Event 1

□月に寄せる歌
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スタジオに着いて。
車をビルの駐車場へ置きにと、他雑用を
片しに行ってくれたスタッフとは別れて

ベーグルを持って、寝起きの不機嫌な
様子でミキサー室に引き籠った春の背を
目で追って見送った、

俺らだけになったスタジオ。


まるで口でも押さえられていたように
プハッと深呼吸した冬馬が先ず第一声。


「何であの時止めたんだよ! あの場で
すぐ確認しときゃこんな辛気臭い面を
突き合わせなくて良かったろ!」

「…そんなんで、もしもの時はお前、
どうフォローすんだよ。」

「…フォローって?」

「今、春はあの状況だぞ?
下手すると全部ポシャる事になる。
今…春が抱えてる内外の仕事も、
春自身も彼女との仲も。」

「…それってさ、咲ちゃんの浮気
確定で話進んでるよな…?」


――ギクッとした。

冬馬の言う通りだ。
頭ん中では、きっと何かの事情がある筈
だなんてグルッグルしつつ俺はどっかで
そう思ってて。


「…あの咲ちゃんがするかね?」


ムムッと眉間に皺寄せて言う冬馬。
こいつは何のかんのと言いつつ、やっぱ
彼女の大ファンで。…俺もだけどさ。

そんな俺の葛藤を言葉にしたような
秋羅の声。


「…彼女も普通のハタチそこそこの女、
だからな。…あんまり過剰な期待はして
やるなよ?」

「どう言う意味?」

「俺も彼女が浮気するとは思えねぇけど
…でもこんな身内は俺らしか居ない所に
攫われて来て、親兄弟や友人からも引き
離されて、その上ここ1〜2ヶ月放置って
のはやっぱ、他の癒してくれる相手に
惹かれても無理はねぇと思うぞ…?」

「ちょ…っ」

「春は…放置、はして無いと思う、
んだけど…。」


つい歯切れの悪くなる俺。

だって実際それを心配してたから。
のめり込むと周りが見えなくなっちまう
天才肌の、春。

それこそ夢中になったら食事も睡眠も、
生き物として最低限必要な事すら全て
後回しにしちまうな事もあり。

それは俺らには当たり前の光景だけど
2人で暮らす彼女にはどうだったのか。

春のそんな様子は勿論彼女も知ってる。
日本での活動中にもそんな事は何度も
あって。

今までは俺がしてた春の食事や体調面の
管理を彼女も買って出てくれてて。

また春も、彼女の手によると俺がする
よりもずっとちゃんとしてくれてたから
同棲を始めてからは彼女に任せっきりに
なってたんだ。
俺が口挟むのも何か野暮な気がして。

…だけどもし、一緒に暮らし始めて春が
あの状態だったとしたら?

…いや、だったとしたら…って、たぶん
そうだったと思う。ここ最近も心配して
何度か彼女と電話したから…知ってる。

彼女は心底心配してて。

家でも作業室に籠って出て来ないんです
って言ってて。一応差し入れた食事は
摂ってるけど、会話も殆ど出来無い事も
多くて…顔色も悪いから心配でって…。

俺はそんな彼女にあともう少しでこの
状況も落ち着くから心配しないでって
言ったんだ。

もう少しだけ様子見てやって、って。

あれが実は、心配なだけじゃなくて…
彼女も限界を感じての会話だったのだと
したら…。


俺はさっきからそんな事ばかりが頭の中
過(よ)ぎってて、もう気が気じゃ無い。

彼女のSOS、俺が見逃してたんじゃ
ないかって思って。


「充分放置だったと思うけどな。
最近は俺らが来る前からミキサー室に
籠ってる事があんだろ、あいつ何時から
入ってんだ?…それに帰りも大概最後、
だろ。…もし帰って無かったら?」

「…えっ、それは流石に…。」


冷静に分析する秋羅。
それに目を見開く冬馬。

でも俺は事実を知ってる。


「…実は何度か泊まり込んでる。」

「マジで!」

「…やっぱな。こないだミキサー室の
吸いガラが山になってたからな。こりゃ
煮詰まって帰ってねぇんじゃねーのか
って思ったけどやっぱりか。」

「…マズい、な。」

「ああ。」

「今日は早く帰そうぜ。春説得して。」

「何て言って説得すんだよ。
あいつ今相当煮詰まってんのに。」

「まんまだよ。このまま放っといたら
咲ちゃんに浮気されちまうぞーって
言やいいじゃねぇの?」

「『まさか』で一蹴じゃないか?」

「だからまさかじゃねぇって言えば?」

「まさかお前話すつもりか、今日の事」

「その方が手っ取り早くね?」

「アホか! そんなんして修復不可能に
なったら春、確実に潰れるぞ?! 」

「じゃあどうすんだよ!」


――手詰まり。

そう思った時、ふと呟かれた突破口。
秋羅が言う、あのやたらイケメンな
ラテン男。


「でも、あの男、…確かどっかで見た事
あるんだよな…。」


――そう言えば…。



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