Event 1

□Zombie Dream
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春の様子がおかしい事に気付いたのは
突然だった。音が浮かんだ春が寝食すら
忘れてスタジオに篭るなんてのは正直
いつもの事で。

その日も俺は春の安否確認と作業の進行
具合の確認も兼ねて食事の差し入れを
しに入ったんだ。


ピアノに突っ伏すように倒れてる春。

でもそんな姿ももう何度も見てる、
限界ギリギリまで粘った春の姿で。

俺は書き散らされた白譜を一つ一つ拾い
集めながら曲の構成を確認して並べて。


――ん、ここの変調、唐突だな…
間が抜けてんのかな?
…あ、これか。

ってな具合に。
そう言う意味じゃ春の癖や頭ん中を俺は
正しく理解してるのかもしれない。
春のような何も無いところからの閃き
って意味での才能は無いけど。
天才の春の音を翻訳して聴かせるのが
俺の仕事だと思ってる節もあるかな。

昔は嫉妬して…それを抑えるのが心底
大変だったのに、今はそんな風に思える
…これが付き合いの長さってヤツなの
だろうか。

そんな事を思って苦笑して。
散らばってた書き殴りの白譜を集めてて
ふと気が付いた。ピアノの下に落ちてる
白譜に何かシミがついてる事。

散らかしはするけど、基本綺麗好きな
春が汚すなんて珍しい…。

そんな事を思って手に取れば…それは
乾きたてみたいな血痕で。


――え…?!

しかも…紙で切った、とかそんなレベル
じゃない出血量。
そう、言わば鼻血みたいな。


「おい、春?
お前もしかして怪我してる?」


そう言ってピアノにうつ伏せている春の
肩を揺すった。グラグラと揺れる春の頭
その髪の毛の合間から見えた春の鼻には
やはり血が付いてて。


「ちょ…っ、春っ鼻血!!」


慌てて気を失うように寝てる春の顔に
ティッシュを当て。
ダッシュで他の濡らしたティッシュを
運び込んで春の顔を拭いた。


「春? …春!」


こんなに目を覚まさないなんておかしい
…いや、春は爆睡したら偶にそんな事が
あるけど…でも、この様子はいつもとは
違わ無いか?

そう思って。


「秋羅! 冬馬…っ」


ピアノ室から大声であいつらを呼んで。


「どうした!」
「ちょ、なっちゃん何…、春…?! 」


起こそうとして揺らしたら…完全に
弛緩した状態でグッタリと倒れかけた
春を支える俺を見て血の気が引いた二人

後ろからは他のスタッフもオロオロと
慌てふためいてて。


「救急車呼ぶか? 冬馬、電話!」

「了解…っ」

「いや、俺の車で…ああでも急を要する
症状なら救急車が良いのか…?! 」

「落ち着け。お前がそんなに取り乱して
たら俺らも落ち着かねぇだろ。」

「でも春が…っ」

「息はしてるか? …って、春のヤツ
元々寝息とかも静かなタイプだからな。
まぁ鼾(イビキ)とか掻いてる訳じゃねぇ
なら脳梗塞とかじゃねぇと思うが…」


「春! 春っ」

「呼び掛けは基本だからな。
夏輝、呼び掛けてろよ?」

「ああ。春! 春っ」

「春っ……?」

「え?」


必死で呼び掛けてる俺の目の前で、
冬馬の目がまん丸にまる。
まるで化けもんでも見てるみたいに。


「どうし………」


俺も絶句。
だって今、春の目は明らかに開いてて。
でも…何も映して無いみたいに瞳孔が
開いたままになっていて。

いつもは透明で全てを見返すような目を
してるのに。今はぽっかりと開いて何も
映しては居ないようだった。

そう、まるで死人のように。


「秋羅っ、夏輝の車で行こう!」


ガッと冬馬が俺の腕と一緒に春を抱えて
立ち上がり、俺を引き摺るようにして
駐車場へと連れて出た。

急な冬馬の態度の変化に俺も秋羅も完璧
泡食って無言のまま車に乗り込む。


バタン!

荒く閉められた車のドア。
春を秋羅に任せて助手席に乗り込んだ
冬馬が発車を促す。


「夏輝、取り敢えず出せ。
奴らに怪しまれる。」

「な、何? 添田と木村(スタッフ)?」

「いいから!」

「…おい…ッ、この春の様子…」

「分かってっから早く出せ!」


あまりの剣幕にグンッとアクセルを踏み
急発進する。
…俺もかなり取り乱してるな、なんて
頭の隅で思った。


取り敢えずスタジオの敷地を出て坂道を
下り、当てもなく車を走らせる。

麓の大通りを横切り、人目につかない
小道の、しかも閑散とした所を選んだ
のは何の予感があったからか。


スタジオから出て、20分。
秋羅が静かな口調で口を開いた。


「…おい、これ春、死んでねぇか…。」

「…ッ、な訳無いだろっ!」


言葉を荒げたのは冬馬。
俺はグッと奥歯を噛み締めた。

秋羅は隣に座らせた(…凭れさせた?)
春をジッと見つめ、脈を取り出した。


「脈も無ぇな…瞳孔も開いちまってるし
…なのに何だ、この違和感。」

「死んでねぇからだろ!」

「――どういうこったよ…」

「……『ゾンビ化現象』…?」


思わず口を突いて出た、その言葉に。

皆、頭のどっかで警鐘が鳴ってた筈だ。
まさか、もしや…と。

でもまさか春が、と。
まさかそんな事…って。



「――冗談キツイぜ…。」



ドサッと秋羅が深くシートに凭れたのが
衝撃で前の席にまで伝わった。

また続く沈黙。

誰もがこの状況に紡げる言葉を持っては
居なかった。



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