鴻門之会

□四面楚歌
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鴻門の会の後、



咸陽を手中に収めた項王は自ら西楚の覇王と称していた



一方沛公は漢王の地位についていた



しかし、項王の悪略非道のやり方に民達の心は次第に離れていき衰えていった










そして鴻門の会から4年の月日が過ぎた頃、兵力が減った項王の城は沛公達の兵士達に囲まれてしまっていた……









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