short story
□Spices and honey
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姫君がつくけて置いたグラスマーカーと記憶とを頼りに何とか彼女が解放された場所まで辿りついた時、そこにはイザークたち3人とクルーゼとが、ちょうど雑談でもしているような格好で立っていた。まるで、普段からここだけは時間の経過が訪れなかったのように。
しかし、そうではない証拠にイザークの顔に傷がついていた。そして、彼の表情が、姫君がいなかった間に彼が戦場で何をされたのかを物語っていた。
ラスティの顔に、はっきりと怒りの表情が浮かんでいた。ディアッカの顔からもいつもの軽い笑みは消えていた。ラスティは務めて感情を抑えて低い声で言った。
『隊長、このまま指を咥えて足つきが宙に戻るのを待つんですか?』
クルーゼはそれには答えず、遠巻きに我々の様子をモジモジと伺っている姫君に向けて言った。
『遠慮せずに、こちらに来たまえ』
イザークは姫君にキッと鋭い視線を飛ばせば、クルーゼの招きの声で一歩でかかった足を後ろへ下げた。
姫君は、ラスティから傷の件やら足つきが地球に降りてしまった件など色々聞いて、イザークがこれまでになく機嫌が悪いと知っていたが、実際目の当たりにしておどおどしてしまったが、クルーゼの優しい誘いに忠実に従おうと、滑稽な程、一生懸命に輪に加わろうと足を前に出した。
クルーゼの手が届く距離まで来ると、華麗に手を取り姫君を輪に加えた。
(ばか正直に頬を赤くしやがって!)
イザークは、クルーゼの隣で恥ずかしそうにエスコートされる姫君に苛立ちを露わにした。
ラスティは、苛立つイザークの反応に気づいて
『隊長、姫君のエスコートはイザークが変わります。お気遣いありがとうございました。』
『そうか、それは残念だ。しかし、たまには私の相手も悪くなかろう?』
『あれ〜、姫君、赤くなっちゃって〜〜、クルーゼ隊長の大人の色香にクラクラ来ちゃってるんじゃないの?』
クルーゼの甘い囁きと、ディアッカの冷やかしに、より頬を紅潮させた。
『姫君、行くぞ!』
『イザーク、冷静になれよー!』
姫君の髪を弄ぶクルーゼから、遠のけるように、強引に腕を掴み引っ張った。もちろん、ラスティの声は届いてもいなかった。姫君もイザークのそれに従いはしたが、ほんの少し後ろ髪を惹かれる思いもあった。クルーゼが姫君の手を離しかけた時、なぜだか淋しさが胸にこみ上げたからだ。ディアッカとラスティが近くにいなければ、いや、イザークすらいなかったら、あのままクルーゼの大人の色香に負けていただろう。現にイザークに腕が引きちぎれそうなほど、強く引っ張っられていても、クルーゼを思い出し頬が赤くなる。
『貴様、いつまでその間抜顔をしている気だ!』
『なっ、なによ!仕方ないでしょ、あんな扱いされたの初めてなんだから!!』
『っ!!』
思わずイザークは唸ると、姫君の腰を引き寄せ唇を奪った。
『悪かったな…優しくなくて……』
けたたましい剣幕から一転して、恥ずかしげにイザークの澄んだ瞳は揺れていた。
『私もごめん…べ、別に隊長に変な気持ちとかあるんじゃなくて、ただその…』
『その…なんだ?』
『クルーゼ隊長の怪しい色香に戸惑っただけで、イザークの事、ちゃんと…本当に好き…だよ。今日だって、1番に見つけて…見つけたら、すごく嬉しくて…抱きつきたいぐらいだったし…』
恥じらいながらも、次々と自分を好きだと並べる姫君が愛おしくて、イザークはずっと聞いていたかったが、愛おしさが募りまた、姫君の口を唇で塞いだ。
『そんなお前が好きだ』
『え?』
『わからないなら、いい。今のままでいればいい。クルーゼ隊長だろうと俺はお前を譲る気はないからな』
『ーーーイザークのバカ』
『な、なんだ?』
姫君を見れば、いまにも泣き出しそうに瞳を潤ませていた。
『な、なにも俺は言ってないぞ!!』
『言ったもん!』
先程はイザークが姫君を強く引っ張ったり、抱き寄せたが、今度は姫君からイザークの胸に飛び込み、一身に抱きついた。
どうしたものかとやたら戸惑うイザークに、姫君は上目遣いで
『大好き』
と真っ直ぐに伝えた。
イザークは、一瞬たじろいだが、ふっと笑みを浮かべ、優しくおでこにキスを落としながら、
『知っている』
『隊長も人が悪いですよ…イザーク焚きつけちゃって』
『すげー、嫉妬してたな』
イザーク達がバルコニーに消えたのを見計らって、ディアッカとラスティはクルーゼに話しかけた。
『別に私はそんなつもりじゃないが?』
『姫君がイザークの彼女だって知っていますよね?』
『あぁ、だが当の本人がエスコートせず放っておくのだから、私がエスコートしても問題あるまい』
その意見はラスティを黙らすのに絶大の効果だった。ラスティの手から力が抜けた。
『それに姫君は、美しいからひとりの男として放って置けなかってなかったからな』
『おっと……』
すべては、あっという間の出来事だった。イザークや仲間たちが気づく暇もないうちに、クルーゼは姫君に気付き配慮するあたりは、さすが大人。
鮮やかな血と憎しみの黒を纏うクルーゼには、純愛に付き合う時間はなかったのだ。不器用なイザークにとって救いだと気付く日は生涯こなかった。