頭文字D

□穏やかな時間
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いつも観ているドラマは明後日で、今日は特に面白い番組も無く、何となくついているグルメ番組を観ながらぼーっとしていた拓海は最後のテロップが流れると同時にもう風呂に入って寝てしまおうと、コタツから脚を抜き出した。
一度二階の自室に戻り寝巻きに使っているスエットと下着を取り出していると、勉強机の上に置いていた携帯電話が軽やかな音楽と共に着信を知らせる。
思わず枕元の目覚まし時計を見ると、もうすぐ10時になろうとしていた。
こんな時間に誰だろうと首を捻る。
小学校の時からなんだかんだと仲の良い樹は今夜は池谷先輩と峠に行ってドリフトの練習をしてくると言っていたからまず除外する。
いつも自分を大事にしてくれる涼介は悩まされてるレポートに集中すると言っていたのを思い出した。そんな時の涼介は終わるまで連絡はして来ない。
啓介は…まぁ余程の事がない限りはかけてこない。というか、電話番号とメールアドレスは交換したものの、まだ一度もかかって来たことはなかった。
となると、最後に残ったのは妙義ナイトキッズの中里毅だけだ。
携帯を開いて見ると案の定中里からの着信。
「こんばんわ。」
通話を押してから耳に当て真っ先に挨拶をすると、雑音だけが聞こえた。よく聞くと、『ここ、コレで良かったですか?』と聞こえた後に、『それの資料なら中原が持ってる。』という中里の声が聞こえた。
残業してるのかな?と少し待っていると、ガサリと耳障りな音がして『悪い。』と低い疲れた声がした。
「中里さん?」
『あぁ、もしかして寝ていたか?』
「いえ、グルメ番組見終わったんで風呂行こうかと…」
『そうか。』
「中里さんは?」
『残業でまだ会社にいるよ。』
溜息とキーボードを叩く音が聞こえた。
「ふふ。お疲れ様です。で、こんな時間にどうしました?啓介さん絡みです?」
『いや…そうじゃない。高橋だよ。』
「涼介さんがどうかしました?」
ベッドに腰をかけて落ち着いて話を聞く体制を取った。
『お前、高橋からプロジェクトDのホームページが出来上がった話は聞いただろ?その件で少し前に連絡あってな…』
「ええ、聞いてます。俺は家にパソコン無いので見れないですけど…中里さんが別の形でプロジェクトに入ってるのも聞きました。」
そこまで言って、レポートに集中するからといって連絡を絶っているのに、中里に電話を入れる余裕があるのかと少し嫉妬心を覚えるが、次の言葉でその感情は吹き飛んだ。
『その事なんだがな…あいつどうも相当疲れてるぞ。肝心の啓介に話が回ってねぇ。』
「は?」
『だからよ、俺がプロジェクトに入ってるのを伝えてねぇんだよ。あの完全主義者が。』
息を飲んだ。
涼介も人間だから失敗はするであろう。だが、好きな車に関してはどうだろうか…
はたから見れば冷静沈着の完璧主義者とも言えるだろう。だが、涼介は走りに熱かった。
拓海に負けた後に引退したが、それでも期間限定とはいえプロジェクトDという関東最速の記録を残すという壮大な計画を立ち上げ、自らドライバーを選択し、後少しでプロジェクト開始というとこまで何のミスもなく進めてきた。
そんな彼がここにきて最後のミス。
身内の啓介への連絡ミスだ。
こんな事があの涼介にあり得るだろうか。
『…聞いてるか?藤原。』
「あっ…はい!…えっと…」
思考に入り込んでいた。少し前に中里が、何か言ったのを聞き逃し、返事が無いのを不審に思った彼が話を中断して、拓海を呼んだのだった。
『だから、一応寝ろとは言ってるが、あいつが俺の言葉で大人しく寝ているとは思えねぇんだよ。それで、もし可能だったら藤原に様子を見てきて欲しいんだ。』
「あ、分かりました。でも、何で中里さんがそこまで気にかけるんですか?」
思わず聞いてしまい、しまったと左手を額にパチンと当てる。
ジンワリした痛みが自分を冷静にするが、言ってしまったことを撤回する事はできない。
『何でって…そりゃあお前…Dの責任者ってのもあるけど、あいつのアニキだろ?知ってる人間が弱ってるのは見てられねぇんだよ。』
身体の力が抜けた。
そうだ。この人はこういった人間なのだ。他人に気を使い自分だけ損をする。そんな所を皆が慕ってくるのだ。そういう人柄をナイトキッズの前リーダーが見抜き中里を次のリーダーに指名したのだろう。
「なんか…中里さんらしいや。」
『何だそれ?』
「いえ、こっちの話です。分かりました。じゃあ俺、涼介さんの様子見てきますね。」
『おう、頼むわ。』
「では、仕事頑張って下さいね。」
『ありがとな。』
そう言葉を残して通話が切れた。
余程忙しいのだろう。それでも他人を助けようとする。
小さく笑った拓海は知らせてくれた中里に心から感謝し、布団の上にスエットを置くと一階に降りて行った。
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