novel

□忘れないよ、君の事
1ページ/1ページ


記憶喪失。

それは漫画や小説、ドラマ等の架空の物語の中であればなかなかに定番になったお約束ネタであるが、実際に記憶喪失はどうやったら起きるのかと、興味本位で調べたことがあった。ネットの情報だからどれが正しいか間違いなのか俺は医者じゃないから分からないが。
釣りをしている間に拉致られて記憶喪失した、だったりストレスとかの精神的な負荷が大きかったら記憶喪失になる、だったり。

とりあえず何かアクションがあってから記憶喪失になるということは間違いないようだ。まあ普段通りの生活をしていて急に高校生が「何歳?」って聞かれたら「みっちゅ!」と答えたら可愛いね〜じゃ済まされない。本気で心配になってしまう。多分疑うのは記憶喪失じゃなくてそいつの頭自体を疑うのだろうけども。

だから俺は昨日まで普通に連絡を取っていた目の前のこいつの言動を受け止めれない。


「新しい人?初めまして、僕はカノって言いま〜す」


初めて会った時の、あの胡散臭い笑顔を顔に張り付けてアジトに入ってきた俺にそう言ってきたのだ。
さてはて、どういうことだ?俺はカノになんて声をかければいいのだろう。初めまして、俺はシンタロー!よろしくな!的な皆から好かれる主人公的挨拶であろうか。ボケにはボケで返すとこちらの体力を無駄に消費しなくて済むと最近分かった。よし、これでいこう。

『何言ってるんですか?吊り目さん…頭打ちました?』

俺より先に応えてしまったのは俺の携帯にいるエネである。
おいおい、やめろよ…俺が何とかスルーしようと頑張って頭を回したのにお前のせいで台無しだ。

「エネちゃんは相変わらず酷いなあ」
『ご主人が言いたくても言おうとしなかったことをいってあげただけですよ、私は』
「いいんだよエネ…そのままこんなボケスルーしようとしていたんだ。いらん世話焼いてくれたな」
「でも、そのジャージの人とは僕本当に初めましてだよ?何を疑ってるのかは知らないけど」

いつもの飄々とした声とは裏腹に、真面目なトーンと真面目な顔で言ってくるものだから俺もエネも頭に?を浮かべた。さっきまではふざけているだけだと思っていた俺だが、あまりにも本当に俺と会ったことがないみたいな反応するからスルーすることより困惑のほうに意識が向いた。

『い、いやいやいや…吊り目さん、嘘ですよね?記憶喪失ですか?それにしても忘れる相手がご主人って…。付き合ってるんじゃないんですかぁ?』
「おっおいエネ!それはあまり言うなって言っただろ!」
『だって大事なことじゃないですか!恋人ですよ!恋仲ですよ!大切な人の一人でしょう!』

なのに…、とエネは言葉を詰まらした。
エネの言う通り、なぜか分からないけど俺はカノと付き合っている。告白はカノからしてきて、それを受けた。そのときのカノの顔といったら本当恋する少年で、頬を少し赤らめ、恋が実った安心感と嬉しさが混ざった顔をしていた。あぁ、俺のことがだいぶ好きなんだなってこっちも釣られて赤くなるくらいには分かった。

なのに、忘れてる…のか…俺の事。

「駄目っすよカノ!寝てないと!」
「ちょおっと水飲むために起きただけでしょ〜セトってば心配しすぎ」

奥の部屋から慌てて出てきたのはセトで、俺の顔を見るとばつが悪そうな顔をした。カノならまだしも、お前がそんな顔すると本当にカノがおかしなことになってんじゃないかって信じかけてしまう。

「し、シンタローさん…久しぶりっすね…」
「あぁ、そうだな…」

なんだその下手糞な挨拶と笑顔は。それならさっきの気まずそうな顔であいさつも何もせず、この状況に関する知ってることを全て話してくれ。

「え?セトもこの人と知り合い?」

カノのその一言で場が凍り付く。セトは恐る恐る俺のほうを見るとカノに水を持たせた後、押し込むようにして寝室に連れて行った。
聞き取れないほどの話し声が聞こえた後で寝室からセトだけ出てきて、「ちょっといいっすか、シンタローさん」と分かりやすい作り笑いを浮かべた。







「びっくりしたっすか?」
「そりゃあな…馬鹿が馬鹿なことを言ってるとしか思いたくねえけど」

セトは俺に氷をいれたコーラをコップ一杯にしてくれた。自分を落ち着かせるためと、暑さと戸惑いによってからっからに乾いた喉を一気飲みで潤した。うん、炭酸が少し抜けている。開封して2日目といったところかな。

「あながちシンタローさんが言っているのは間違ってないかもしれないっす。カノはいつの間にか一部の記憶を失ってたんす」
「いつの間にか?お前らは原因を知らないのか?」
「俺もキドも全く心当たりがないんすよ。キドに関しては『勝手に一人ですっころんだんじゃないか、いつか戻るだろ』って言って…」

キドらしいっちゃキドらしいけど…いつの間にか記憶が無くなっているとなると案外キドが言っていることも間違いじゃないのかもしれない。二人が知らないとなると交通事故や大きな怪我が原因ではない。軽く頭を打って少し記憶が混乱してるだけとかが一番可能性が高い。まさか、ストレスや何かショックがあったとはあいつの性格上あまりないと思われるしな…。
先程飲み干したコップに氷が溶けてできた水を少し含んだ。

『吊り目さんが無くしてる記憶の一部って、ご主人関係のみなんですか?』
「ごふっ」

エネの一言に口に含んだ水を吹き出した。
なぜこいつは今日俺がスルーしようとしたことばかりを突いてくるのだろうか。いじめか?いじめなのかな!?

「お前はさっきから…っ!聞かなくていいんだよ、そんなこと!」
『だって私の事は覚えてましたよ!ご主人のことだけ忘れてるみたいですし…』

エネの言葉に俺は激しく動揺して持っていたコップを床に落としてしまった。言葉が出ないし、きっと目も泳いでる。あぁ、かっこ悪いな、俺。

『う、うわぁ!ご主人!コップ落としちゃいましたよ!床びっちゃびちゃですよ!?』

エネの叫び声も俺には届かず、床に広がっていく水と転がる氷とコップをただぼーっと見つめることしか出来なかった。自覚すらなかったけど、案外俺はあいつのことを大切にしているようだ。

「シンタローさん…?大丈夫っすか?」

俺はふらっと立ち上がり、カノが入っていった寝室のほうに歩きだそうとして身体の向きを変えた。

「えっ」
「…は?」

瞼をあげた瞬間、目の前には視界いっぱいのカノの顔。その顔はさっきまでの他人行儀な作り笑顔じゃなくて、いたずらが成功した子供のようなにやにやした顔だった。
背後からは溜息をつくセトの声、あとは吹き出したエネの声が広いリビングに響き渡った。

「あ〜…バレちゃった…かな?」
「か、カノ、おまっ」

慌てふためく俺の左頬をカノはゆっくり撫でながら、「ごめんね」と一言いった。

「僕ね、シンタローくんにちゃんと好かれてるのかな〜って心配になっちゃったからちょっと騙しちゃった」
「だ、騙した…?え、じゃあ、記憶喪失ってのは…」
「嘘だよ〜!どこも怪我してないしシンタローくんのこともばっちり覚えてるし大好きだよ!」

「ちなみに、共犯者ね」とカノはポカーンとしている俺の後ろを指を差した。現状を理解できてない頭を動かして後ろを振り向くと、まず耳に入ってきたのは甲高いエネの大爆笑の声。次に苦笑いして「ごめんなさいっす…」と謝るセトが居た。
つまり、カノの記憶喪失は嘘で記憶なんか失ってなくて、エネとセトは二人して演技をしていたってことで…。

全てを理解した瞬間、色々な恥ずかしさで顔に熱が集まった。

「いや〜でも良かったよ!シンタローくんもちゃんと僕の事好きなんだね!あれだけショック受けてたんだから好きじゃないことないよね〜!」

喜々としてカノはそう言ってくるが、俺は言われる度図星を突かれるので顔を真っ赤にしながら声にならない声をあげた。

「も、もう黙れえええええええええ!!!!」

つい出てしまった俺の拳が、カノの左頬にクリティカルヒットした時動き続けていたカノの口がやっと止まった。






記憶喪失になったって忘れるはずがないのにね?



20170823

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ