◆dream

□第二章
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それから、ジュリアは目まぐるしい毎日を過ごしていた。

ジュリアの大奥滞在が急遽決まり、
もてなしの準備で多忙極めるにも関わらず、
それ以上に皆ジュリアに興味があり、
女中達は大喜びで歓迎していた。

ジュリアの魅力的な容姿は勿論、
身分を鼻に掛けることもせず、
分からない日本語に苦労しながらも、
一生懸命に相手の瞳を見つめ理解し様と努める姿に、和宮は勿論、世話をする女中達も、
悶えずにはいられない愛らしさを感じ、
庇護感を煽られ、ますますジュリアの世話を焼きたがり、ジュリアはあっという間に大奥の人気者になった。


松本は大奥には入れないので、ジュリアは毎日朝餉を済ました後、本丸の松本の執務室へ訪れ半刻程話をするの事が日課になっていた。


数日したある日、勢いよく執務室に入ってきたジュリアは、目に涙を溜めており、松本は驚いた。

「{ジュリアどうしたのだ!
何かあったのか。}」

ここ数日ジュリアはとても楽しそうに過ごしていた様に見えた。
現にここへ来ては、母国と異なる習慣を発見しては驚き、目を輝かせ逐一報告してきた。
知的好奇心旺盛で呑み込みの早いジュリアは日に日に日本語の理解力を向上させていた。

『{私・・・全然出来ない。ダメな子・・。
御台様や女中達はとても優しいから咎めず見守って下さるけど・・。
母国であっても許される事ではないのに・・・。}』

そう言って、ついに耐えきれなくなったのか、ジュリアの青く澄んだ大きな目から涙が零れた。

松本は襖の前で肩を僅かに揺らし涙を流し立ちすくんでいるジュリアの手を優しくとり、
座布団の上に座らせ頭を撫でてやる。

よくよく聞いてみると、ジュリアは箸を上手く使えず、綺麗に食事を取れない事を嘆いている様で、松本はそんな事かと苦笑しつつ大事でない事に安堵した。

そして、ポンぺ教授も箸に苦戦を強いられ、
結局母国のナイフやフォークを使用し行儀よく食事をしていた事、母国では日本以上に厳しい食事のマナーがあると言っていた事を思い出した。

松本は、ジュリアの父も同様であった事を話し安心させた後、自分の書斎にあるオランダ語の医術書を読んで少しの間ここで待っている様に言いつけた。
絶対的な信頼のある松本の指示にふたつ変事をし、久しぶりに母国の本を読んで待つ。

10ページ程読み終えた所で、松本が機嫌良さそうに戻ってきて、ジュリアに手作りの木のフォークとスプーンを差し出し、今日からこれを使うように進言した。

さすが医者だけあって、手先が器用である。
この短時間の即席仕上げにしては、十分過ぎる程に見事であった。

ジュリアは松本の心遣いと、問題が解決した事に、感動し、思わず松本に抱きついた。

『Heel erg bedankt!
 (ありがとうございます!)
Uw is goed hoor !(素晴らしいです!)』

松本は西洋人の文化や習慣に慣れていたので驚くこともなくジュリアをしっかり抱きとめ、まるで子供をあやすかの様にジュリアの背中をトントンと優しく叩き、朗らかに微笑む。

「Appeltaart(お安い御用だ)
Wroeten voor u(健闘を祈る)」


ジュリアはそれから、憂いが晴れ今まで以上に溌剌とし、華やかな大奥で過ごしていた。

ある日、和宮に勧められ、ジュリアは紅色を基調とし、色鮮やかで上品な鳳凰の文様の艶やかな着物を、女中達の手によってあれやこれやと着飾られる。
申し分なくやり終え満足した女中達に見送られ、和宮に言われるままについて行く。

生まれて初めての着物は早々以上に重く、とても歩き辛らかった。
何度も裾を踏み躓き転びそうになりながら慎重に歩き、ジュリアは改めて優雅に歩む和宮や女中を尊敬した。

着いたのは本丸の大広間で、初めて謁見した時の様に、家茂とその重臣達と松本が、控えていた。

皆ジュリアの眩く艶やかな着物姿に、
心を奪われ仰ぎ見た。和宮は一同の反応に満足そうに微笑んだ。
ジュリアは予告もなく人前に晒され慣れない着物姿で注目を浴び、血が匂い立つ様な清く白い肌を瞬く間に朱色に染めはかみ、更に強く一同の胸を焦がした。

家茂はジュリアに賞賛の言葉を述べた後、隣に控えている和宮に声を掛け、面に徳川家の家紋である三ッ葉葵の金色の紋が彫られた、見事な漆黒の桐箱を差し出させ、開ける様指示した。

ジュリアは和宮に教わった作法で受け取り、朱色の紐を解き細心の注意を払いながら丁重に開ける。

『Wow!!Echt!(信じられない!)』

ジュリアは思わず感嘆の声を上げ、恭しく取りだしたのは、太陽に反射し輝きを増して光を放つ、研ぎ澄まされた銀のナイフ・フォーク・スプーンだった。
面の端には三つ葉葵の紋が、裏には“寿利亜”と刻まれていた。

「これは漢字でジュリアの名前を彫ったのよ。」

いつの間にか隣に来た和宮は、
ジュリアの持つフォークの“寿利亜”の文字を人差指で柔らかくなぞった。

『トテモ、トテモ、ウレシイ、デス。
ウウェサマ、ミダイサマ、ホントウ、ニ、アリガト ゴザイマス。』

箸を使いこなせないジュリアを咎めることなく、むしろ大いに心を砕き寛容過ぎる計らいに、ジュリアは感動の涙を流した。

松本は微笑しジュリアを温かく見守り、
まるで天使が微笑み涙する神々しい姿に、
一同皆胸を打たれた。


胸がいっぱいなジュリアはその夜、
いつものネグリジェではなく白い襦袢で眠る事になった。
翌日余りの肌蹴様に女中達は驚いたが愛らしさ故笑った。
ジュリアはとても恥ずかしい思いをした為翌日からはネグリジェに戻した。
又、着物は大変動きにくい為、家茂への謁見時以外は、持参したドレスで過ごした。




大奥滞在2ヶ月目になると、
ジュリアは松本と幕臣医への蘭学指導を開始した。

初めて見るジュリアに幕臣医達は、家茂や重臣達と同じ様な反応を見せ松本は苦笑した。
ジュリアは松本の講義の補足や助言をしたり、実験の助手を務めた。

気高く洗練された優雅な立ち振る舞いだが、
思慮深く温かく親しみやすいジュリアに、
幕臣医達は次第に心を解き、熱心に質問をしたり、互いに語学を教え合う様になり良好な関係を築いた。

そして幕臣医にも一目置かれたジュリアは、家茂の許可を得て大奥の女人の健康診断を実施し的確に処方し、健康管理・衛生に大いに貢献した。
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