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□夜の優しさ
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その屋敷の主人は夜の闇が充分に深くなってきた頃、普段は使うことのない裏口から静かに帰宅した。
今日・・・いや正確に言えば昨日だが、伯爵はバティスタンのみを連れパリから遠く離れた地に商談に行っていて向こうのホテルに宿泊する予定だった。
主人の帰りを待たなくて良いはずの屋敷は寝静まり、誰一人として起きている気配はなかった。

足音をたてないように気をつけながら廊下を歩き、やがて寝室に着くと伯爵はほっとしたようにため息をついた。気怠げに外套を脱ぐとそのまま床に落として、倒れるようにソファーに座り込んだ。
しばらくの間、指一つ動かさずにただぼんやりとしていた。そこへ突然ノックの音が聞こえた。伯爵はそれに酷く驚いた。自分の秘密裏にとった行動を誰かに気付かれたのか、部屋の外にいる者を確かめるように問う。

「誰だ?」

かすれ気味にそう言うと、扉の前にいる者は「失礼します」という声とともに室内に入ってきた。

「お帰りなさいませ、伯爵」

そう言ってお辞儀をした男は伯爵が今最も会いたくない相手だった。

「ベルッチオ・・・気付いて・・・いたのか?」

動揺を隠し切れずに声がかすかに揺れた。伯爵のその問いにベルッチオが畏まって答える。

「はい。夕方近くにバティスタンから連絡がありまして、伯爵がモルセール将軍閣下に呼び出されたと・・・。それで、もしやと思い起きていましたので」

ベルッチオがちらりと伯爵を見ると悲痛そうな面持ちをしていた。それを見て激しく後悔する。なぜ部屋を訪れてしまったのか、なぜ今誤魔化さずに本当のことを言ってしまったのか・・・伯爵は知られたくなかったはずだと。ベルッチオは今更考えてもしかたないと思い切って話題を変える。

「伯爵、何かお飲み物でもお持ちいたしますか?」

それに伯爵はどこか自嘲じみた笑みを浮かべて答えた。

「そうだな・・・では、酒を。強めの酒を持って来い」

「かしこまりました」

そう返事をしてベルッチオは部屋を出ていく。伯爵はその様子を複雑な思いで見つめていた。
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