Event 1

□ご機嫌な彼
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【 ご機嫌な彼 】


都心の真ん中で、超高級マンションの
高層階にある自宅では無く、ローカル線
しかも各停しか止まらない駅の、辺鄙な
住宅街の奥まった場所にある、便の悪い
普通のマンションの一室。

そこが今日俺が帰るスウィートルーム。

誰が見ても此処にトップアイドルが居る
なんて思えない、そんな何処にでもある
普通のマンションに、しかもクリスマス
イブの夜だってのに、売れ売れのトップ
アイドル二人が揃ってシッポリだなんて
パパラッチが知ったら後で歯噛みするん
だろうなーなんてそんなマンション。

そこは俺の事務所にも秘密のセカンド
ハウスで…。

だから俺は収録後、いつものように一旦
自宅マンションに自分の車で帰ってから
荷物だけ持ち替え、バイクに跨り、件の
セカンドハウスマンションへ向かった。

クリスマスイブの夜、彼方此方で網を
張り、秘密の恋人たちの逢瀬をスクープ
しようとしてる連中がどうやったって
俺らを突き止められないように。

車の中じゃ、作った不機嫌がバレて
苦笑顏だった表情がバイクのメットの中
満面な笑みになるのを止められない。

俺の家からあの部屋までは、バイクで
20分弱だから…それまでに、この崩れ
きった顔、どうにかしなきゃ、とか一応
思いつつ。


――だって仕方ないだろう?


咲ちゃんが待ってるんだ。
Waveが全員夢中で、今は俺の…
俺だけのになった、あの咲ちゃんが
俺の為に、俺の為だけのパンケーキを
焼いて、待ってる。

そういう約束だから。


忙しい彼女。
本当はオフまで取ってくれようとした
みたいだけれど、この時期にやっぱり
それは無理なハナシで。
それなのに彼女は俺の為に必死んなって
半オフ的な数時間の時間を作ってくれて
俺より早めにマンションに来てくれて、

…俺を待ってる。

やっぱりオフを希望したけど取れなくて
半オフだって無理で、普通に夜に上がっ
ってしまった不甲斐ない俺を。
(それでも少しは早く上がれたのだけど
それはあくまで偶々で。)

それでウキウキしないなんて、
無いだろ?

実は俺、昨日の夜に彼女からのLINEで
『明日、先に入って待ってるね。』
そんなメッセージが入ってから、ずっと
ニヤニヤしっ放し。

気を許せば直ぐにでも脂下がって、
アイドルにあるまじき緩みきった顔して
しまう自分を隠す為にも演じた不機嫌な
芝居。…京介と義人にはバレバレだった
みたいだけど。

…あーもー、何でだよ。
演技力には定評のある俺だってのに。

まぁ、あの恋愛についちゃ百戦錬磨の
京介や、丸っ切り関心無いようで気配に
敏い義人を誤魔化し切れるとは思って
無かったけどさ。

でもそれでも

悔しいといえば悔しい。
それは演技のプロとしての俺が。

でも、そんな事すらテレビ局を出たら…
もうどうでも良くて。

彼女の元へ急ぐ。
急ぎ過ぎて事故でも起こしたら意味無い
から、極力安全運転は心掛けて。

自分で整備もしてるバイクの、単気筒の
軽い音が…自分の弾み切った気持ちを
表してるみたいだなんて思いながら。

マンションが見えてくる。

普通の住宅街にあって、何の変哲も無い
マンションなのに今の俺には派手派手の
イルミネーションでもされてるかの様に
輝いて見える。

特に8階の、俺の部屋の窓。
あの、普段光ってるのなんて見る事の
殆ど無い唯の室内灯の光が温かく輝いて

中の空気の暖かさが伝わってくるよう。
彼女の温かさとともに。

早く帰りたい。
彼女のいる部屋へ
彼女が待つあの場所へ
…そう思って。

バイクを所定の位置へ駐(と)める。
マンションの住人用の駐輪場は駐車場の
奥にあるから人目に付かない。
つまり、住人以外がウロウロしにくく、
余程の情報漏洩が無ければパパラッチに
突き止められない、穴場のマンション
だったりしたんだ。
俺はそれも踏まえてこのマンションを
買った。

まぁ、とは言え一応部屋に入る時も
今時の若者風にフードを被ってたり、
キャップを深く被ってメガネ姿ってのは
守ってて、素顔で出入りなんてした事
無いんだけど。

彼女も毎回キッチリ変装して出入りして
くれてるし。
…でもいつかはきっと、住んでる方の
マンションにも素顔のまんまで出入り
出来るようにする。絶対。
何なら一緒に住みたいくらいなのを今は
必死で抑えてるくらいだし。

人と過ごすのがキツく感じる俺が、
ずっと一緒に居たい(一緒に住みたい)
なんて思ったのも実は初めてで。

今までの歴代の彼女だって好きだから
付き合ったんだけど、私生活にまで
踏み込まれるのには抵抗があったのに。

咲ちゃんは…咲ちゃんだけは
違うんだ。

どうしてなのか、何処がどう違うのか。
彼女だけは特別。

咲ちゃんだけは。



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