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□道化師
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「大好きだよ。」

ふわりと、可愛らしい笑顔で彼女はいつも言ってくれた。後に続く言葉はいつも、彼の次に!だったけれど。



道化師



「大好きだよ。」

図書室で課題のレポートをしていると、偶然通りかかった先輩がそう言いながら近づいてきた。彼女の大好きという言葉を聞いて、俺は小さく溜め息をつく。あまりにもしょっちゅう言うために、この言葉はもう挨拶代わりだと言っても過言ではない。

「はいはい。俺も大好きですよ、先輩。」
「ありがとう。いい加減先輩じゃなくてお姉ちゃんでもいいんだよ?未来の弟君。」
「絶対に嫌です。先輩のことを姉さんって呼ぶなんて、死んでもしません。」

呆れたように呟いたそれは本音だった。どこの世界に愛する人のことを、進んで姉さんと呼ぶ男がいようか。いずれは呼ばなければならない時が来てしまうだろうが、それまではこの先輩と後輩という温い関係に浸かっていたい。

「俺なんかを弟扱いする必要なんてないですよ。」

俺の言葉ににこっと柔らかく笑む彼女に胸が痛んだ。これほどに、これほどに強く想っているのに彼女が見るのは兄。兄の隣に先輩はいる。

「そんなこと出来るわけないでしょ?私と彼を出会わせてくれたのはあなたなんだから。うん、大好きだよ。」

嗚呼、お願いだからそんな優しい顔をして、愛しそうな声で大好きなんて言わないで。ぎゅっとしめつけられたように苦しい胸の内を、先輩に気付かれないように笑顔で隠す。何度この想いを伝えてしまおうと思っただろうか。だがその度に兄さんの隣で笑う先輩の顔が思い浮かんで、行動に移せないのだ。臆病者。俺は想いの一つも告げられない臆病者だ。

「・・・・あんまり大好きを連発してると兄さんに怒られますよ。」

未だににこにこと笑っている先輩にそう言うと、先輩は困ったように眉を下げて笑った。嫉妬深いあの人のことだから、きっとこうして俺が先輩と話していることさえ良くは思ってないのだろう。今の先輩の表情が何よりの証拠だ。

「・・・大丈夫だよ、心配してくれてありがとう。」

ふわりとした笑顔。その顔を見ただけで先ほどまで胸中を渦巻いていた黒い気持ちは消え、ただその笑顔がずっと続けばいいと願った。先輩に微笑み返せばまた笑ってくれる。なんと幸せなことなのだろうか。

「おーい!!」
「あ、迎えに来てくれたの?」

少し焦った表情で駆けてきた兄は、俺を見ると不機嫌そうに顔を歪めた。相変わらず分かりやすい人だ。

「お前らずっと二人でいたのか?」
「うん。」

兄の機嫌の悪さに気付いたんだろう。先輩が不安げに兄さんを見る。どうせすぐいちゃつき出すんだから放っておけばいいものを、この顔を見るとつい口が動いてしまう。

「兄さん。俺は今日も先輩に大好きって言われたよ。」

不満げに先輩を見つめていた兄さんはゆっくりと俺の方に向き直ると、射抜くような鋭い視線を投げかけてきた。俺も負けじと兄さんを睨み返す。

「ねえ先輩。俺のこと好きですか?」
「え?うん。」

戸惑いながらも答えてくれた先輩ににっこりと笑む。

「でも「でも、愛してるのは兄さん。そうでしょう?」、うん。」

先輩の言葉に被せるようにしてそう言うと、途端に今まで不安そうにしていた先輩の顔が輝いた。

「愛してる!」
「お、お前なあ・・・。こんなとこで言うなよ。」

照れたように笑う兄さんは先ほどまでと打って変わり上機嫌になっていた。ああ、またいちゃつき出す。自分は割と頭のいい人間だと思っていたが、実は相当馬鹿なのではないだろうか。好きな人が自分じゃない男の隣で笑っているのを見て幸せだなんて、どうかしているのかもしれない。

俺は仲良く手を繋いで歩いて行く二人を見送って、大きなため息を吐いた。きっと先輩の大好きも時が経つにつれて次第になくなっていくだろう。

「きっと、俺は一生大好きなままです。」

大好きな先輩の、辛そうな顔なんて見たくないから。

(愛してるにはなれない。)

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