刀を巡る話
□2話「迎えにきた男」
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水分と栄養は点滴から勝手に与えられていたので、私は時間が許す限り眠り続けた。
しかし、私が人間である限りトイレに行きたくて目が覚める時はくる。
目を覚ました私が横になっているのは施設のベッドではなく病院のベッドだったが、まだ夢の中にいるのかと思った私は用を済ませた後再び眠ることにした。
私の体は睡眠を必要としていた。
同じ室内に備え付けられたトイレへ歩くだけでも息切れをし、歩く足取りはふらついた。
何とも言えない倦怠感はすこし眠っただけでは去ることがなく、私は眠り続ければいつか夢から覚めるだろうと自分に言い訳をつきながらひたすら眠り続けた。
部屋に窓はついていたがカーテンが固く閉ざされていたし、部屋には時計がなかったのでどれだけ時間が経ったのかはわからない。病院の看護師はいつも私が寝ている間に訪れているようで、点滴はいつのまにかなくなる前に新しいものに更新されていた。
やがて、トイレ以外でも自然に目が覚めるようになった。
それでも、一向に夢は覚めず私は依然として点滴に繋がれたまま病室の中にいる。さすがにここまでくると、少なくとも今私が病院にいることは夢ではないのだと思い始めてきた。
だが、どこからが夢で、どこまでが現実だったのかはわからない。せめて、今が何月何日かわかればいいのだが、携帯を持っていない私にそれを知る手段はなかった。
(…とりあえず、一つずつ考えていこう)
眠るのにも飽きたので、私はベッドに横になったまま現状確認を始める。
ひとつ、今私がいるのは病院のベッドだ。それは間違いない。病院独特の臭いと、病院にしかないような点滴台と輸液ポンプがそれを物語っている。
ふたつ、私はいつのまにやら着替えていたらしい。身につけているのは病院のパジャマであり、体からは自分のものではない石鹸の匂いがする。寝ている間に誰かが体を拭いてくれていたようだった。
みっつ。私の所持品が何も見当たらない。夢に入る前来ていたはずの制服も携帯もカバンもない。常に首から下げているはずのお守りも、ない。
(もしかしたら、パラレルワールドとやらにでも迷いこんでしまったのだろうか)
馬鹿馬鹿しい思いつきかもしれないが、私はまったくの異世界にトリップしているような気がしてきた。
むしろ、いままで見た夢が現実の世界で起きたことだと言われるよりも、そのほうがありえそうな真実だと感じてしまう。
そのようなことを漠然と考えながら、確認の意味をこめて先ほどまで見た夢をもう一度思い起こそうとした時…
控えめなノックの音が、病室に響いた。
「……はい」
目覚めてから初めて自分以外の存在を知覚して、体中に緊張が走る。
誰かに会えれば、少なくとも今の日付と時間くらいはわかるはずだ。それから、なぜわたしが病院にいるのかも。
ノックに対して返事をしても、一向に部屋に入ってこないその人物に対してしびれを切らした私は、もう一度ドアの外に向かって呼びかける。
「どうぞ。...お入りください」
それから、たっぷり十数秒。だが、おそらく一分はたっていない。
そのくらいの時間を得てから、急にドアが勢いよく開かれる。
ドアを開いた人は、私の知らない人だった。
長身の男の人で、江雪さんとはまた違った高そうなスーツを身につけている。
ものすごく厳しい表情だけど、おそろしく「カッコイイ」という分類に属している顔をしている。俳優だと言われても納得する。そしてたぶん、出演しているのは刑事物だ。
そんな人に穴が開くほどガン見されては、怯えるなというほうが無理である。
「……ある、じ」
その人は、私に向かってそう呟いた。怖い顔なのに、なぜかその声は泣きそうな声だった。
(アルジ?)
たしか、夢から覚める前にも江雪さんが似たようなことを行っていた気がする。その前を思い返せば、アイツらに襲われた時に電話の向こう側にいたあの男の人もそんなことを言っていた。
意味がわかってない私に向かって、その人は厳しい表情のまま大股に近づき、深々と頭を下げた。
「…………お迎えに、馳せ参じました」
重ねて言うが、私はこの男の人と初対面のはずである。
迎えがどうと言われても、何かに騙されているようにしか思えない。
「…わたしを、ですか?」
「はい」
私に向かって頭を下げ続けるその人の口調と態度を見れば、冗談を言っているようには思えない。
だからこそ、余計に怖かった。
「なにかの、間違いではないのですか?…そもそも、どこへ連れて行こうっていうんです?」
助けを呼ばなければと思うが、この人の目の前で変な動きをしてはいけない、という妙な直感が私の体を硬直させる。
「迎えをよこす、と江雪左文字から聞いておりませんか?」
確かに、江雪さんはそう言った。だが、あれは夢の中の話ではなかったのか。
「迎え...?」
「ええ。貴女を憑守寮まで送り届けるよう、仰せつかっております」
私の不信感丸出しの態度にも動じることなく、その男の人は頭を下げたまま丁寧に質問に答えていく。
「それは、江雪さんから頼まれたことですか?」
「...そうとも言えます。正確に言えば、依頼主は三日月宗近という男になりますが」」
「みかづき、むねちかさん?」
「はい。貴女がこれからお住まいになる憑守寮の寮主であり、今後は貴女にとっての身元引受人となる男です」
つくもりりょう。
それは、江雪さんが夢の中で話していたところだ。
夢だからとあの時は気にしなかったが、急に引っ越せとか、学校を転校しろとか、思い返せばだいぶとんでもないことを話された気がする。
「あの...とりあえず、頭を上げていただいてもいいですか?私は人に頭を下げてもらえるような人間ではないですし、その、訳が分からないことばかり急に言われても困ります」
怒らせるかもしれないとも思ったが、この状況が現実であるという可能性が捨てられない今、この間のように夢だと思い込んで逃げるわけにはいかなかった。
少なくとも、この人が私をこの場から連れ出そうとしていることは確実で、それが「安全」な事なのか「危険」な事なのか判断する必要がある。
「たしかに、江雪さんに“つくもりりょう”という場所に引っ越すよう言われたことは覚えています。ですが、それを了承したつもりはありませんし、説明もなしにそんなこといわれたって…納得できません」
私が話し終わると、その男の人はゆっくりと頭を上げた。
てっきり睨まれるかと思っていたが、その人は何とも言えない、複雑な顔をしている。
例えて言うなら…泣き出しそうなのを必死で我慢しているような顔。
「………え、えっと。すみません、生意気なことばかり」
反射的に謝罪の言葉が口にでるが、その人は私に向かって首を横に振った。
「いいえ、失礼を働いたのはこちらの方です。申し訳ありません」
断固とした口調でそう言った男の人は、片手で自分の目頭を押さえると、一度だけ大きく深呼吸した。
手を離した時には元の厳しい表情に戻り、その代わりベッドに座ったままの私と目線を合わせるため、膝を折ってかがんでくれる。
「あ、椅子…どうぞ」
その姿勢では辛いだろうと思ってそうベッドの脇に置いてあった椅子を進めると、男の人はまた少しためらうような表情をしたが、
「シュメイ……いえ、貴女が仰るなら」
と言って、姿勢良く椅子に座った。
「そう、ですね…。何から、説明するべきか」
こちらとしては、まず今が何月何日でここがどこで貴方が誰なのかを聞きたいところだが、せっかく相手が説明してくれる気になったのだ。
変に話を折らない方が良いだろうと思い黙っていると、男の人が静かに話し始めた。
「まず、あなたは“奴ら”に襲われた時のことをどこまで覚えていらっしゃいますか?」
「え…?」
突然の展開に、言葉を失う。
「あなたはこの病院で目が覚める前、見知らぬ場所に迷い込み、そこで“異形の者”に襲われましたね。そこまでは覚えていらっしゃいますか?」
なぜ、そこまで知っているのか。
夢の中の出来事を事細かに指摘され、背筋に悪寒が走った。
だが、こちらが知りたいことを知るためにはこの人の質問にも答えねばならない。
「…………はい。覚えては、います。」
正直、どこまでが夢でどこまでが現実なのかはわかっていないが。そのことも正直に伝えると、男の人は表情を変えずに頷いた。
「そう思われるのも、無理はないかと思います。奴らはどのような姿をしていましたか?」
「なんというか、落ち武者の骸骨のような…化け物としかいえない姿をしていたように思います」
男の人の口調があまりにも真面目なので、奴らがどんな姿をしていたかなんて正直話すだけでも恥ずかしい。
子供の頃は“アイツら”について必死に説明していた私だが、いくら話したって誰も信じてくれなかった。信じるどころか、笑われた。
だが、男の人の表情は崩れない。それどころか、奴らの存在を肯定するかのように話を続けた。
「奴らは、【歴史遡行軍】といいます。この世界とは別の次元から、歴史を変えるために【歴史修正主義者】が送り込んできた刺客です」
「…はい?」
「記憶を取り戻していらっしゃらない今、奴らのことを理解する事は難しいでしょう。恥ずかしながら、俺自身も奴らの全てを覚えているわけではありません。ですが...1つだけはっきりしていることは、奴らが世界の【敵】であり、あなたの命を狙っているということです」
話がどんどんおかしくなっている気がする。
だけど、目の前の男の人の顔は真剣で、自分がどれだけ非現実的な話をしているとは思っていないようだ。
「憑守寮は、奴らからあなたを守るために結成された組織です。いざという時に、あなたの傍近くで御身を守る事ができなければ、俺の存在意義は失われる」
鋭い目に熱っぽく見つめられて、体中にぞくりとした鳥肌が立つ。
「守るって...どうして、私を?」
思わず、尋ねる声が震える。
相手の男の人が狂っているのか、それとも私が狂っているのか。
どちらにせよ、話の内容がとんでもなさすぎて正気だとは思えない。
「...それすらも、お忘れになってしまったのですね」
『やはり、まだなにも思い出されてないのですね』
脳裏に、先日の江雪さんの声と悲しげな顔が蘇る。
目の前の男の人も江雪さんと同じように悲しげで、すこし失望しているようだった。
「俺は、あなたを待ち続けました。あなたがこの世で生まれ変わり、それから16年もの月日をっ…ずっと、ずっと!なのにっ、どうしてっ!!」
急に男の人が声を荒らげ、私の両肩を掴む。
「ぃやっ…!」
両肩が外れるんじゃないかと思うほど強く掴まれて、思わず喉の奥から悲鳴が上がった。
その瞬間、男の人の顔がものすごく苦しげにゆがむ。
「………………申し訳、ありません」
ゆっくりと私から離れていく彼の手は、小刻みに震えてる。
それから訪れたのは、長い沈黙であった。
男の人は何も言わずに椅子に座ってうつむいているだけで、その姿を見ているうちになぜか私の胸まで痛み出す。
(私がなにを、忘れてるっていうの…?)
私に記憶がないということがこの人を傷つけたということは分かるが、どれだけ記憶を掘り起こしてもこの人にあった思い出なんて見当たらなかった。
だが、この人の傷ついた顔をみるのは泣きたくなるほど苦しい。
そんな顔見たくない、そんな顔させたくない。
初対面で、明らかに怪しい人のはずなのに、私はその人を傷つけてしまったという事実が耐えられないほどつらかった。
「……ごめん、なさい」
正しい判断ではないかもしれない。
だけど、今の私にはこれ以外の選択肢は考えられなかった。
「あなたの言うことが、私にはよくわかりません。でも…忘れているというのなら、思い出したい」
無意識に、私は自分から男の人へと手をのばした。
「私を、連れて行ってください。貴方の行く場所へ」
自分よりはるかに大きいその人の手を両手でつかむと、ようやくその人の顔がふっと緩む。
そして、私の手を包み込むように両手で掴み返した後、いきなりその場にひざまずいた。
「……主命とあらば」