虹物語R

□第1Q「どんな人なんでしょう」
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 時は四月頭。
 正門から校舎へと続く通りの両脇に立ち並ぶソメイソシノたちが、下ろしたての制服に身を包む新入生を祝福していた。
「……よしっ!」
 彼女――白乃音もまた、春から誠凛高校へ入学する新入生の一人であった。
 小さく拳を握って、己を鼓舞すると音は校門を跨ぎ、高校の敷地内へと足を踏み入れる。
 白雪色のミディアムヘアが春風に柔らかく揺れる。晴天を切り取ったのような空色の丸い瞳が、固い意志を宿して、新入生と上級生でごった返した通りを見据えた。
 汚れひとつない紺色の制服はまだ着慣れておらず、生地のぎこちない伸縮の感覚が新鮮だった。
「吹奏楽どう?! 音楽好きでしょ?!」
「そんなのよりもハンドボール部来てよ! 君ならレギュラー確実だって!」
 我先にと、部員をひとりでも増やさんがため嵐のように降りかかる勧誘は、高校そのものにエネルギーを感じさせる。新設私立校ゆえに各部活揃って歴史は浅く、実績も無いが、これから自分たちこそがその歴史あるいは実績とならんとする熱があった。
 胸に飾られた赤い薔薇の造花は、新入生である証。鮮やかな主張は、分かりやすく上級生たちに狙い目の獲物だと知らせているようなものだ。
 多くの上級生にぐいぐいとチラシを押し付けられ、断る度に申し訳ない気持ちを抱くことに疲れてしまった結果、先程の威勢はどこにいったのか、逃げるように、音は校内案内の看板の裏に走っていった。
「はぁ……」
 手書き、あるいはPCで制作された数々の部の勧誘チラシを、音は心のなかで謝りながら鞄の中に丁寧に仕舞った。
 入ろうとしている部活は定まっているからこそ、ただ捨てるしか道のないチラシを受け取ってしまった罪悪感に溜息が零れた。
「バスケ部、どこでしょう……」
 部活としてはメジャーな部類であるはずなのに、先程の嵐の中には影も見当たらなかったことを思い出して、きょろきょろと頭を振って、それっぽい人物がいないか見渡す。
 いっそ目についた上級生に問うのも手ではあったが、外で勧誘するのは勧誘に熱心な人物だろうことは推測できるので、わざわざ他部活の場所を聞きに行くのは相手に申し訳がなく、自分で探すのがまず優先かと結論づける。
 勧誘の激戦区から出た場所に目的の部が存在したのは、果たして運が良かったのか、運命だったのか。
 折りたたみ机に、バスケ部とマーカーで手書きされた紙が正面に貼り付けられており、上級生の男女が一名ずつパイプ椅子に座って暇そうに手元の紙を眺めていた。
 しばし、息をするのも忘れたように、バスケ部の文字を見つめた。
「あった……」
 ずっと、探していたものを見つけた。
 それは彼女にとって、砂漠の中のオアシスにも。夜闇の中の星空にも似た、希望の光だった。
 操られたように、考えるより先に足が進み、気がつけばその前に立っていた。言葉すらも、考えるより先に口から発された。
「あ、あのっ! バスケ部の、マネージャーの募集はしていますでしょうか!?」
 ずいっと机に体を乗り出して申し出ると 猫目が印象的な男子生徒は勢いに気圧され、ベリーショートが特徴的な女子生徒の方は、明るい笑みを浮かべた。
「勿論、しているわ! えっとマネージャー希望は……こっちに名前書いてもらえる?」
「はい!」
 負けじと元気よく返答し、渡された仮入部申請書に、用意された鉛筆で自らと出身中学の名を書く。白乃音。出身校・藤沢中。
 ざり。
「帝光中出身!?」
 内容に不備はない筈だが一応確認を、と話しかようとした瞬間、女子生徒が信じられないといった様子で声を荒げた。
 帝光中出身。それが何を意味するのか、音も瞬時に理解した。同時に、何故こんな新設校にいるのかとも疑問が浮かぶ。
「帝光中? マジで!?」
「帝光中って、あの帝光中学校……ですよね。全中三連覇した」
「こんな金の卵、見たら分かると思うんだけどなぁ……名前も聞いたことない……」
 天板に置かれた紙面を音も興味本位で覗き込むと、確かに出身校に帝光中と書いていた人物が一人、いた。
「黒子、テツヤ……」
 聞いたことはない。となると試合にはほとんど出ていなかったのだろうと推測できた。しかし、高校の部において活躍するバスケ選手の割合の多くを帝光中OBが占めることから、彼、黒子テツヤなる人物も即戦力となる可能性が高い。
「一体どんな、」
 ざり。そう、聞いた。女子生徒に話しかけている間に名前を書いたのだろうから、あれはきっと立ち去る足音だったのだ。
 そのことに気付いて人混みに目を向けたところで、勧誘に欠片も反応を示さず隙間をすり抜ける背中を、一瞬だけ見た。
「待って!」
 既に視界から消える寸前であったこともあり、反射的に音は勧誘の嵐の中に飛び込んだ。
 帝光中出身の生徒が、一体どうしてこの高校に来たのだろう。バスケ部に入るのだろう。興味が彼女を突き動かした。
 人混みでうまく先へ進めないが、突き飛ばして進むような力も性格も持っていない為に、ただ歯痒い。
(もしかして、あなたも……!)
 自分と似た理由があるのかもしれない。
 それを確かめたくて、懸命に追いかけるが、彼は風のように人と人の間をすり抜ける。周りも彼が存在しないかのように、誰も目を向けない。
 部活勧誘をごめんなさいと断った一瞬の間に、もう見失ってしまった。微かに落胆の感情を抱いたが、バスケ部志望なら、体育館で集まる時に必ず会えるだろう。今、会えなかったのは残念だったけれど、と、音は自分を納得させた。
「……一体どんな人なんでしょう」
 油断すれば聞き逃す、否、多くの人は聞き逃してしまうほど仄かな優しい足音。バスケをしていたと思えないほど静かな存在感に、音は自分の中に、知りたいと思う感情が膨れるのを感じた。

 桜が舞う。
 全ての始まりを、祝福していた。


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