会なるものが二日目にあったのだ。
一日中有名な芸能人や抽選で当選したらしいファンたち相手に本にサインをし、言葉を交わした。
もう慣れたものなので色んな質問に答えたり応援の言葉を貰ったりしたが、好意を含んだ言葉についてはさりげなくスルーをした。
これまでは単に興味がないという事でスルーをしていたが今は事情が違う。
ユフィへ気持ちが向いている以上、他の女性の好意の言葉はヴィンセントの耳には届かない。
しかし、これが本気で一日中ずっとあって流石にへとへとになった。

二つ目の誤算は帰りの船が悪天候の所為で運航を見合わせてしまったこと。
これの所為で昼間にはカフェ・キサラギの所に行けていた筈が、夕方になった今でも港で待ち惚けをしている事になった。
リーブの提案もあって喫茶店で船が動くのを今か今かと待ち構えているのだが、一向にその知らせが来る気配はない。
苛立つ気持ちをコーヒーを飲む事によって沈めようとするが中々思うように静まらない。
というより、コーヒーが美味しいと思えない。
やはりユフィの淹れたコーヒーでないと・・・。

「そんなに例の喫茶店に行きたいのですか?」

ボックス席で窓の向こうを見ていたヴィンセントだったが、リーブに声をかけられてのろのろとそちらの方に顔ごと視線を向けた。
リーブは呆れたような表情を浮かべてこちらを見ている。

「今こうしている時間が惜しいくらいにはな」
「貴方がこれほどまでに焦がれるなんて一体どんな女性なんですか?」
「・・・私より年下だが強い娘だ。不思議な魅力がある」
「なるほど。それは少し会ってみたいですね」
「悪いが会わせる訳にはいかないな」
「それは一体・・・もしや私がその女性を横取りするからだと思っているんですか?」
「・・・」
「ご心配せずともそんな事はしませんよ。私もいい年ですから」
「だからと言って油断は出来ないからな」
「なんとも警戒心が強い事で」

溜息を吐くと同時にヴィンセントは変わったのだと実感する。
これまではそんな浮いた話は全く聞かなかったし、ヴィンセントがそういうものに対して一歩引いたものがあるのを感じていた。
何かしらのトラウマがあるのだろうと敢えて触れていなかったが、今はそれの心配をする必要もなさそうだ。
冷やかしも兼ねてリーブはもう少し深く話を聞いてみる事にした。

「ちなみに告白はしましたか?」
「・・・・・・まだだ」
「中々に奥手ですね。何か踏ん切りがつかない理由でも?」
「・・・訳あって明日で店が完全に潰れる」
「明日!?」
「店が潰れた後は別の場所に引っ越すらしい」
「なるほど、それで早く帰りたかった訳ですね」
「記念パーティーすら来たくなかったがな」
「そこは譲れません。なんたって貴方の為でもあるんですから。それに未来の花嫁を迎えるなら尚更こういうのはきちんとしておかないと」

『未来の花嫁』という言葉がヴィンセントの心に深く突き刺さる。
まだ交際らしい交際はしていないのに花嫁だなんて話が飛びすぎている。
確かにユフィの淹れたコーヒーをずっと飲んでいたいが・・・。

(ずっと飲んでいたい、というのはつまりそういう事と変わりがないのでは・・・?)

自分の中で『何か』に気づくヴィンセント。
言葉が違うだけで望むことは何も変わりはしない。
しかし『何か』に気付けた事により、ヴィンセントがユフィに何を伝えるべきかか明確に見えて来た。
後はそれを言葉にする為の勇気を持つだけ。

「あ、速報が入りましたよ。間も無く船が動くようですね」
「すぐに乗るぞ」

ヴィンセントはコーヒーという名のお湯を一気に飲み干して気持ちを切り替え、覚悟を固めた。














夜に出航した事もあり、目的の港に着いたのは深夜近くになっての事だった。
当然バスなんかもとっくに運行時間は終了している為、止む無くタクシーを利用する事に。
タクシーの中で、ふと何か気の利いたものを買ってくればと思ったがそれも後の祭り。
それに時間があっても買えていたかどうか甚だ疑問である。
ユフィにとって大切な店が潰れるというのに、それに対して贈れる気の利いた物なんてあるだろうか。

「お客さん、着きましたよ」

黙々と考え事をしていたらいつの間にかタクシーはカフェ・キサラギの前に到着していた。
ヴィンセントはすぐに料金を払うとすぐ様タクシーから降りて店の前に駆け込んだ。
店のドアには『本日をもって営業は終了しました。今までありがとうございました』というパソコンで打ったような張り紙が貼り付けられており、本当にこの店が終わるのだと実感する。
鍵がかかっているかどうか分からないので窓から中の様子を伺うとユフィがカウンターの中でボーッと思いを馳せているのか見えた。
窓を叩いて呼ぼうとしたが、それより先にユフィがヴィンセントの存在に気付いて慌ててドアを開けに来た。
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