夜鴉翼のブック

□小さな約束 大きな裏切り
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約束したから
絶対に守るから
だから
また笑ってくれ

バサリと音をたて、漆黒の翼が青空の下に広がった。数枚の羽根に宙に散る。濃い紫の髪の下に輝く紅い瞳。黒のジャケットに灰色のインナー、黒のズボンと黒のブーツ。男はある木の上に立ち、足元の道路を見つめる。
「いた」
小さく呟き、地上へ急降下。激突する寸前に、ふわりと頭を抱えこむように一回転し着地した。追っているのは二人の少女。同じブレザーの制服を着た同じ背格好の二人は、追われていることも知らずになにやら楽しそうに話している。やがて、二人は一件の家に入っていった。男はその家の前にあるクスノキの枝に腰掛けた。そして、低い声で一言。
「失せろ」
途端、二人の少女の家に群がっていた黒い影がバッと四散した。普通の人間には見えない、古来の言葉で言えば「鬼」と呼ばれる存在。男は一つ溜め息をついた。
「ったく、鬼に好かれる体質なのか?この家は」
男は二人の少女が産まれる前からこの家を守っている。正確に言うと、二人の少女の母親を守っていた。そう、彼ともう一人の存在がなければ、二人の少女は今存在していなかったのである。
『ジンシー、私が消えてしまっても、あの子を守ってくださいね』
十数年前に輪廻の輪の中に戻ってしまった優しい天使。悪魔である自分に大事な妹を託した気高い女性。
この世界において、天使は寿命をまっとうして死んだ魂がなる存在。白い翼を持ち、空を翔ける。それに対して、悪魔は寿命を待たずして死んでしまった魂がなる存在。黒い翼を持ち、天使に焦れる。けして人々が思っているような悪の存在ではない。
むしろ、悪の存在としてあるのは鬼の方である。
「しかしまぁ、あの子も変わらんな」
ジンシーは苦笑した。ちょうど家から一人の女性が出てきたところだ。年の頃は三十前半に見えるが実は今年で四十七になるはずだ。ジンシーは彼女がまだ十代だった頃を知っている。その後ろから慌てて一人の少女が出てきた。
「お母さん、まだ熱ひいてないんだから無理しないで」
「大丈夫よ、ほら、動けるようになったんだから」
「私が行くわ」
そして強引に女性のてさげを奪って駆け出していった。
「・・・ごめんなさいね、佳乃(かの)」
その後ろ姿を見つめて、女性は悲しそうに呟いた。
「お母さん!まだ寝てなきゃ」
もう一人の少女が出てきて母親の腕をひいた。
「詩音(しのん)まで」
詩音と呼ばれた少女は困ったように母親を見つめた。それに観念したのか、母親はおとなしく家の中へ戻っていった。そうしていると、佳乃と呼ばれた少女が走って帰ってきた。
「財布が入ってなかった」
「テーブルの上にあったよ」
ほら、と詩音は茶色の財布を佳乃に手渡した。まったく同じ造作の顔が同時に吹き出す。
遠野佳乃と遠野詩音は双子だ。高校二年になっても、見分けるのが難しいくらいそっくりなのだ。母親譲りの蒼い目、濃い茶色の髪は肩の長さで切り揃えられている。
二人は九十九学園の生徒である。九十九学園は全寮制なのだが、二人は自宅から通っている。それは彼女達の母親が病弱だからなのだ。
遠野文詠(旧姓・桐原)は幼い頃に肺に病気を患っていた。十六歳でようやく完治したが、入院生活が長く、運動なども滅多に出来なかったために体が普通の人より弱い。とくに双子を産んでからそれが著しく、季節の代わり目には必ずと言っていいくらい体調を崩す。
「まぁ、病気じゃなくて病鬼のせいなんだがな」
ジンシーはおぼえていた。忘れられるわけがない。それは彼女がつとめた最後の仕事。
懐古している間に、詩音は家の中に、佳乃は近所のスーパーへ走っていった。ジンシーは少し考える。とりあえずしばらくはここに悪意あるものはよって来ないだろうと結論を出して、佳乃を追っていった。案の定、少し歩いただけの佳乃の足元に、黒い影がちらほらと寄って来ていた。
「ったく」
軽く舌打ちすると、影は怯えたように震え、そろそろっと離れていった。
佳乃は何も知らずに行き付けのスーパーへはいっていった。
「今日はハンバーグだから・・・」
卵を籠の中へ入れる。さらに牛乳が少なくなっていたことを思いだし、それも放り込む。野菜もいくつか追加してレジへむかう。会計をすませて外に出ると、近くの家のベランダにこいのぼりがたなびいているのが見えた。五月だなぁと思いつつ、帰り道を急いだ。道を曲がって人通りの少ない通りに出る。平日なので余計に人は少ない。と、後ろから車がやってきた。佳乃は道の端へ寄ってやりすごそうとした。
「!」
がくんっと、何かに腕を引っ張られ、道の真ん中によろけでてしまった。車がすぐそこまで迫ってきている。
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