Event 1

□Grooming
2ページ/5ページ


4人分のコーヒーが一つずつ抽出される
間に皆さんは戻っていらして…神堂さんは
私が思ってた以上の窶れ具合だった。

目は落ち窪み、夏輝さんの差し入れで
食事だけはどうにか摂られてたと聞いた
通りだったようで骨と皮、なんて状態には
なってなかったけど、少なくとも人って
こんなに短期間で窶れるの?! って思って
しまうような様子で…。
ずっと座ってらして痺れているのか足下も
覚束なく、冬馬さんと秋羅さんに支えられ
ソファセットに座る様子に胸の奥がグッと
詰まされ、泣きたい訳じゃないのに涙が
溢れそうになる。

…この人は、こんな風に命を懸けて曲を
作っているのだ。だからこそ、あんなにも
人の心を打つ曲を生み出せるのだと理解
出来た気がした。


「……咲…」


ヨレヨレの神堂さん。
ソファに深く降ろされ、肘を膝について
上体を支えるように座った彼の視線が
僅かに上がり、私を捉えた。


「はい…っ」


すぐさま返事をして彼の足元に駆け寄る。
彼の事を想って淹れたコーヒーの事ももう
頭には無かった。あまり食べていない彼に
ミルクも多めで淹れておいたのに。

しゃがみ込み、彼を間近で見上げるように
して。いつもの深く響く声が、今は力尽き
か細く漏れたから、一言も聞き逃さない
ようになるべく近くに寄って。


「今日、だったか…レッスン…」

「そんなの! 私のはいつものレッスン
なら自主練でも出来ますから!…新曲の
打ち合わせもそんなに日が急いている訳
でも無いですし…っ」


こんなに窶れて、それでも私との約束を
守ろうとする彼に何だか色んな意味で胸が
詰まってしまって喉が締まり、声が震えた。
泣くような事じゃ無いし、今涙を流せば
こんな状態の彼に変な心配を掛けてしまう
と思ってグッと奥歯を噛み締めた。
…彼は優しい人だから。
自分にはこんなにもストイックで厳しい人
だけど、私にはいつも心砕き見ててくれる
人だから。


「…何を、泣く…?」

「なっ、泣いてなんか…」

「…君の、声が涙に濡れている…」

「…ッ、……〜〜〜〜……」


思わず溢れた涙。
小さく首を振り、否定するのに一度零れて
しまった涙は止まらなかった。

自分でも、何で泣いてるのか分からない。
彼の生き様に感銘を受けたのか、
感動してるのか、自分を顧みない彼の
その遣り方が腹立たしいのか…
或いは別の感情なのかも。

フルフルと頭を振り続ける私に彼がスリ…
と頬を寄せた。


――へ……?


スリスリとまるで猫が擦り寄るように、
仔犬が鼻を寄せるように柔らかく合わせ
られた頬、頭。
私の頬と、首筋に…彼の柔らかな髪が
濃い煙草の匂いを纏わせフワリと当たる。

人前で初めてされる、その甘えた仕草に
キュン…ッ!と明らかな音を立てた気が
する胸。…和太鼓のように全身に響く様な
自分の心拍が直ぐに後を追った。

石になったようにガチン!と固まった私。
柔らかく私に凭れ掛かる神堂さん。
正面からしゃがみ込んだ私の肩に頭を
乗せて、スリスリ…スルリ。


「し、ししし神堂さ……っ?! 」

「…君の匂いがする…」

「へぇ……?!! にっニオイ…っ?!
あ…ッッ、はっ走って来ちゃったから
あっ汗…っ」



「…いやいや、絶対ぇ違うから。」

「だな、こりゃ何見せられてんだ俺ら」

「…グルーミングだろ。」

「野生動物かよ。」

「野生動物なら餌に対する匂い付けだろ
ヤバイぞ? 咲ちゃん逃げろ(笑)」

「…コレ放っといてイイもん?」

「付き合ってんだからイイだろ。」

「――いやダメだろ! 春が理性の働いて
無い状態でなんか放置したらっ」


「野生解放?」

「そりゃまた刺激的だな。」

「だからンな事になったら拙いだろって」

「あーあ、なっちゃんあんまお節介したら
馬に蹴られちまうぞー?」

「スタジオで野獣解放なんてされる位なら
喜んで蹴られるさ!――咲ちゃん
ゆっくり春支えて。寝かしつけよう…っ」

「へ?! えっ、はっはい!」


夏輝さんの誘導に従い、皆さんの前で
死ぬ程恥ずかしかったけど…神堂さんの
頭を抱き、優しく背中を撫で摩って…

ゆっくりゆっくり…そっとソファに倒し
頭を支え膝枕の体勢に持っていく。

その間も神堂さんは私にピタリと体を預け
時折ゆるりと鼻を擦り寄せ、頬を重ね…

今まで意識してたつもりでも全く違った、
幼い頃触れたお父さんのジョリジョリとも
全然違う伸びて柔らかい無精髭もまばらで
ワイルドな彼。
間近で感じる濃いタバコと、彼の匂い。

彼があんなコトを言うから私も意識して
しまう。――彼の、彼自身の匂いを。

耳が千切れそうな赤みが引かない。
引かないどころか、もう首も私の全身も
真っ赤な筈。


「……うっは、何このムズ痒さ!」

「羨ましいんだろ、出歯亀め。」

「――咲ちゃん、悪いけど春が
熟睡するまでそのままで居てくれる…?
一回寝たら起きないから寝入ったら外す
からさ。」

「はい、それはもちろん…っ」


「うっわぁ…
膝枕とか裏山(羨ましい)だろってっ」

「正直か。」

「正直な意見だな。」


そんな皆さんの揶揄いを耳にもっと更に
真っ赤になって、私は神堂さんの枕に
なったのだった。



*
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ