短編2

□籠の鳥は何時飛び立つか
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「ここまで来れば大丈夫。疲れただろう?一寸休もう」
そう云って手ごろな木の下に腰を下ろす彼。
生まれてこのかた今まで走った事など無かった私がよく此処まで休まず来れたものだ。
彼に手を引かれ、時折私の無事を確認するように手が強く握られ、それに応えるように握り返すことを繰り返してきた。
白いワンピースが土で汚れてしまわないように、石の上にそっと座る。ヒールの低い白のパンプスを見ると案の定もう泥が跳ねてしまっていた。
大きく息をつくと、走っている間は気にならなかった足の痛みと息苦しさがじわじわと私の身体を侵食していく。
もう少し、もう少しだ。
あとほんの僅かだけ道を行けば、私達は自由になれる。
けれど、この休んでいる間にも追っ手が来ているかもしれない。
……捕まったら、如何なるか。
まず間違いなく引き離されて、そしたらもう二度と会えない。父も母も、絶対に私を家から出す事を良しとしないだろう。……そんなのは、嫌。
そう思うと一刻も早くあの場所へ辿り着きたかった。
今の内に、誰の邪魔も入らない内に、太宰さんと、二人きりで静かに眠りたい。
「……もう、時間が無いね。立てるかい?」
嗚呼、ほら、こうして手を差し出してくれる。
私の急いた気持ちを見透かすようなタイミングで。
「……立てます。行きましょう」
手を取り立ち上がって笑いかければ、太宰さんも何時も通り笑い返してくれる。
先程と比べてゆっくりと、それでいて駆け足で獣道を進んでいく。……『獣道』という言葉も、太宰さんが教えてくれたんだっけ。
あの頃の私は本当に何も知らなかった。
ただ本と向かい合っていたばかりで。
外に出て遊ぶ事も無くて。
一時の自由は、とても楽しかった。
全て、太宰さんのお陰だ。

走り続けていく内に獣道は段々と急勾配になっていき、それでも私達が立ち止まる事は無かった。
少しして森が開けたと思えば、目の前は見晴らしのとても良い岬だった。
激しい波の音が偶に聞こえる中、空が白んでいくのがはっきり見える。
「太宰さん、如何して私が白いワンピースを着ているか分かりますか?」
太宰さんは首を傾げる。本当は分かっているんじゃないかしらと思いながら言葉を続けた。
「……ウエディングドレスみたいでしょう?」
今日みたいな日にはこれを着ると、ずっと前から決めていた。……私の晴れ衣裳。
「困ったな、私は何時も通りの服で来てしまったよ」
「駄目ですよ。太宰さんがタキシードなんて着たら汚れてしまいます」
他の人に太宰さんのタキシード姿を見られたくないという気持ちもあったのだけれど、それを口に出すのは恥ずかしかった。
「……嗚呼そうだ、離れないようにしっかり繋いでおかないといけないね」
太宰さんはそう云って片手で器用に腕の包帯を外し、代わりに繋ぎ合った私達の手にそれを巻いていく。
「ごめん、結ぶの手伝ってくれないかな」
流石に片手じゃ難しかったと零す太宰さんの持つ包帯の端に、余らせておいたもう片方の端を持っていきながら尋ねる。
「固結びですよね?」
「うん、緩んで仕舞わない様にしっかり結ばないといけないからね」
ふっ、と水平線の方に目をやる。
……もうすぐ夜が明ける。
追っ手は今何処まで来ているだろうか。
けれど今更、そんな事はどうでも良かった。
柵の無い岬の縁までゆっくり歩き、崩れそうな地面から見下ろせば遥か下に水面が見えた。
「太宰さん、大好きです」
「私も、愛しているよ」
私達はお互いの顔を見つめ、そしてどちらからとも無く頷き合ってから太陽と入れ違う様に海へと身を投げた。
私は何て幸せ者なんだろうか。
もう誰にも邪魔されない。
これで本当に二人きり。
ずっと、ずっと。

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