Event 1

□月に寄せる歌
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俺らは頭を突き合わせて記憶を探った。

彼女との並びで大凡(おおよそ)わかる、
180は越えの長身な黒髪のラテン系。
笑顔が華やかで、その雰囲気からも絶対
その辺の一般人では無いと思う。

モデル?…にしちゃ年齢が高い。
俺らと同じくらいか…?

歌手?…だとしたらそれこそもっと早く
脳内サーチに掛かる筈。

どっかの実業家? スポンサーか何かの
…そんなん顔なんて覚えてないし、逆に
あんなイケメンなら絶対忘れない。

彼女とも此処で接点があって…ってなる
と、その辺りだけど…。

あの華やかさは芸能関係じゃないのかな
それくらい華があったから。


そんな中、ふと手を置いたカウンターに
あった春個人の仕事のマエストロ関係の
オペラのチラシ。

マエストロの指揮するドイツオペラの
NY公演の編曲を春は任されていて。

その客演。

マエストロと旧知の仲のとあるイタリア
オペラの巨匠…その甥っ子。

イタリアでは知られているオペラ歌手
らしい彼を招いて客演とするらしく。

オペラなんてからっきしな俺らには全然
分からないけど…どうやら全く畑違いの
この共演(競演?)は様々な話題になって
いるらしい。

その、チラシ。


――そこに、居た。

件(くだん)の男が…!
マリオ=バスティアーニ……。

世界的巨匠の甥っ子で、そのルックスと
才能で伯父のロッティ=バスティアーニ
を抜くかも知れないと期待されている、
オペラの期待の星…らしい。

それは今、秋羅が調べた情報で知った。

しかもこの男はイタリア男にありがちな
女性関係は本当に噂に事欠かないらしく
…最近でもイタリアの有名女優や、前は
アメリカのプレイメイトとも噂されてる
らしい。

浮いた噂だらけってヤツだ。
その甘いマスクと、世界中に轟かせる
セクシーバリトンと言われるその声に
女性達はメロメロになるらしい。


――こんな…!

こんな世界的なタラシ男、咲ちゃん
みたいな初心な女の子なんてチョチョイ
って摘まんで丸飲みだろう。

何だってそんな男に!


俺らは途端にざわついて。

そんな状況で、入って来た春。



――ああもう、こんなタイミングで!

でも、これは縁結びの神か音楽の女神
ミューズのお導きかもって思った。

彼女を守れって春への発破かもって。


「春っ、お前今日はもう帰れ!」

「…は…? 何を言ってるんだ、
まだ曲も完成して無いのに」

「曲どころじゃねぇよ!
そんな目の前の曲に感(かま)けてたら
この先の曲全部見失う事になるぞ!」

「何を言って…」

「いいから、今日くらい咲ちゃんと
一緒に過ごして遣れって!…最近ずっと
放ったらかしなんだろ?」


そう言って畳み掛けて。

そう、こう言ってる間にも彼女があの
世界的タラシ男に誑(たら)されてるかも
しれなくて。

俺らはこの場で春に電話を架けさせ、
そのタラシ男の鼻先から、彼女を無事
奪還する段取りで。


なのに


「――咲。今何処だ?」

『え…っ?! ど、どうしたの、春?』

「今日、急遽時間が空いた。
…食事にでも出掛けないか?」

『えっ、い、今…?
今日じゃなきゃ駄目?』

「…無理か?」

『あの…うん、ごめんね?
その…明日なら…。』

「今日は遅くなりそうなのか…?」

『う、うん…。だって今日は…春、
遅くなるって言ってたでしょ…?』

「ああ、その予定だった。」

『あ、えと…どうしよう…。』

「…無理はしなくていい。」

『ご、ごめんね…?』



俺らの指示でスピーカーにされた通話。

そんな丸聞こえの状態で、明らかに春の
誘いを断る彼女。

そんなのは俺らが知る限り初めてで。

今までなら彼女は何を置いても春の為に
春の言う事に従って来た。

従って、って言い方は悪いけど…でも
本当に彼女は彼女の全てで春を支えてて
…いつだって春の為に動いてて。


その彼女が。


俺らはあまりの衝撃に愕然として…

冬馬なんか明らかに挙動不審になって
足元の白譜の箱をぶちまける始末。

俺は真っ白な頭で、俺の頭ん中を映した
ような白譜を拾って。
…今、そんな場合じゃないのに。


春はそんな俺らの様子に眉を顰めてる。


そんな中、真っ先に動いたのは秋羅。



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