Novel


□Refrain-rain *
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彼女の手を握り、もう喋るのも辛そうな
彼女の手の甲を優しく撫で。

眠っていいよ、と言うように…そっと
マスクの上から頬を撫でた。
その、もっと小さくなってしまった顔と
…今にも細くて折れそうな手を。

彼女ももう、俺を寝かせる事は諦めた
らしく…唯ゆっくりと瞬きをし、ジッと
俺を見て微笑むように目元を緩め。
ゆっくりと…瞼に瞳が吸い込まれる様に
目を閉じてゆく。


ゾワリ。


その感覚は何なのか。
恐怖、
安堵、
それから
焦燥。

相反するそれらの感情を…一つの鍋で
グツグツ煮込んだみたいだ。
彼女に悟らせない様に必死で抑え込み、
静かに、ゆっくりと深呼吸をする。

握ったままの彼女の手に目を落とせば…
細い腕、節が目立ってしまった指。

彼女にまだ指輪は贈っていないけれど、
もしも指輪をあげていたら…きっと今の
サイズでは指輪は抜け落ちるか、そこ迄
では無かったとしてもクルクルと回って
しまっただろう。

実際、彼女にあげたバングルはすっかり
緩々で、彼女の肘近くまで深く嵌って
しまっている。

そんな様子ですら胸を焼くのに。
彼女は今日危うく俺の手からすり抜けて
行こうとしたのだと思えば、胸は強く
炙られたようにジワジワと縮み…
心臓が締め上げられた。


ぎゅ、

思わず力が籠ってしまった手。
彼女がふと俺を見上げる。

少しだけ伏せてた目が、俺を窺うように
ジッと見つめて。

その何処までも透明な視線が…
堪らなかった。


彼女が俺を愛してるのは知ってる。
肌で、この触れ合った手で、指先で…
彼女は愛情深く、それを隠す事の無い人
だから。

俺をとても大事にしてくれていて、
心の底から愛してくれている。

そんなのは分かってる。

今すぐ彼女を抱きたい。
抱いて、抱き締めて、その身の奥深くに
まで侵入して受け入れさせ、彼女の奥に
俺のこの想いを植え付け分からせたい。

そんな欲情と愛情が激情となって溢れ、
ここがクリーンルームだとか、その無菌
状態に居なくてはならない彼女の現状で
あるとか、ちゃんと頭の中にあるのに
抑えきれない感情で暴れ出してしまい
そうだった。


「なつき…さん……?」


ぎゅ、と君の手を握り締め、突然俯いた
俺を彼女はどう思ったか。

…いや、彼女はきっと気付いてただろう
俺の様子から、俺の気持ちを。

この、怒りとも悔しさとも愛しさとも
取れる、またそのどれだけでも無い
この複雑な想いを。

でも、まだ危うい状態を脱しただけの
彼女に、そんな重い感情で負担を掛けて
良い訳は無い。

そんなの、分かってるんだ。
重々に。


彼女が戻って来て嬉しいのは確か。
その筈なのに、今はその喜びだけを
感じて居たら良い筈なのに、

そうは出来ない俺。

かと言って、今、冷静になる為に
彼女から離れて寝(やす)む事すら
出来なくて。


傍に居たい
ただ傍に。

手を繋ぎ合い、触れ合える距離で
互いの温もりを分け合って。

そう思う気持ちも本当なのに。



手を握る。

マスク越しの、空気清浄システムの
風上を義務付けられた君との逢瀬では
出来る触れ合いはそれが限度。

ハグくらいなら大目に見て貰えるけれど
衣類越しに体温を感じるだけで。


――ああ、なんて馬鹿な事を考えてんだ

ここは病院で、しかも彼女は重篤な病を
抱えてて、俺の発情所じゃない。

そんなの頭じゃ完全に分かってんのに。


抱きたい
キスしたい


君が生きてる事を感じたい


粘膜を絡め合って、互いをカラダの奥に
受け入れ合って。

唯の性欲的な意味合いじゃなく
魂まで触れ合う交合で確かめたい。


――馬鹿だな…

悶々と同じ事をグルグルする頭ん中。
弱々しく薬の威力の前にうつらうつらと
する君を、薬からも病魔からも取り返し
たいなんて、なんて独占欲。
正気の沙汰とは思えない。

勿論、しないけど。

今の状態で軽はずみな事なんて出来る
訳ない。――彼女の命に関わるんだから

そんな事分かりきってんのに、何だこの
グルグルの∞(無限)ループ。


…分かってる。
それだけショックだったんだ。

彼女に置いて逝かれそうだった事が

それを現実として目の当たりにした事が

何よりも。


「……夏、輝さん……ごめん、なさい…
とても……傷、つけて………」

「……っ」


彼女のか細い声。
その震える謝罪に胸が軋む。


違う

謝って欲しい訳じゃない。

彼女に後悔して欲しい訳でもない。
…いや、後悔はして欲しい。
俺を置いて逝こうとした事。

二度としないで。
反省して。

反省して後悔して、二度としないと
誓って。

俺と生きるって。
俺の傍に居るって。


…そんなの、彼女の方がずっと願ってる
事だって知ってるけど。

傲慢だって構わない。
どんなに苦しくても、辛くても、
俺の傍で、俺と生きるって誓って。


二度と諦めないで



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