御月山の夏
□御月山の夏
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梅雨が明けても蒸し暑さが続くのが御月山の夏だ。
盆地の宿命ともいえる蒸すような空気に加えて、頭上から降ってくる蝉の声がさらに暑苦しさを助長させる。
じんわりと滲み出る汗を拭いつつ、ぬかるむあぜ道を進んでいくと御月山の集落が見えてきた。
いよいよ着いてしまった。それが紗季が十年ぶりに訪れた故郷に抱いた感想だった。
不思議と懐かしいとは思わなかった。ただ事件の日から全く変わっていない景色が憎いだけ。
目を閉じれば頭と顔を叩き潰された無残な兄の姿が脳裏に浮かび上がってくる。今でも事件当時の情景が鮮明に甦ってくるのだ。
まるで事件の夜の日に迷い込んでしまったかのような錯覚を、濃い土の香りが掻き消してくれた。久しぶりの御月山の空気に流されて事件の幻に呑まれてはいけない。
紗季は事件の真相を知るために御月山まで来たのだから。
「紗季ちゃん?」
誰かに名前を呼ばれた。誰かと思い後ろを振り返ると、長身の男が久しぶりと声をかけてきた。
誰か思い出せない。しかし、よくよく見てみると昔の面影が微かに残っている。目の下の黒子に、笑うと右側の頬にだけできるえくぼ。
思い出した、立川だ。
まだ御月山に住んでいたころ、よく面倒を見てくれていた、親切な近所のお兄さん。
そして紗季の兄と一番の親友でもあった男。
「立川さん。お久しぶりです」
紗季が頭を下げると、立川はほっとした表情を浮かべた。
「大きくなったなぁ。もう高校生なん? 学校はどうしたん?」
「今日から夏休みなのでせっかくだし、久しぶりにこっちに帰ろうかなって思って」
「そっか。じゃあしばらくこっちにいる感じなんや。相変わらず何にもないけど、ゆっくりしていってな」
立川は、じゃあまた後で、と関西訛の強い口調で言うと歩き出した。
まさか御月山に帰って来て一番最初に会ったのが昔よく遊んでもらった立川だとは思ってもいなかった。
紗季は背の高い立川に肩車をしてもらうのが一番好きだった。
いつもとは違う高い目線から見る風景がとても好きで、毎日毎日肩車をしてとせびっていたのを思い出すととても懐かしい気持ちになる。
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楽しかった昔の思い出を壊すようなことはしたくないが、どうしても立川に確認しなくてはならないことがあった。
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