夜鴉翼のブック

□君に捧げる小夜曲(セレナード)
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空に翔けよ 遥かな夢
風に心を 奪われて
高く高く 飛んで行け
澄み渡る青 空えがく
緑の草原 流れる雲
私を乗せて 連れて行け
遥か東 日出づるとこ
海に向かい 吹き抜ける
降り立つ地には 白い砂
風に運ばれ 巻き上がれ
白い嵐の その中に
希望の光 見つけよう
                『ヴェントの空』



夜の城は賑わっていた。国王は上機嫌で杯を傾け、王妃も嬉しそうにその横に座っている。第一王子であり次期国王である青年は、ワルツに誘う婦人の手をやんわりと断り、断られた婦人も別の男をワルツに誘う。広間ではたくさんの人々が談笑しては笑い声をあげ、テーブルに盛られたチョコレートや焼菓子をつまむ。花瓶にはこの南の国特有の甘い香りを放つ白い花が生けられ、夜の闇によく映えている。
そんな賑やかな広間の扉を出て少し行ったところを、侍女たちがあっちへこっちへ慌ただしく行き来している。淡いピンクのドレスの裾がひらひらと揺れて通りすぎる。彼女たちは互いに出会うと困ったような顔で何事かを告げてまた分かれる。つい先ほどまではたしかに広間にいた、自分達の主人であり今日の主役である人を探しているのでだ。ゆるく波打つ髪は眩い金。輝く瞳は海の碧。昼の国、ブランの至宝とまで詩人に歌われた、ブラン国第二王女は、少し目を離した隙に広間から消えてしまったのである。侍女たちが右往左往して探しているその頃。

「まったく、何が楽しいのよ」
部屋の窓枠を乗り越えて、近くに生えていた木を伝い、地上に降り立った少女が金に輝く髪の上から布を被って人相を隠し、誰もいない中庭を足早に抜けていく。今日誕生日を向かえ十八になったばかりのブラン国第二王女の、ピュセルその人である。華やかな舞踏会を、退屈になったのでこっそり抜けてきたところだ。
「別にいなくても平気よね?誰も気にしないでしょう」
誰ともなしに呟く声は風に乗って消えてしまった。その風と共に、被っていた布が飛んでいってしまった。慌てて掴もうとした手も空を切ってしまい、頬を膨らませて飛ばされていった先へ小走りに向かった。そこは小さな花園で、母親が楽しそうに手入れをしていた記憶がある。布はその周りに植えられた背の高い木の枝に引っ掛かっていた。
「誰も、見てないわよね?」
周囲を注意深く見渡して、一番低い枝に手をかけて体を浮かせる。そのまま足を枝にかけて一気に体をひきあげた。そして、目的の枝まで上ると幹に背をもたれさせて一息つく。地面は足元の遥か下に見える。けれどそれを怖いと思ったことは一度もない。物心ついた時から木登りをしては侍女たちに怒られていた。今でもその目を盗んでこっそりと木に登っては鳥たちと戯れていたりする。
「さて、どうしようかな?」
布が引っ掛かっているのは枝の先。この枝は中途半端な太さを持っている。下手に体重を乗せると折れてしまいそうだが、揺らすには少しきつい。その枝を撫でながら、ぼんやりと引っ掛かっている布をながめていた、そんな時、再び風が吹いて髪をなびかせていった。あっ、と思ったときには布は風に飛ばされ地面に落ちてしまった。その布に人影がかかった。思わず降りる動作を止めたピュセルは、その人影をじっと見つめる。まだ若そうな青年の、背中を流れる髪は漆黒。その手にあるものは月の光を弾いて銀に輝いている。青年は布を手にとって、ピュセルが木に登る前にしたように周囲を見回した。
「あの・・・」
意を決して木の上から声をかけると、青年は驚いたように見上げてきた。紫水晶の瞳がピュセルを映して見開かれる。ピュセルは素早く一番下の枝まで降りて、はしたないかなぁと思いつつそこから飛び降りた。軽く服装を整えて青年の方へ振り向くと、唖然とした表情で見つめていた。その腕には竪琴がある。その弦が銀の光を放っていた。
「あの、あなたは?」
小首を傾げて問いかけると、相手もようやく我に帰ったようで、困ったような笑みを浮かべて答えた。
「すみません。まさか木の上にいるとは思わなかったので。私はしがない詩人です」
布を手渡し、一礼する。その声は夜の庭に涼やかに響く。けれど、ピュセルは布を被ることもせずに、頭一個分高い位置にある相手の顔をじっと見つめる。
「そうではなくて、名前を、聞いたのですけど」
「えっ、あ、名前は、ノマド、と申します」
「ノマド?」
「はい」
「私はピュセルよ」
「ピュセル様?て、え!?」
どうやらピュセルの名前を知っていたらしい。その目が再び見開かれる。
「今日の舞踏会の主役がここで何をしているのですか?」
「だって、つまらないんですもの」
ぷいっと横を向いて口を尖らせると、クスッと笑う気配がした。視線を戻すと、ノマドが小さく笑っていた。
「失礼。王女の舞踏会嫌いは噂で聞きおよんでいましたが、まさか御自分が主役のものさえも抜けてくるとは」
「あら、悪い?」
「どうでしょう。私も窮屈なものは嫌いですし」
穏やかな微笑みに一瞬、陰がさした。どこか悲しそうなそれは、すぐに消えてしまったが。
「どうでしょう。一曲、歌ってさしあげましょうか?」
ノマドは手にしていた竪琴を示して言った。
「ぜひ。吟遊詩人となんて滅多に会えないんだもの」
ピュセルは近くにあった、石でつくられているベンチに腰を下ろした。それと対になっている反対側のベンチに腰を下ろしたノマドは、弦を軽く鳴らして音を合わせ、改めてピュセルに問いかけた。
「何か御所望の曲は?」
「ないわ。ただ、そうね、明るい曲がいいわ。そう、エレヴの踊りみたいなもの」
「そうですねぇ、では、ヴェントの空がいいでしょうか」
「何?それ、聞いたことない曲ね」
「ブラン国ではあまり歌われていないのですね。ノワール国の方ではけっこう流行っていたのですが」
そして、ノマドは弦を弾いた。スローテンポだがどこか春の暖かさをイメージさせる音だった。
朗々と響くノマドの声に、鳥は鳴き止み、風はまどろんだ。聞き惚れていたピュセルは、旋律が止まったことに気付かずにいた。余韻が消えてしばらくしてから、控え目な、小さな拍手を送る。
「素敵な、歌ですね」
溜め息をつくように素直に賛辞の言葉を述べると、ノマドは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「ノマドは、ノワールの方の出身なの?」
「はい、生まれはノワールの城下でしたが、父親がはやり病で亡くなってしまって」
「まぁ、お母様は?」
「兄が二人いるので、たぶん平気かと」
「でも、たまには帰って顔を見せて差し上げたら?」
「そう、ですね」
悲しそうな表情で答えたノマドに、ピュセルは胸をつかれた。きっと、長いこと会っていないのではないかという憶測が頭をよぎる。
「あの・・・」
「ピュセル様ぁ!」
何かを言いかけたピュセルの言葉は、遠くから彼女を呼ぶ侍女の声により遮られた。よく聞いてみると、それはだんだんこちらに近付いてくる。ピュセルは素早く立ち上がった。
「ごめんなさい、今夜はこれで。明日の夜、またここで逢いましょう」
それだけ言うと彼女は風のように立ち去った。その後ろ姿を吟遊詩人は面白そうに見つめる。やがて、侍女が三人、ロウソクの火を頼りにノマドのところまでやって来た。
「吟遊詩人様、ここで金の髪の娘を見ませんでしたか?」
侍女の一人が困ったように問いかける。散々探したが見つからないので、彼女たちは庭に降りてきたのである。
さて、とノマドは考えた。そして出した結論は。
「いいえ、ずっと一人で琴を弾いていましたが、誰もここを通りませんでしたよ」
「まぁ、そうですか。お邪魔をして申し訳ありません」
「いえ、こちらこそお役にたてなくて」
軽く会釈を交して侍女たちは足早に立ち去っていった。ノマドはそれを見送って少し考える。
「これでよかったかな?」
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