Cuore Luna

□第八章 絵描きの心
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自分の家に一番に飛び込んだベリルは、「ひっ!」と悲鳴じみた声を上げた。

「モクゥ〜! モククゥ〜〜〜♪」

そんな鳴き声を上げながら、黒いフワフワした毛に全身を包ませた生き物――スネの半分の高さもない大きさだ――が家の奥からやって来て、嬉しそうにベリルの足元に迫ってきたのだ。
なかなかに可愛らしいペットのお出迎え――のはずが、ベリルにはどうやら違うらしい。
ベリルは生き物が来た方向の真反対に向かって駆け出す。
しかし、その生き物は短い脚とは裏腹にすぐにベリルに追いつくと、バチリ、と電気を放った。

「ぎゃあ〜〜〜〜〜〜ッ!」

電気を浴びたベリルは、大声を上げて木製の床に倒れ込んだ。

「家の中に……羊?」

コハクを背負ったまま家に上がったヒスイが、その生き物――黒毛の羊を見て呟く。
ベリルはふらふらしつつも何とか起き上がると、呆れと恨めしさを合わせた目を羊に向けた。

「うう、こいつはベルル……ウチで飼ってる黒雲羊だよ。おまえまだ生きてたのかぁ」

黒雲羊のベルルは嬉しそうにその場でぴょんぴょん跳ねると、再びベリルに迫る。
どうやら先ほどの電撃は体に溜まった静電気によるもので、それをバチリとさせるのはベルルなりの挨拶らしい。もちろん、ベリルに対して限定の、だ。
それがひどく困るらしく、ベリルは再び駆け出した。そして、逃げ込んだ台所でベルルを振り返り、帽子に付いたコアから取り出した筆ソーマ・ティエールをぶんぶんと振った。

「えっと……ベルルくん、おいで〜」

タンジェリーナがしゃがんで手を伸ばしながら言う。すると、ベルルはとことことタンジェリーナに歩み寄った。そして何と、タンジェリーナにあっさりと抱きかかえられたのだ。鎧越しに、ベルルはタンジェリーナの胸の位置を占領していた。

「な、何だとぉ!? この裏切者〜〜〜〜ッ!」

それはそれで嫌なのか、ベリルがその様を見てベルルに向かって喚いた。
一方リチアは、家に上がって良いものか、と言いたげに家の入り口に突っ立っていた。

「おや、そっちの緑の髪の子はどうしたんだい? さあ、入っておいでな」

柔和にヘリオが声をかけるが、リチアはかぶりを振る。

「わたくしに関わると、お祖母さまにまでご迷惑をかけてしまうかと思うと……」
「迷惑なんてあるもんかね。ベリルの友達だろ? 気がねすることなんてないさね。さあさあ、そっちの鎧の子も遠慮せずにお入りよ」
「……よ、鎧の子!?」

リチアの隣に立っていたクンツァイトは、心底驚いたような、珍しく動揺した声で言った。
全員がこの小さな家の中に入ったのを見て、ヘリオは感心したような声を上げた。

「それにしても、ベリルがこんなにたくさんお友達を連れてくるなんてなぁ。久しぶりに、にぎやかで楽しいねぇ。よく見りゃあ、年頃の男の子もいるじゃないか」

ヘリオはそこで一旦言葉を区切り、ソーマを仕舞ったベリルの方を見て続ける。

「……で、ベリル。一体どの子が、本命のお婿さん候補なんだい?」
「!?」

ベリルは目を見開き、たちまち顔を真っ赤にした。それから、今度は両腕をぶんぶん振り回して必死に言う。

「違う違う違〜〜〜〜うッ! 何言ってるんだよ、グランマ〜〜〜ッ! ムダ話なんてしてないで、早くコハクを手当てしてよ!」
「お願いします! ベッドは、こっちの部屋?」

シングがそう言いながら指差したのは、扉に閉ざされた何かの部屋と思しき場所だった。
それを見て、ベリルはハッとする。それと同時に、ものすごい剣幕で大声を上げた。


「そこじゃないよッ!!」
「ッ!?」


突然の怒鳴りに近い大声に、一行はビクッとする。
ベリルは、しまった、と言うような、焦る表情で言った。

「あ……え〜と、そ、そこは……ガラクタ置場なんだ。ベッドは二階のボクの部屋だよ」

ヒスイは頷くと、すぐに階段を上がっていった。その後に、シングとイネス、ベリルとヘリオが続いた。

「………………」

タンジェリーナは、今までずっと笑顔を絶やさずにいたヘリオがどこか複雑そうな表情で『ガラクタ置場』の扉を見ていたことに気付いていた。
そして、『ガラクタ置場』に近付いた時の、ベリルのあの態度――。

(何か、隠していることがあるのでしょうか?)

タンジェリーナはそう思ったが、まだベリルとも付き合いが浅い自分が首を突っ込める話ではないだろうと考え、黙っていた。
それが後に、重要なことに繋がるとも知らずに。



二階に上がっていったコハクを含む六人以外は、下の階のリビングで各々待機していた。
それからすぐに、二階の部屋が狭いという理由で、ヒスイが降りてきた。
その後、ややあって、今度はベリルが駆け足で降りてきた。俯いているため、被った帽子で表情が見えない。

「ベリルさん、コハクさんは――」

もう大丈夫なんですか、とタンジェリーナは尋ねようとしたのだが、ベリルはそのまま家を飛び出してしまった。

「おい、ベリル!?」
「ベリルさん……?」


ちらりと見えた彼女の横顔は、ひどく悲しげであった。



コハクの治療を終えたヘリオは、一行に食事を振る舞ってくれた。家庭的でありながらしっかりした料理に、一行はあり付いた。
しかし――ベリルは、まだ帰ってきてはいなかった。

「ごちそうさまでした」

そういって箸を置いて手を合わせたタンジェリーナ。
ちなみに、彼女の太腿の上には、ちゃっかりベルルが居座っていた。気持ちよさそうに眠っている。

「ふう、おいしかったぁ! もう食べられないよぉ……」

満足げに言うシングに続き、バイロクスも言った。

「うむ、これだけの料理は帝都でもなかなか口にできまい」

大食家のリチア、イネス、ペリドットも、大変ご満悦である。

「特にピーチパイは、桃の素朴な甘さとカスタードの濃厚さが互いを引き立て合う絶品ですわ」
「ヘリオさん、街でお店を出したら行列間違いなしですよ!」
「いいなぁ、それ。もしそんな店があったら、毎日買いに行っちゃうね」

続けて褒められたヘリオは嬉しそうに、朗らかに笑った。
「ありがとねぇ。……けど、お嬢さん方三人でパイを三十個も食べて平気かね?」

そう言われて、三人は顔を真っ赤にする。
そう、この三人の食欲は、一行の食費の大半を占めるほどなのだ。

「ふふ、大丈夫ですよ」

タンジェリーナは苦笑しながら代わりに答えた。

「しっかし、ベリルはせっかくのバァさんの飯も食わずにどこ行っちまったんだ?」

ヒスイが言ったとき、不意にベルルは目を覚ました。そして、思い出したように起き上がってタンジェリーナの膝から飛び降り、とことこと外に出て行ってしまった。
ヘリオはふと、天井を仰ぎ見た。それから視線を戻して呟く。

「ああ……あの子なら今頃きっと、お山の天辺にいるんだろうさ」
「なぜ分かるのです?」

ベルルは放っておいて良いのだろうか心配になりつつタンジェリーナが問いかけると、ヘリオはやはり笑顔のまま答えた。

「あの子は落ち込むといつも、お山で雲を眺めるんだ。どれ、迎えに行ってくるかねぇ」

ヘリオはそう言って歩き出したのだが――突然、つまづいたように倒れ込んだ。

「!?」

タンジェリーナは思わず息を呑んだ。

「どうした、バァさん?」
「もしや、どこかお悪いのか?」

ガラドとカルセドニーに手伝ってもらって立ち上がったヘリオは、苦笑いする。

「ああ、すまないねぇ。最近、ちょっと目が悪くなって……」

そんなヘリオに、リチアは優しく声をかけた。

「お祖母さまは休んでください。後片付けとコハクの世話は、わたくしがいたしますわ」

クンツァイトが「リチアさま、皿洗いなど自分が……」と言い出したが、リチアは譲らなかった。

「わたくしにやらせてください。二千年ぶりに、当たり前のことを当たり前にしてみたいのです」
「頼むよ、リチア。オレたちはベリルを捜してくる」

そう言ってシングは立ち上がった。
リチアは頷くと、すぐに台所に皿を運び始めた。
ペリドットは「色々言えた立場じゃないから」、バイロクスは「こういう時の女性の扱いはカルさまに任せる」ということで、取りあえず家に残るらしい。
タンジェリーナは最後に家を出ようとしたのだが――そのとき、ガシャンッと、台所からけたたましく音が響いた。

「!?」

思わず音がした台所を振り返ると、そこには、随分と慌てた様子のリチアの後ろ姿があった。

「…………」

タンジェリーナは思わず苦笑いするのであった。
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