キリノのブック

□ワトソン7(城島シリーズ暫定最終話):君に捧げるポーカーフェイス
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 世界が終わる音を知っていますか?
 あたしは、はっきりと覚えています。
 貴方の腕の中で眠ったあの時、
 遠くの白い空で、綺麗な鐘が鳴り響いたのを。
 あれが、世界が産まれる音だよ、と
 あたしに教えてくれた、あなたの声も。


 遠のく意識を何とか持ち堪えて繋ぎ止める。炎が足元の板を焦がし始めた。いつ二階が落ちてもおかしくない。一酸化炭素中毒で死ぬのか、それとも家屋倒壊による圧迫か、窒息によって死ぬのか、そんなものは今まさに炎に包まれかけた少女、瀬崎理亜にはわからない。しかしながら、普通の小説なら此処でかっこいい彼女の片思いの青年が颯爽と窓を割って助けに来てくれそうな気がしてならない。しかし彼女に待つ余裕はなかった。
 いいかげん視界が霞んできたそのときだ、一階の扉がばたんと勢いよく開かれた。バックドラフトは此処では無視しておこう、そんなの普通意図的にしか起こらない。(白リンがあれば別である)
 理亜の名前を呼ぶ誰かが、燃え上がる階段を一気に駆け上がってきた。そして勇敢にも理亜の肢体の自由を奪う縄を引きちぎり、彼女を姫抱きにして二階の窓を突き破って外に不時着した。
 なんとかっこいいんだろう、と、理亜は一瞬身惚れてしまったが、残念ながらその勇敢でカッコイイ人は彼女の意中の先輩、木更津真ではなく。
「あっぶなかったぁ……」
 全身に水を被って、白衣を黒く焦がした二十代半ばの女性。先日も毒を飲まされた理亜を助けてくれた女性。及び、理亜の意中の彼の元彼女。
 え、ちょっと、空気読みましょぉよぉ、作者さぁーん。
 此処は真先輩が助けてくれるところでしょおおおおお!?


貧乏なワトソン。【7】
君に捧げるポーカーフェイス


 ――――かつて。私を利用し、裏切ったその少年は、最後に私に土下座して懇願した。嗚呼どうか、ボクの愛しいあの醜い獣を助けて下さいと。何を戯言を、と、私は自分の内臓がほじくり出される苦痛の中で少年を憎んだ。助けてなんてやるものか、次に私が生まれ変わって、あらゆる幸福が許された人生を歩むとしても、決して、決して、その懇願を受け入れてやるものか。
 ―――確かに、そう、決めたはずだった。
「……あ、や…さき、さ……?」
 胸の中の少女は、軽い火傷をした右手をそっと私の頬に伸ばした。力無いその手を、ぎゅうっと握り締めて、大丈夫よと囁いた。轟々と目の前の建物は音を立てて燃え続けている。遠くでサイレンの音がしてきた。消防が来るのも近いだろう。
「もうちょっとだから。どこか、痛いところはある?」
「なん、で……」
 なんで、助けてくれたの、と。弱弱しく問う彼女に、前世の姿の片鱗も見当たらなくて、やっぱり彼女は普通の女の子になれたんだと改めて実感する。幸せだ、彼女は。
 前世を、私は覚えている。
 馬鹿馬鹿しい話だけれど。余りにも非現実的なファンタジーだけれど。けれど真実の前世だ。世界は一度滅亡しかけた。ある一人の女の狂行によって。そして私はその女を―――前世では『メアリーベス』と言う名前を持った女を負かした唯一の存在だった。私の前世の名前はエターナティ。同名のプログラムを、この城島学園に残してきた。いつか『彼』が前世を取り戻した時、同じ学園内に存在する『メアリーベス』に対抗する足がかりとなるように。
 しかしそれは上手く作動しなかったようだ。
 現に今、理亜ちゃんはこうして傷ついている。
「助けに来たから、助けただけよ。それにマトモな人間なら人を助けようとするものよ。―――あんな風に、腕を組んで見物なんてしないで」
 視線を背後に移せば、大木に背を預け、燃え盛る建物を見つめる少女が一人。ハニーブラウンに染めたストレートヘア。平凡な体つき・顔つきの中、一際目立つ鋭い眼光。制服は水色チェックの城島学園高等部のもの。
「なんだ、助けに来たのは貴方だったの?」
 にっこり笑って答える。彼女の名前は沢口愛美。前世の名前も沢口愛美。
 けれど、今は、『メアリーベス』。
 受け継がれた一つの狂気が、綾崎未来と瀬崎理亜の前に居た。
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