世界の終わりと癒しの歌2
□【本編】救世主
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神は7日で世界を作った。
神が世界を作ったのではない。世界そのものが神なのだ。
と言うお話はきっと誰もが聞いたことがあるだろう。
複数ある創造神話の中どれが本当のお話なのかなんて人間の私達には知る由も無く…
世界各国様々な国でそれぞれの神話が存在する。
なぜそんな物が統一されず語り継がれているのか、
それは風習や信じている神、言わば宗教の違いだろう。
人間が崇める神は、1人では無く。
一人一人違う神を信じている。それが現状なのだ。
そんな中穢れの無いまっさらな平和は何処にも存在せず、それ故人間は神に祈る。
絶対の力を持っていない人間は神にすがるのだ。
そして、世界の中…人間に神は一切の関与をしない。
ただ見守り、世界が崩壊する時神はこれが運命だと…
人間が住む世界の寿命だと言いながらなお見守ることだろう。
それなのになぜ神は「私」と言う世界平和のための生贄を作り出したのか……
その理由を私はこう考える……
感情が生まれた人間を制御できない神は、人々に愛される存在を作り出し、慈愛の心を人間自らに思い出して欲しいのではないか…と。
神が言うことを聞けと言ったって、万人が万人言うことを聞くわけでは無い。
それぞれの考えの中自分で答えを見出し生きるだろう。
それ故、己で気づけと…
神は生贄に全ての匙を投げたのだ。
それで気づいた人間が多く居ても、人間は死に新たな命は新しい考えを持って争いを続ける。
だから、何度も何度も生贄を送り込み…何度も何度も同じことを繰り返し気づかせてゆく…
終わりなんてない。
神様、世界平和を気づかせるために行ったその行動は世界を変えるのかもしれない。
でも、そんなに人間は馬鹿じゃないのよ?
私のような生贄が居なくても、人間は人間を愛し、愛する人が居なくなれば心を痛め、涙を流す。
そうやって世界は今まで成り立ってきたじゃない……
だから、生贄に頼るのはもうここでお終いにしましょう。
終わるときは終わる世界。
ただいたずらにわずかな時間を稼いだって、いつか終わることはまぬがれることはできない。
神にとっては瞬きをする程度の時間かもしれない。
でも、何千年、何万年と歴史を重ねてきたこの広大な世界を神はそこで暇つぶしに見て居てくださいね。